
今年4月某日
暇潰しがてらアマゾンプライムビデオでも鑑賞しようと
サイトを開いてみたところ
あまり面白そうな映画がみつからず
あれこれ探していてみつけたのが
この”ちょこっと京都に住んでみた”というドラマ

奈良で暮らすようになって35年
最初の頃は【京都人=イケズ】で苦手と思っていたのですが
これが馴れてくると結構いい人が多くて
芸能人でも、小林薫、佐々木蔵之介、吉岡里帆、藤山直美、
古くは、加藤和彦に沢田研二は大好き
わが社の社員さんも市内ではないものの平安京のまえに都のあった土地の生まれで
性格は明るくて素直で誠実で仕事への取組み姿勢も申し分ないどころか
これまでの人生で一緒に仕事してきた中でも飛び抜けて最高の人材
彼女のおかげで余計京都の人が好きになったんだろうなぁ
その他にも
流石は千年の都で、雅だったり粋だったり
漬物にラーメン、その他もろもろの食べ物も美味しいしと
大好きな土地となっているため
このドラマでも
主演の木村文乃と近藤正臣のかけあいも面白く
面白く鑑賞していたところ
準レギュラーの一人がオートバイの修理屋さんで
その古ぼけた店が登場してビックリ仰天

少し前までお気に入りで年に何度も贈答品や自家用
友人知人が京都に来ると連れて行った漬物屋
打田漬物の本店の近くにある店で
もう10年以上前、バスで漬物屋に行った時に店を覗いて
「古いベスパがあるんだけど直してくれますか?」と尋ねたところ
「大丈夫ですよ」と快諾してもらいながら
軽トラを持ってなかった頃で運搬をどうしようかと悩みつつ
そのまま忘れていたのですが
このドラマを観て ネットで検索して店の名前と連絡先を探し出し
電話で修理のお願いと予約を入れて
2009年まではガレージに置いていたものの

ほとんど乗らずに放置していたため
エンジンの噴きが悪く不調だったため
エンジンを載せ替えようかとエンジンの新古品をオークションでみつけ
ついでにレストアしちゃおうかとガレージから運び出したものの

忙しかったり暑かったり寒かったりと先延ばししたままで結局自分で修理するのを諦めて
放置していたVespaを運び出し

軽トラに積み込み

その修理屋さんに到着(もしものために新古品のエンジンも預け)

このお店レトロなバイクの修理やレストアで有名らしく
いつも素敵なレトロバイクが修理待ちしてるんです


修理が完了したとの電話を受けて
喜び勇んでヘルメットを購入してバイク屋に向かい


下道を走り続けて約2時間後、お店に到着





エンジンがかからなかった原因は
クラッチやキャブが古い混合ガソリン(2ストロークなので)の
オイルで膠のようになってクラッチの固着やキャブが詰ってしまい
分解して掃除してタイヤを交換したんだそうで
元々あまり走ってなかったので
オーバーホールすることなく修理できたんだそうです。
修理費は部品代と工賃含めて 約15万円++
嬉しかったですね~
軽く試運転して軽トラに積み込み
最近お気に入りの北野(北野天満宮の近く)の浅漬けのお店に立ち寄り

我が家に到着

レトロバイクは、あえてペンキを塗り直したりせずにそのままで走るのが粋みたいなのですが
少ししてリアブレーキのゴムが取れてしまい
よくよく観察してみると経年劣化でボロボロ

ついでのやっぱりホイールくらいは新調しようと
Vespaの部品を販売している店をみつけ






とりあえずクロムのホイール2セットと
スペア用のタイヤとフロントキャリアを購入して

さて、ホイールを交換しようとしたところ
これがなかなか固くて外れず大焦り
近所のバイク屋で交換を依頼するも軽く断られ
それならとバイク屋を数軒まわるも
Vespaのタイヤ交換はできませんと相手にされずガッカリ

それならいいやと、自分でなんとか交換を済ませたのですが

あとでYouTubeで調べたら そんな作業の動画だらけ(笑)

次は、そのうち50ccから85ccへのボアアップしちゃおかな と目論んでる次第です。
それからは、通勤もVespaにして近所の買い物も全てVespa
ただ馬力不足はどうしようもないので
そのうちボアアップするつもりですが

