去る2016年1月11日イギリスのロックシンガー、
僕も大好きなデヴィッド・ボウイさんが亡くなられました。
ツイッターでも哀悼、追悼の言葉が溢れましたが
正直「D・ボウイ? 誰?」とか「D・ボウイ、D・ボウイうるさい」とか
思った方もたくさんいたと思います。
かくいう僕も訃報関連の多くのRTで、TLが埋まり、
ふと「距離を少し置く自分」がいるのを感じました。
これはとても怖いことで
SNSでは人の死が数十分、
あるいはもしかしたら数分で消費される
「商品」になるのでは? という印象を覚えました。
しかしこれはSNSに限らないかもしれません
ポップアートの先駆者、故アンディ・ウォーホールは
「資本主義社会では人の死でさえも商品になる」と口にしました。
僕はこの言葉が「定着」しないよう願ってやみません。
「知らない人の死でも悲しまないといけない」ということではなく
とある人が「死」を迎えた時、その方の生涯を
リスペクトする心をある程度は持っておいてほしいなということです。
デヴィッド・ボウイ検索で、
ふらりとこのブログに立ち寄られた方
あるいはツイッター経由でこの記事を読んでくださった方
とこの思いを共有出来たら幸いです。
ではでは長文失礼しましたm(__)m
あらためてデヴィッド・ボウイさんお疲れさまでした。
と、ここまで書き終えて読みなおしたのですが、
重い! 暗い! とやはり思いました。
デヴィッド・ボウイ本人なら
「僕の死なんて君には関係ないことだろ?
君は君で自分の人生を生きな」とでも言って
自分の死が酒の肴にでもされることを望んででもいるようです。
+ウォーホールの言葉、これは認めたくはないのですが
一面言い得て妙、ショッキングで的を射てるところもあります。
人間は好奇の生き物ですから仕方ないのかもしれません
物書きさん達の多くは、またはそうでない方でも「人の死」が感動を呼ぶ、
引いては「売り物」、「商品」にもなるということをご存知でしょうから。
もちろんフィクションとノンフィクションを混同してはいけませんが
余りに大好きだった人の死に私情を交えて語るのも良くない。
共感も得られないということも知りました。
今回この文章を読んでいただいて、また書いて考えてみて
あらためて良かったなと思います。
ではデヴィッド・ボウイ、佳曲「スターマン」に乗せて星になれ!
僕も大好きなデヴィッド・ボウイさんが亡くなられました。
ツイッターでも哀悼、追悼の言葉が溢れましたが
正直「D・ボウイ? 誰?」とか「D・ボウイ、D・ボウイうるさい」とか
思った方もたくさんいたと思います。
かくいう僕も訃報関連の多くのRTで、TLが埋まり、
ふと「距離を少し置く自分」がいるのを感じました。
これはとても怖いことで
SNSでは人の死が数十分、
あるいはもしかしたら数分で消費される
「商品」になるのでは? という印象を覚えました。
しかしこれはSNSに限らないかもしれません
ポップアートの先駆者、故アンディ・ウォーホールは
「資本主義社会では人の死でさえも商品になる」と口にしました。
僕はこの言葉が「定着」しないよう願ってやみません。
「知らない人の死でも悲しまないといけない」ということではなく
とある人が「死」を迎えた時、その方の生涯を
リスペクトする心をある程度は持っておいてほしいなということです。
デヴィッド・ボウイ検索で、
ふらりとこのブログに立ち寄られた方
あるいはツイッター経由でこの記事を読んでくださった方
とこの思いを共有出来たら幸いです。
ではでは長文失礼しましたm(__)m
あらためてデヴィッド・ボウイさんお疲れさまでした。
と、ここまで書き終えて読みなおしたのですが、
重い! 暗い! とやはり思いました。
デヴィッド・ボウイ本人なら
「僕の死なんて君には関係ないことだろ?
君は君で自分の人生を生きな」とでも言って
自分の死が酒の肴にでもされることを望んででもいるようです。
+ウォーホールの言葉、これは認めたくはないのですが
一面言い得て妙、ショッキングで的を射てるところもあります。
人間は好奇の生き物ですから仕方ないのかもしれません
物書きさん達の多くは、またはそうでない方でも「人の死」が感動を呼ぶ、
引いては「売り物」、「商品」にもなるということをご存知でしょうから。
もちろんフィクションとノンフィクションを混同してはいけませんが
余りに大好きだった人の死に私情を交えて語るのも良くない。
共感も得られないということも知りました。
今回この文章を読んでいただいて、また書いて考えてみて
あらためて良かったなと思います。
ではデヴィッド・ボウイ、佳曲「スターマン」に乗せて星になれ!