スケルトン・インフィルということばが建築業界でキーワードの一つになって久しい。
簡単に言えば躯体(外殻)は耐久性を重視し50年・100年と長期耐久性を実現する一方、内部空間は住み手の変化にあわせて変貌をする考え方である。
ま、テナントが変わると外観はそのままで内装だけガラッと一新。ああいう感じですな。
skeleton(骸骨)・infil(詰め物)はどちらも英語だが、スケルトン・インフィルという複合単語を発明したのは日本人ではないだろうか。海外の文献でこの単語を見たことがない。
日本人は造語が好きだ。それもわざわざ外来語で。
その方が学術的で懐疑的に聞こえるから学者としてはいろいろと都合がよいのであろう。
日本人風に言えばアカデミック・スケプティカルというところか。
(そういうおまえも日本人やろ!というつっこみ募集中(笑)
1960年代だったか日本ではメタボリズム運動というのが当時の若手建築家によって興されている。そしてその若手建築家には現在日本を引っ張っているビッグネームになられた黒川紀章先生、菊竹清訓先生、大高正人先生、槇文彦先生が含まれた。
metabolism(新陳代謝) 建築を、階段や廊下などの骨格部分と設備や各部屋の可変部分とに分け、古くなった可変部分を取り替える事で建築の新陳代謝を図ろうとした。
一方、スクラップアンドビルトの建築思想を増長させたという批判もあったようだ。
どっちにしろ、半永久的であるべき日本の古来建築や西洋の建築思想に真っ向から反論し
sustainable(持続的)からvariable(可変的)に発想を転換したことはポストモダンと同じく20世紀の建築界の大発明であったのだろう。
しかし、そのメタボリズムの先導者は今、スケルトン・インフィルに手を出していない。
それどころかメタボリズムも有名な東京の中銀カプセルタワー(黒川)静岡新聞東京ビル(丹下)で終焉したのではないだろうか。(あ、菊竹氏のクリスマスツリーがあったよな)
決して実現しない(しそうもない)メタボリズム。しかしその発想は大胆で今見ても建築少年の胸をどきどきさせる何かを持っている。(だれが少年じゃというつっこみ禁止w)
メタボリズムは理想で、実現可能なレベルまでレベルを落としたのが現在のスケルトン・インフィルではないだろうか。40年前と違って『可変』は現在当たり前の思想だと思う。
言葉で武装するのではなく、『可変』は常に意識して建築を考えていきたい。
建築は住み手・使い手のためにあるのだから。