そんなこんなで無事復活してくれたVespaを満喫しちゃってるってネタでした

《Vespaを購入することになった背景》
いつものように説明が長いので興味のない方はスルーしてくださいね。
1979年9月
3ケ月の造船所実習と
9ケ月の航海訓練所練習船乗船実習を終え
卒業式の数日前、母校の鳥羽に戻ったのですが
当時は、学校主催の就職説明会なる催しがあり
求人企業の担当者がそれぞれ自社の説明と求人をしてくれるのですが
練習船に乗るまでは、ぼんやりと順当に船乗りとなるのがいいのかな?
それとも実習前にアルバイトしていたヤマハリゾートのマリーナで遊び半分で面白おかしく
仕事するのもいいのかもと思っていたのですが
(当時は、伊勢志摩の”合歓の郷”、静岡の”つま恋”、その他南西諸島にリゾートホテルが山ほど)
それが我が身に与えられた運命なのか宿命なのか
遠洋航海で寄港した南太平洋の小国トンガ王国でみた
ボロボロのツナギと日焼けして真っ黒な姿で
現地語を話しながら現地人と笑いながら歩いていた
青年海外協力隊員の姿に衝撃を受け、すっかり魅了されてしまい
帰国直後に接岸していた晴海埠頭で
青年海外協力隊の募集説明が催され
そこで『応募職種の実務経験2年以上』『最低限の語学力』が必要と言われ
なかなかハードルが高いなと半ば諦めかけていたのですが
某会社の求人担当者が
「我が社は、客船も保有する外資系船会社で、主に工務監督として勤務してもらえる人材を探しています。」
「業務を覚えたらすぐにでも社船の寄港地や造船所など世界中を飛び回ってもらいます」
「但し、実力重視の会社なので使えなかったらそれまで」
「次の口述試験で海技免状(甲種二等航海士・機関士)を取得するのが最低条件です」
などと言われ
『ヨッシャ、それならやってやろうじゃないか』と応募
(外資系だったら、協力隊の募集条件の実務経験と語学力も養えるし
なにより転職もしやすいかもとの考えも)
海技免状の合格通知が届いた翌週の1979年11月4日から勤務することとなり
京浜地区での造船所実習時代
京急の神奈川新町にあった学校の京浜寮で暮らしていた時に
ユーミンの”海を見ていた午後”のドルフィンを訪れ
根岸森林公園や米軍の施設のエキゾチックな雰囲気に魅了されてしまい
関東で住むなら根岸線の山手と決めていたため
山手駅前の不動産屋でアパートを探し
当時、会社のオフィスのあった東京駅八重洲口へも京浜東北線で直通だしと決め
山手駅近くで暮らすようになったのでした。
また、その当時またまた練習船で寄港したニュージーランド、オークランド港の
メインストリート(Queen’s St)の横断歩道を渡っていたところ
まだ直行便もない時代に若い日本人の女性とすれ違い
(JALが直行便を就航するためテストフライトを飛ばし、その乗客としてNZを訪れていました)
つい反射的に声をかけてしまい
その日の夜の食事に誘い、食後のパブですっかり意気投合
日本に帰国したら連絡するからと別れたのですが
そうして東京の会社で働くこととなったため
結局お付き合いするようになり
彼女は市ヶ谷の女子の進学校で勤務していて
小田急線の豪徳寺の近くのアパートで妹と暮らしていたのですが
ちょくちょく横浜に来るようになり
こちらも時々豪徳寺へ行くようになって
山手~(根岸線)~横浜~(東急東横線)~渋谷~(京王井の頭線)~下北沢~(小田急)~豪徳寺
がお互いのアパート間でのアクセス
『いっつも鮨詰めの満員だし、乗り換えも面倒臭いなぁ』と思っていたところ
伯母(母の姉)の家が世田谷の野沢にあって東京で就職したと報告に行ったところ
帰りに下馬にあったVespa専門店を発見
『これは買うしかないな』と
当時、初任給が手取り10万しかなかったのに
中古で35万円のこのVespa50sを衝動買いしちゃったってわけです。
ところがこのVespaという代物
50ccしかないのに鉄製のボディでトルク不足
そのうえハンドルギアでクラッチで簡単にギアを変えられないため
運転しずらいなんてもんじゃなく
横浜の山手から世田谷の豪徳寺へのルートとなると
当時は桜木町から電車沿いに横浜東口、第二京浜(国道一号線)で川崎
多摩川を渡って環八を北上と
主要幹線を走るのがあまりに無謀だったので
車の通行量が少なくなった深夜でした移動できませんでしたねぇ。
若かったからできたんだろうな(笑)
(とりあえず編集中ですがこのまま投稿して、後日また画像を見つけて追加したいと思います)