いつもちょっとだけ時代の後ろを歩いている建築士のたぶたです。( ̄ー☆
今さらですが鈍感力
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ほんとに今さらですが、これを読んだのはつい先週。
北海道行きの飛行機で読もうと思ったんですね。
んで伊丹(大阪国際空港)で買いました。
渡辺淳一文学館(安藤忠雄設計)を札幌に着いたら
見学しようと思ってたので(結局行きませんでしたが)
読書家ではないワタシも、作品の一つでも読んでいかなきゃ
こりゃまずいなと思って買ったのですが。
まさかエッセイだとは知りませんでした。
不穏の愛を描いたどろどろ小説を期待していたんですが・・
鈍感力・・・
ワタシはけっこういい線行っているのかも知れない。
というか、けっこう鈍感力をもちあわせているようだ。
というか、おまえ鈍感だと言われて何も否定することがない。
というか、鈍感人間以外の何者でもない。
というか、もうちょっとぐらい敏感でもいいんじゃないかとさえ思う。
というか、親を見ていたらやっぱりワタシは天性の鈍感だとは思う。
というか、やっぱり鈍感だと言われてへへへと笑うワタシはどうかしている。
というか、鈍感の「鈍」は「純」に似ているからたぶん純粋なんだろう。
というか、「オマエ純粋だろう」と言われても、やはりえっへっへとは笑えない。
というか、「純感」という響きは何となく無間地獄っぽくていやだ。
というか、この本で紹介される鈍感力人間はまさにワタシそのものだ。
というか、お腹を壊しやすいというところだけ、妙に敏感な自分がいる。
というか、腐ったものを食べても全く平気で「鈍感ばんざい!」というのもどうかと思う。
というか、人間全てが鈍感だったら秩序も何も無い世の中になるのではないか。
敏感がいるから鈍感が存在するのである。
ビンラディンがいるからブッシュはまだ大統領なのである。
ビール腹がいるから脂ぎった中年もブートキャンプにいそしむのである。
結論は、自分が鈍感であると知らないことが真の鈍感であって
この本を読んで「鈍感」であると気付いたワタシはすでに
「鈍感」について「敏感」なので、胸を張って「ワタシは鈍感です。」
とは既に言えないのだ。
はっはっは。読まなきゃ良かった。(笑)
こんなことを考えながら飛行機に乗っていたら
前の席のおねえさんの無呼吸症候群のような寝息も
全く気にならなくなっていた。
やっぱり「鈍感ばんざい」である。
ね。コルシカ先生(笑)