日曜日、中原に誘われて買い物に出かけた由麻が早々に戻ってきた。

 ポシェットを床に投げつけ、ワンピースのレースの裾をひるがえして自分の部屋にこもってしまった。

 詳しくは話していないけれど、中原は何回か来るうちになんとなくわが家の事情を察してくれていた。
学校で声をかけられ、由麻の話題になり、な
りゆきで由麻について相談すると協力すると申し出てくれた。
 ジジが自分より中原になついていることが由麻は気に食わない。
だが、賢い中原は、由麻の気持ちを逆に利用して、ジジの首輪を買いに行こうと
上手に買い物に誘ってくれた。
いころから実家の道場で年下の子供たちの面倒をみてきたという中原は、兄のぼくより由麻の性格を見抜いていた。
中原を嫌う気持ちより、負けたくないという無意識の競争意識が勝って由麻を動かしたようだった。

 しぶしぶだったが時間にきっちり間に合うように出かけたので安心していたのに、一時間もたたないうちに由麻は帰ってきてしまった。

 あわてて中原の携帯に連絡をとるとすまなそうに何度も謝るので、ぼくは恐縮してしまった。

「わたしも理由がわからないの。でも、由麻ちゃんがどうしても行きたいところがあるって言ってたんだけど・・・。ひょっとして由麻ちゃん・・・」

 言葉の続きは聞けなかった。
由麻の叫び声
とけたたましいジジの鳴き声に気を取られ、受話器から耳を離してしまった。

「ごめん、また連絡する」

 あわてて廊下にでると由麻の部屋からばりばりと助けを求めるように扉を引っかく音が響いてきた
部屋に鍵はかかっていなかった。
あわてて扉
を開けるとジジがすさまじい勢いで外に飛び出してきた。

「待って!」

 由麻がかなぎり声をあげて後を追おうとするのをぼくは手で制して、妹の小さな身体を部屋の中へ押し戻した。

「いいかげんにするんだ」

 ぼくが声を荒げると、由麻の指から鈍い色の何かが滑り落ちた。
ハサミだった。
それは
子供が工作に使うようなちゃちなものではなく、母が裁縫に使っていた刃先の鋭い大きなものだった。

 ぼくはショックのあまり呆然と由麻を見た。

由麻が何をしようとしていたのか、考えたくなかった。

 由麻は震える唇を強くかんで、ワンピースの裾をぎゅっと握っていた。

 ぼくら兄妹は、互いに黙ったまま、しばらくその場から動くことができなかった。


 翌朝、朝食の時間になっても由麻は部屋から出てこなかった。
あれからジジも帰ってきていない。

 また中原の家に戻ったに違いない。

 朝食を終えたあと、登校前に由麻の部屋をノックした。
返事はないが、人のいる気配が伝わって
きた。
ぼくは腹の底に力をこめていっきにしゃべった。

「由麻、ジジは中原の家に返すよ。いいね」

 答えはない。

 ぼくはそっと扉を離れ逃げるように家から出た

 放課後、中原を廊下で呼び止め、ジジを返すことを早口で話した。

「由麻ちゃんは納得しているの?」

 ぼくは中原にどう説明したらいいのかわからなかった。
由麻がハサミを握り締めてジジを
追い回していたことなど、中原に聞かせられなかった。

「ごめん。ほんとに、もう、うちじゃジジは飼えないんだ。きのうも、逃げ出してきただろう?もう限界だと思う」

中原は小首を傾げた。

「きのうは戻ってこなかったよ」

中原の言葉にぼくは一気に不安になった。
家に残してきた由麻のことが急に気になっ
た。

ぼくの顔を見て、中原は怒りと悲しみを混ぜあわせたような奇妙な表情になった。

「ジジね、実は何度か貰い手がついたんだけど、そのたびに戻されてくるの。黒猫だからとかじゃなくて、ジジはうちの人間以外に誰にもなつかなかったの。手元に残せることはうれしかったんだけど、なんだか悲しかった。

