がんばれがんばれできるできるやれるってがんばれあきらめるなそこだふんばれなんとかなるってがんばれどうもnossimooです。
今日も元気にいきましょう。
さて、本日8月11日は「ガンバレの日」です。
1936年にベルリンで開かれたオリンピックで、アナウンサーが選手に対して「◯◯ガンバレ」と38回繰り返したことから記念日になったそうです。
そんな素敵な「頑張れ」という言葉。
正直私は好きじゃありませんでした(おい
けど今回この記念日を知って、少し考え方が変わりました。
それは後述します。
そもそもなんで好きじゃなかったのさ!!!
っていうと。
私にとって「頑張れ」って言葉は抽象的で薄っぺらい印象があるんですよね。
対象の相手へ適切な言葉を使わなくても、その場は済んでしまうような。
そんな言葉に感じてしまうんです。
本来は誰かへ向ける励ましの言葉のはずなのにね。
まぁでもそんなのは私が勝手に思ってるだけです。
当然誰かに「私はあなたに頑張れとは言いませんから」とか自分ルールの押し付けはしません。
それになんというかややこしいんですが「頑張れ」という言葉に対してのイメージと、言われた時の感覚とは別でして。
私自身「頑張れ!」と言われて嫌な気分にはなりません。
単純に「ありがとう、頑張ろう」と思います。
逆に私も誰かに向かって「頑張れ」と伝えることだってあります。
でもなるべくは代わりの具体的な言葉で伝えるようにしています。
少し昔の話になりますが、学生の時なんかは友達が「今日ライブ演奏なんだー」なんて言うと私は「緊張するだろうけど楽しんでー」と送り出してました。
で、最初に後述しますと書いた件ですが。
今回の記念日とその理由を見て「頑張れ」と一言伝えるだけか、何度も繰り返して伝えるか、で結構違うんだなーと考え直しました。
あるいは1人で言うか大勢で言うかでも違うんだなと。
更には言う「人」にもよりますしね。
と、こうやって色々考え直すとあれかな。
私が「頑張れと言う言葉は好きじゃない」と思っていたところの本質は、あくまでも言葉の意味的なところだけだったのかな。
それかあまりに使われすぎていて、言葉の価値を軽く感じていたか。
応援はするしされるし回数や人数や関係性で効果が違うのも理解できます。
結局のところ人って気持ちで動く生き物でもありますからね。
人間が創り出した「頑張れ」という言葉としての意味と、それを使ってきた歴史の中で出来上がった「頑張れ」という音やシチュエーションが与える活力とは別だと。
そう思いました。
なんか自分すげぇめんどくせぇやつみたいになってんな。
普段からこんなこと考えて生きてるわけじゃないですからね。
どっちかっていうと行き当たりばったりな人間っスよ。
座右の銘は「人生結果オーライ」。
うん。
したっけ。