慰安婦決議案、共同提案者100人超す・米下院
米下院で審議中の旧日本軍によるいわゆる従軍慰安婦問題で、日本政府に謝罪を求める決議案の共同提案者が5日までに100人を超えた。安倍晋三首相の訪米後に9人増えて102人となり、決議採択を目指す市民グループなどは120人を目標としている。マイク・ホンダ議員が1月末に提出した当初の共同提案者は6人だった。(ワシントン支局)
共同提案者が100人超えましたね。賛同者が@116人出るとアウトだなぁ。
安倍は何してんだか。
そろそろ・・・
この問題は諸刃の剣だという事を思い知らせてやれ!
RAA(Recreation and Amusement Asssociation 保養慰安協会)設立
進駐軍を迎えるにあたって、日本政府は性の侵略ということを恐れた。「善良で清純な婦女子を守るために」東久邇(ひがしくに)内閣は、一億円という当時としては巨額な資金を投じて特殊慰安施設(政府肝いりの売春施設)の設置を決行。のちに総理になった大蔵省主税局長・池田勇人は「この程度の金で大和撫子の貞操が守られるならば安い」と言ったとされる。
日本全国の都道府県に「外国駐屯慰安施設等整備要項」という指令が飛び、公娼、私娼、芸妓を中心に慰安婦集めがはじまった。九月下旬になると全国紙に慰安婦(接客婦と呼ばれた)の募集記事まで掲載された。「女子事務員募集。年齢一八歳以上二五歳まで。宿舎、被服、食糧支給」というのがうたい文句で、一六〇〇人が応募したという。みな普通のお嬢さんたちだった。そのうち採用されたのは一三六〇人。三ヶ月後には七万人に達したという。
RAAは東京都内および熱海だけの限定的な組織だったが、首都圏のみならず、他の府県でも警察が独自の売笑組合を組織していた。当局は、ベッドやふとんの用意はもちろん、長襦袢や腰巻、洗面道具や桜紙、さらに食糧やコンドーム(「突撃一番」という名前の旧日本軍の官製品)の特別配給までして大々的にバックアップした。
そうして小町園は九月八日から営業を開始するはずであった。しかし八月二八日、一般の日本人でさえ知らないはずのこの施設をかぎつけた数名の米兵が乱入。従業員を暴行した上、女たちを強姦したのである。時間にして三十分程度だったらしいが、慰安婦の半分は処女で外国人を見るのもはじめてという者ばかり。地獄の釜がふたを開けた瞬間であった。それでも中居が米兵からひとり百円ずつ(当時の相場の二十倍)集めたというが、そんなものが何になるだろう。
翌日から小町園には連日連夜、米兵が押し寄せてきた。GIはガムを噛みかみ順番待ちをした。部屋うちではなかば監禁状態の女たちが、休む間もなく兵士にのし掛かられていた。性風俗ライターの平岡敬一は、小町園で働いていたメアリーという名の娼婦から「最高記録は一日で五十五人。悲しいとか、情けないとか、そんな人間らしい感情は消えたわよ」と聞かされたそうだ。慰安婦ははじめは三十人いたが、その半数は三ヶ月もたなかった。すぐ百人に補充されたが、いたずらに犠牲者を増やすばかりだった。
RAA情報課長だった鏑木清一氏は
<生娘が黒人や白人の相手をしたわけだから、かわいそうと言えばかわいそうだった。たしか、三井銀行の事務員をしていた娘さんだったが、黒人兵が初めての客で、気が変になったんだろうね。京浜急行の電車に飛びこんで亡くなったね。でも、これは秘密にしなけりゃいけないから、私たちが密葬したよ。かわいそうなことをした。でも、彼女たちのおかげで少しは日本の女性も守られたんじゃないかな。そう思わないと、彼女たちは浮かばれんよ>(いのうえせつこ・著『進駐軍慰安所』より)
と述懐している。
RAAの施設は立川、調布、福生、青梅などにも次々とつくられた。慰安婦は消耗品扱いだった。慰安所は良家の子女を守るための施設であり、政府としては下層階級の女がどうなろうが、構わなかったのである。昭和二二年三月まで日本は階級社会で、公爵・侯爵・伯爵といった華族や財閥の子女らが君臨していた。政府にとって重要だったのは、上流階級の娘たちに危害が及ばないようにすることだったのである。
東京だけが特別だったわけではない。横浜の慰安施設第一号は山下町にあった「互楽荘」という文化住宅(アパート)で、本牧、真金町、曙町などの遊廓からかき集められた八〇人あまりの女たちがはたらいた。
互楽荘オープン前日にあたる八月三一日の夕刻、百人を超える兵士が三名の係員にカービン銃を突きつけて上がり込み、そこにいた一四人の女たちを蹂躙した。翌朝、泥靴の跡も生々しい女たちが、虫の息で転がっていたという。
さらにオープン二日目。黒人からひどい目に遭わされたことのある娼婦が黒人兵に当たってしまった。嫌悪感をあらわにして嫌がる女。強姦同然の粗暴さで迫る男。恐ろしさに逃げようとした女を男が追いかけ、首を絞めて殺してしまう。そこへMP(Military Police米軍の憲兵)が駆けつけ、逃げる男を射殺する。オープン二日にしてこの惨状。神奈川の慰安施設第一号はその日のうちに閉鎖され、「善良で清純な婦女子を守る」試みはもろくも崩れ去ってしまった。
しかし兵隊たちがオープン前日に乱入して日本の女たちを半殺しにしたことも、殺人事件のあったことも、GHQ(General Head Quarter連合軍総司令部別名SCAP)がすべて握りつぶしてしまったため公にされることはなかった。
RAAが存在していた期間の一日平均の日本人女性に対する強姦・暴行件数は約40件、RAAが閉鎖されて以降は1日平均330件に上ったという。
ちと加筆しておく
8/9:ポツダム宣言受諾がアメリカに伝えられる
8/10:アメリカよりポツダム宣言受諾後はGHQ支配下になる旨通知
8/15:ポツダム宣言受諾を勅令として発せられる
8/18:慰安所設置命令
米側の要求若しくは命令かどうかは、議論は判れるが、GHQ支配下で日本側が単独で行ったとは言えない。
GHQは日本側による慰安所設置を承認したと見るのが妥当。
戦時中の慰安所が問題であるとするならば、占領下の慰安所も問題にすべき。
マイク・ホンダに限らず、占領下のGHQを美化する「自称文化人」がメディアや日教組にはたくさんおられます。
が、実態はこんなもん。