あんなにかわいいのにって悔しかった。だからジジが由麻ちゃんになついたとき、この子がジジの運命の人なんだって思ったの」

 そこで中原はいったん言葉を切ると、真剣な顔でぼくを見た。

「わたしに由麻ちゃんと話をさせて」




 母親にとって妹の由麻は特別な存在だった。
 ふわふわの髪、少女趣味な母が好きなエプロンドレスの似合う愛らしい顔立ち。
 由麻は、かわいらしいものが大好きな幼い母を満足させることのできる最高の条件を備えて生まれた女の子だった。

 あきれるほどいつまでも子供っぽくて、夢みるように生きる母のことがぼくは苦手だった。
 ぼくが母の意にそわない行動をするたびに放たれる攻撃的な言葉の数々は耐え難い苦痛だった。

「ほんとに、あの人に似て嫌な子ね」

 父が母から逃げたのも無理はない。
 出版社で働く父は、とても忙しい人でわがまま放題の妻の相手をする余裕などなかった。
 いつの頃からか、会社の近くに資料を置くためといってアパートを借り、そこにこもるようになった。
 いまではほとんど帰ってこない。

 父親のいない毎日に慣れていたので、父の不在がぼくと由麻の生活を変えることはなかった。

 ただ、いま思い返してみると、母の由麻への執着が激しくなったのも、父が家によりつかなくなった時期と重なっていたようだった。


毎朝、母は由麻の長い髪に櫛をとおすのを楽しみにしていた。
「お母さん、痛い」
 制服に着替えて玄関に立ったぼくの耳に、今のにも泣き出しそうな由麻の声が聞こえてきた。
心配になってリビングに行き、そこで見た異様な光景にあっと息をのんだ。
 由麻の頭皮は赤くただれ、血がにじんでいた。
 かさぶたになりかけている部分が盛り上がって、そこからまた出血しているのを見て、ぼくはぞっとした。

 母が愛用している櫛は、先端が使い古した箒みたいにぼろぼろになっていて、由麻の長い髪が底のほうでもつれてからまりあっていた。
 頭を押さえてべそをかく
由麻に、母親は怒鳴り散らした。

「あんたまで、そんなこと言うの?」

 感情のままに櫛を床にたたきつけると、母は二階の寝室にこもってしまった。
 由麻は真っ白なソファーに腰掛けたまま、うなだれていた。
まるで陶器でできた人形みたいに、じっとその場から動かなかった。
こういうとき、由麻の長い髪は厚い雲みたいにその表情を隠してしまう。
 ぼくはかける言葉も見つからないまま、櫛を拾い上げテーブルに置いた。
 そうして逃げるように学校に向かった。

 それからしばらくして、母は家に帰ってこなくなった。

そして、その次の日、父からのメールで両親の離婚を知らされた。

 母がいなくなっても、父が家に戻ることはなかった。
携帯に送られてきた数回のメールの
やりとりで、一定の額の生活費がぼくの口座に振り込まれることになった。

 ぼくと由麻は捨てられたのだと思った。


 両親が残した幸福の残骸に囲まれるようにぼくと由麻は暮らしている。
主婦となったぼくが学校から帰って
からする最初の仕事は、由麻のご飯の支度ではなく、ジジが荒らした室内を片付けることだった。
の手製のレース編みの敷物も海外の有名ブランドのソファーも好奇心の塊のジジの爪の餌食にされて、すでに使い物にならなくなっていた。

 ぼくは、すぐに捨てられるものは丁重にゴミ袋におさめ、日付を守ってゴミの日に出した。

 収納棚にずらりと並んでいた紅茶の缶も、次に中原が来るときのために補充が必要なほど減っている。
家事をするようになって、こ
うしたこまごまとした作業が意外に楽しいことにぼくは気づいた。

 母が趣味で買い集めていた食器の数々は、ぼくのおこずかいの何十倍もする代物だったので、百円ショップで使いやすいものに買いかえた。
いらないものをまとめてネットオーク
ションに出すと信じられない額で飛ぶように売れ、母のような趣味の人間が世の中に数多くいることに軽い驚きを覚えた。

