どうやっても人の意見に左右されてしまう。



その人が本当に正しいのならそれはいいことだと思う。



しかし、大体においてそれはない。というのは正しい人間など存在せず、その人がその人自身の価値観でものを言っているだけだ。そしてその価値観も大体において浅い。



頭ではわかっているのだが、どうしてもリアルタイムにそういう認識をすることができない。その瞬間瞬間で相手に対して迎合的になってしまうのである。



そして後で気付くのである。



またやっちゃったってね。



ディベートできる人を見て本当にすごいと思うし、自分には本当にできないんだなと思う。多分チャットとかでならできるんだけどなーw



そんなことがあるから結局一人でいいやと思う。むしろ一人がいいやと思う。そっちの方がパフォーマンス高い気がする。



自由でありたいから。人の意見に左右されたくないから。



自由であることが一番の幸せではないかと思っている。

様々な人が人にアドバイスをする時があると思います。



なぜそんなおこがましいことができるのかと思ってしまう。



その人のことをすべて分かっている訳でもないし、世の中のことをすべて分かっている訳でもない。むしろ分かっていない知らないことの方が多いはず。



そんな状況で人に意見を押し付けるというのはおこがましいにも程があると思ってしまう。



アドバイス、意見を人に押し付ける場合に自分で自分のことを無知であると知った上で選択肢や考え方として提示してくれるならいい。



それなら聞く気にもなるし、その後の会話や関係につながっていくと思う。



ただ、それを分かっていない人が大半。唯一無二の絶対基準なんて持っていない人に何を言われても聞く気にならない。



そもそも絶対基準なんてない。この世のすべてのことが分かるなんて不可能。人それぞれが勝手に思いこんでいるだけであり、それを勝手に決め付けてあろうことか人に押し付けるなんていう行為はやめてほしいと切に思う。



とはいっても人が行動を起こす場合、自分の思い込みの世界で物事を決めるしかないので、せめてそれを自覚してほしい。

『アスペルガー症候群』 岡田尊司著(幻冬舎新書)に「彼らの根源的な欲求は反復なのかもしれない」という記述がありました。



確かにそうかもしれないと強く思います。同じことを何度も繰り返したり、同じ食べ物を何度も食べたり、変化を嫌ったり。



誰しもある程度はその傾向があるとは思いますが、その衝動が抑えられないほど強かったり、新しいことをする時の障害もハンパではない。



自分の欲求も反復なのかもしれない。慣れ親しんだ行動をとるとき、最も安心感、満足を得られる。



けど、反復だけの人生でいいのだろうか。



こういう時、世の中の常識とか価値観が押し寄せてくる。



周りの価値観と自分の価値観との相違が自分を苦しめる。



ただ、今思うのは周りの合わせるのはもうやめようということ。やめた方がいいと感じている。今まで人の意見に従って結果的に良かったことなどあっただろうか。



一時的には状況が改善し、良かったこともあっただろうが、結局は自分の根源的欲求と相反し、元に戻っている気がする。



逆に自分を貫き通した時(勘違いに過ぎない幼稚なものでも)、満足感を得られた気がする。そしてパフォーマンスも高かった気がする。



周りの人やテレビに出ている人、著名人等でこの人はアスペルガーかもと思う人はたくさんいます。そして大きく二通りに分かれているように見えます。



周りと合わせようとしているが周りとかみ合ってないことに気付いてないタイプ、周りと合わせることを止め我が道を貫いているタイプ。



前者は見ていて哀れと感じ、後者に憧れを感じます。



やはり後者の道を選びたいと感じています。



果てなき孤独の中で自己実現をすることで、自分の幸せは見つけられるのではないだろうか。

自分は間違ってないという思いが強くある。



多分自分の中では筋が通っている。ただ考えが圧倒的にマイノリティで周りには理解できない。説明しようと思ってもうまく説明できなかったり、一遍に言いたいことがまとまらず出てきて何が言いたいか分からなくなってしまう。



必死で主張すると強すぎて相手をやりこめてしまうか、話が飛びすぎて伝わらない。相手の気持ちもよく分からないから会話のリズムも合わない。



だから誰にも言わず、ただひたすら我が道をいくという選択になってしまう。周りとの折衝も必ずどこかで限界がきて、原因も自分ではよく分からないから改善できず結局周りと関わらない方がいいという選択になってしまう。



どうしようもない孤独感。



この孤独感をほっとくとホントに洒落にならないくらい気分が落ち込み、どんどん悪い方向に考えが寄ってしまうので自分の思い込みの世界に逃げ込むしかなくなる。



周りとうまく折衝できないというのは選択肢を狭める。痛感する。



答えはどこにあるのか。



周りとある程度の距離を保ちながら、自分の世界に誰も触れられないようにする。



それが今思える最善。



ただ、その世界が実現した時、自分は心から笑えているのか?幸せを感じられているのか?



自分が心の底から幸せ、充実感を感じられる日は来るのだろうか?

このブログは完全に自分の愚痴になると思います。なので気分を害された方は本当に申し訳ない。



ただ一つの判断材料として、読みたい人も必ずいるはずなので書きます。



アスペルガー症候群。



まだ診断に行ってはいませんが、何冊か本を読み、インターネット等で調べた結果、ほぼ間違いないでしょう。家族にも彼女にも知り合いにも言われました。



8月に診断に行く予定。



今まで自分が感じてきたこと、失敗してきたこと、すべてがその障害に集約されていました。



おそらく部分的にこれに当てはまる人は相当数いるでしょう。



そして多くの人は言い訳に過ぎないと考えるでしょう。



そう考えるのは理解できます。障害として諦めてしまえば楽になるからだろ?という思考も理解できますし、諦めたら成長が止まると思います。



実は自分でもそう思います。



認めたらそこで終わってしまう気がします。



ただこの障害について知ることで、自分の考えの幅が広がりました。



症状がほぼ当てはまっているということは、自分は多かれ少なかれその障害に関係しているということ。そして、少なくとも脳の障害でどうしようもない人が確実にいるということが分かったということがこれからの人生の選択に大きく関与すると思います。



仕事で言えば要するにできないやつに入るでしょう。でも全部ができない訳ではない。記憶だったり、自己完結できる領域でのマニアックさ。細部へのこだわり。武器はある。



一番怖いのは失敗体験で自分がどんどん殻に閉じこもること。本来の能力まで発揮できなくなること。マイナス思考で幸せを感じられないこと。



本を読んで、自分がまさにその負のスパイラルに入っているところかもしれないと感じ、ぞっとしました。



今の一番の傾向は、反社会的になっていくこと。



しかし、たとえ反社会的であろうと、自分の哲学を構築し、それを曲げないこと。そうすることが一番楽と感じています。



それは危険なのかも知れません。社会とうまくやっていけないかもしれません。



けどそれが一番楽なんです。



人は自分の幸せを追求するものだと思っています。それを実行しているだけです。



自分のことしか考えていないかもしれません。大したことはできないかもしれません。でも自分の幸せを追求したい。



今、小説を書いています(ちょっとですが)。



なぜなら、自分みたいなタイプの人が自己実現をして幸せを感じるには、この内的世界が評価されることだと思うからです。



内的世界を表現する手段として今小説を書いているわけですが、この手段には関しては昔から模索してきていて、また変わるかもしれません。



このブログは自分の哲学の構築、それを固める場にしたいと考えています。



自分を正確に捉え、私にしか当てはまらないかもしれない主張をしていくつもりです。