 
中間試験の最終日、ぼくはいつもより早く家に帰ってきた。
リビングに入ったとき、
室内の様子を見てぼくはため息をついた。
ンクの毛糸が部屋のあちこちからのびていて電線みたいに垂れ下がっていた。
からまりあ
った毛糸は、蜘蛛の巣さながらにあらゆるものをまきこんでいた。
 片付ける労力を考えると試験で
疲れ果てた頭が痛みを訴えてきた。

 ふと風の流れを感じて、庭に面した窓のほうを見た。
光が斜めにさしこむフローリング
の床に猫みたいにまるくなって由麻が眠っている。 
 小さな手にピンクの毛糸の先っぽを握り
締めていた。
すぐそばにジジもまるまって、
小さな寝息をたてていた。
レースのカーテン
がジジと由麻を包むように風に揺れていた。

 穏やかな光景なのに、ぼくの心は曇っていく。

また由麻は学校を抜け出したに違いない。
母がいなくなってから何度目かわからない
逃走。
学校から父親に連絡がいっているはず
なのに、なしのつぶての父にも腹が立つ。
んな由麻のそばにジジだけがいたわるようによりそっている。
逃げ足は速いくせに、ジジ
は由麻のそばに必ず戻ってくる。

 由麻にはジジが必要と言った中原の言葉が思い出される。
それは暗にぼくの無力さを責
められているように聞こえてしまう。

 風が冷たくなってきた。由麻を起こそうとして手を伸ばす。
その手が思わず止まった。
由麻が
眠りながら泣いていた。
両目からこぼれ落
ちる涙の滴が床に小さな水溜りを作っていた。

 由麻はこんなふうに静かに泣く。
母がいた
ころからそうだった。
由麻は自分を守るため
に感情を殺すことを学んでいた。
そうでなければ、精神が不安定で激高しやすい
母親と暮らしていくことは不
可能だった。
母の前で由麻は自分を殺し続け、
ぼくは逃げることを選んだのだった。

ひきだしからはさみを取り出して、空中でからまりあった毛糸の群れを切り落としにかかった。
まるで深い茨の森に迷い込んだ気分だった。


もうそろそろかなと思って、ミルクを軽く温めてプラスチックの容器に注いでいると玄関のチャイムが鳴った。

「こんばんは」

 夕暮れの空のした、制服姿のままの中原はくすりと笑った。腕のなかに黒いネコを抱えている。出迎えたぼくは彼女の笑顔にいつもどきりとさせられる。
動揺している自分を知られたくなくて、さりげなく目をそらした。

「よかったら上がって。今日はシチューなんだ」

「どおりでいい匂いがすると思った」

 そのとき、ネコが腕から飛び出して、我が家の廊下を一直線に走っていった。

「こら、ジジ!」

 中原がいたずら好きな子供をしかる口調で叫んだ。
すると小さな黒猫は振り返って「にゃあ」と一声泣いて、半開きになったリビングの扉のむこうへと消えてしまった。

「ほんと、ごめんね」

 すまなそうに謝る中原にぼくはとんでもないとばかりに首をふった。
中原の家から貰い受けたとはいえ、ジジはもう我が家の猫である。
迷惑をかけているのはぼくのほうなので謝られると逆に申し訳なかった。

「ジジ!」

 奥の部屋の扉が乱暴に開いた。長い髪をなびかせながら妹の由麻が現れた。玄関にいる中原に気づいて、一瞬敵意に満ちた眼差しを向けると、ジジの後を追うようにリビングへと入っていった。

「ごめん」

 今度は謝るのはぼくの番だった。

 中原がわが家から逃亡したジジをわざわざ送り届けにきたのも、今回が初めてではなく、こうしたやりとりも何度繰り返されたかわからなくなりつつあった。

 ジジはもともと自由な黒猫だったが、その逃亡の原因は妹の由麻にあった。ジジは由麻が自分とおそろいのリボンを無理に首に巻きつけようとしたり、添い寝させようと力ずくで押さえつけたりするたびに弾丸のように逃げ出して、元の飼い主の家に帰っているのだった。
 駅をはさんで反対側にある中原の家まで、歩けば三十分近くかかるので、最初ジジに備わった犬なみの帰巣本能にはなかば感心すらしたものだった。
 それもいまでは迷惑以外の何者でもないのだが、中原と話すきっかけをくれたことだけは素直に感謝していた。

 はじめのころ、ジジを送り届けてくれる中原に、あまりに申し訳なくてお茶でもと誘った。
 母親の趣味のおかげで、うちにはグラム数千円の紅茶が大量に用意されていた。
 種類はよくわからなかったが、見よう見まねで用意してふるまうと中原は大げさに感激してみせた。

「なにこれ、すっごくおいしい」

 あまりに喜んでくれるので、ぼくも調子にのってしまい、次のときにはクッキーを用意し、何回も続けるうちに、今では晩御飯をふるまうに至っていた。

 できたてのビーフシチューを器によそうと、中原は「いただきます」と言うのと同時にぱくぱく食べ始めた。
 おいしそうに食べるその姿を見ていると、料理したぼくまで幸せになれた。

 中原の向かいに座って、ぼくも夕食を食べ始めた。
 とろとろになるまで煮込んだ牛肉をほおばりながら、なにげない仕草でリビングの隅をちらりと見た。
 用意しておいたミルクを、我が物顔で勢いよく飲むジジのうしろに由麻が座り込んでいた。熱帯魚の尾びれのように気まぐれにゆれるジジの尻尾をつかもうと格闘しては逃げられ、悔しそうに唇を尖らせていた。

「由麻ちゃんってすごく長くてきれいな髪よね」

 中原が由麻の背中を見ながら感心したように言った。

「そうかな」

 ぼくはあいまいに答えた。由麻の髪は腰まで届く長さがある。
 見た目はふわふわしているのに触れると滑らかで、小学三年にしては子供っぽい由麻をさらに頼りなく見せた。
 ケーキに乗った砂糖菓子の人形みたいだとよく思う。

 中原は耳元で切りそろえた自分の髪をそっと指でなでた。
 由麻とは反対に中原の硬質な髪は癖がなく、いつも真っ直ぐ整っている。
 ぼくはそれを見るたびに、実直な中原らしいと好感を持った。

「部活やらないの?」

 ぼくが尋ねると中原はちょっと困ったように笑った。

「そっか、吉岡くんはうちの家のこと知ってるんだよね」 

「剣道、もったいないなって思って」

 小学校が同じだったので、中原の家が剣道の道場であることをぼくは知っていた。
 中原の祖父が週に2回小学校の体育館に教えにきていて、小学生のころ、たくさんの子供に混じって防具を身に着け竹刀を振り下ろす中原を何度も見かけたことがあった。

「わざわざ部活でやらなくても、家に帰ったら練習させられちゃうからね。中学に入学したときは知ってる先輩に誘われたけど、どうせなら違うことやりたいなって思ったんだ。でも、結局何がやりたいのかわからなくて、立派な帰宅部になっちゃったけどね」

 それはぼくも同じだった。
 帰宅部という点では。
 ぼくの場合は、面倒な人間関係を作りたくないだけだった。
 部活に入る気なんか最初からなかったし、やりたいことなどなにもない。

「ジジ!」

 由麻が叫ぶのと同時に、ジジが弾むように駆けだして、食事中の中原の膝のうえに飛び乗った。
「にゃあ」と甘えるように一声泣くと、膝の上で幸せそうにまるくなった。
 由麻は今にも泣きそうな顔で冷たいフローリングの床にじっと立っていた。飼い始めて二ヶ月以上たつのに、ジジにとって主はいまだに中原で、由麻とぼくのことは餌係とでも思っているのだろう。

 中原はジジの頭や首を優しくなでたあと、由麻を手招きした。

 だが、由麻は中原をひとにらみすると足早にリビングから出て行ってしまった。

「ごめん」

 ぼくの謝罪はいまにも消え入りそうだった。


 夜になり、街灯がぽつりぽつりとアスフアルトの道路に光の輪をおとしていた。
 ぼくの家から中原の家までの途中に踏み切りがあり、そこまで中原を送ることも習慣となっていた。

 ぼくが守らなくても剣道をやっている中原は十分強い。
しかし、ぼくも男として女の子を夜、一人で歩かせることはできない。
 けれど、そうすると家は由麻一人だけになってしまう。
そういう事情もあって、わが家の屋根がかろうじて見える踏み切りの前まで送ることになったのだった。
 歩きながら、中原はいつも楽しそうにネコの話をした。

「クロロとスノーはね、すっごくなかがいいの。クロロはジジそっくりの黒猫でスノーは雪みたいに真っ白な猫なの。おばあちゃんが昔使ってた編み物のかごにね、毛糸のかたまりみたいに二匹でまるまって眠るんだよ。今年生まれた4匹の兄弟のうち、ジジだけが黒猫だったんだけどね。でも尻尾の形は父親のスノーそっくりなんだ」

 中原は猫の話題になるとかわいらしい笑顔を見せる。
学校ではあまり見せない優しい表情に、ぼくはどきどきしてしまう。

 学校での中原は、クラスの中心的なグループにいるわけでもないのに、不思議な存在感があった。
 幼いころから剣道を習っていたせいもあるのだろう。
 真っ直ぐにのびた背筋やしなやかな肩、硬質な髪、大人びた迷いのない眼差しは同級生たちの誰とも違った。
 六年生のとき、くだらないことがきっかけでクラスの女子が二つに分かれて争ったことがあった。
 ただ一人、どっちの味方もしない中原を二つのグループは必死になって取り合った。
 いつしか、争いに動じない中原を先に手に入れたほうが勝ち、のような空気が流れ始めていた。

「実季ちゃん、いったいどういうつもり?」

 片方のグループのリーダー的な女子が、しびれをきらして中原に詰め寄った。

 ぼくは窓際の席ではらはらしながら見ていたのを、今でも覚えている。

「わたし、そういうの興味ないから」

 嫌味なふうでもなくさらりと答えた中原に、女子の全員が何も言わずに黙りこんだ。

次の日から、女子たちは何事もなかったかのように再び仲良くし始めた。それは中原の存在を強烈に感じさせた出来事だった。

 それまでどこか近寄りがたい雰囲気のあった中原が、ネコの話題になるたびに見せる笑顔はぼくをたやすく有頂天にさせた。
 我が家の悩みの種でしかないがジジがうちに来なければ、中原とこうして話すことなど永遠になかったはずだ。        

でもぼくは中原に言わなければならないことがあった。
 それが中原との付き合いに終止符を打つ言葉であったとしても。   

遮断機が赤く点滅しはじめた。
 甲高い音がして、轟音が近づいてくる。
 電車が走りぬけると、風が巻き上がった。

ぼくは、意を決して、ここ数日言えなかったことをようやく中原に告げた。

「ジジを中原の家に帰そうと思うんだ」

 中原はなにも言わなかった。

「由麻はあんなだし、これ以上はジジがかわいそうだ」

 嘘だった。
 むしろ、奔放に行動するジジがうとましいと思うことさえある。
 それ以上に、ジジに固執して追い掛け回す由麻を見ているのが辛かった。
 母親にあまりに似すぎていた。

「由麻ちゃんを最初に見たのはあそこだった」

 中原は、線路の向こうに見える小さな公園を指差した。

「わたしは散歩に出たまま帰らないジジを探していて、そしたらあそこの公園で由麻ちゃんがジジと楽しそうに遊んでいたの。わたしがジジを連れて行こうとすると、泣きそうな顔になって、ついジジを飼うつもりがあるかって聞いたの。他の兄弟たちはみんなもらわれていったのに、ジジだけ残っちゃっていて、このままずっとうちで飼うつもりでいたの。でも由麻ちゃんを見たとき、この子にはジジが必要なのかもって思ったの。だから由麻ちゃんがいらないって言わない限り、ジジの飼い主でいてほしいんだ」

 ぼくは胃の底に鉛を流し込まれたみたいな重みを感じた。
 初めてジジを連れてきたときの由麻の晴れやかな笑顔を思い出して、息が苦しくなった。

 それは母親がぼくらを捨てて出て行った次の日のことだった。