やっほー
乃下未帆です
忘れもしない6年前のあの日。
当時VIC:CESSでやっていたレギュラー番組のため早めに会場入りした木場の蕎麦屋。
私は大好きなとろろ月見そばを注文した。
そう、私は蕎麦が好きだった。
異変に気付いたのは食事を終えたその後だった。
喉がかゆい。
猛烈に、かゆい。
そして扁桃腺が重い。
これはもしや…
そ・ば・ア・レ・ル・ギ・ィ☆
その時思い出したのだ。
父方の祖母が蕎麦アレルギーだと言うことを…!
幼い頃休暇を軽井沢で過ごした私は
蕎麦が大好きであった
故に、ショックはでかかった…
後日、改めて検査をした。
が、
蕎麦アレルギーの反応は無く…
しかし父方の祖母に似てると言われることも多かった私は、
科学の力を信じることができず、
あの日を最後に蕎麦人生を終える決意をした。
体調が悪かったのか?
…いや、そんなことはない。
とろろか?
…いや、その後も食べて何もない。
食物アレルギーの中でもぐんをぬいて危険とされるそばを、病院で違うと診断されたからといって食べる勇気がなかった。
そこから、私の「エセ蕎麦アレルギー人生」が始まった。
時は流れ、2019年7月。
私も大人になった。
日本酒がおいしいと飲める30代に突入。
そんなとある曇り空の日。
母に渡すものがあるので、知人のお店で合流することにした。
日本酒と、マスターのクマさんが作る絶品料理と、
蕎麦が美味い店だ。
私はシメの蕎麦をスルーし、
ご飯で終わらせる予定だった。
年越しをラーメンやうどんで過ごし、
引っ越しはケンタッキーでしのいできた。
でももうそんな生活終わりにしたい!
曖昧な「エセ蕎麦アレルギーな私」から卒業したい!
最後に蕎麦を食べたあの日から約6年。
ずっと抑え続けてきたパンドラの箱。
気がつくと私は、蕎麦を頼んでいた。
思えばこんな自分の店で一か八かのアレルギーチェックをされたら、
クマさんだってたまったもんじゃない。
恐る恐る一本啜ってみる。
そこから、二本、三本…
気がつけば完食し、蕎麦湯を飲んでいた。
私の積年の思い、そして抑圧された蕎麦への欲望が解放された瞬間は、あまりにもあっという間だった。
数分、数時間、数日と様子を見たが、
これといって症状は出なかった。
そして堰を切ったように、
気付けば本場で蕎麦を食べていた。
これでもう、蕎麦アレルギーといいながらサービスエリアや立ち食い蕎麦屋で同じ釜で茹でられているうどんを平気な顔をして食べた時の絶妙な後ろめたさからもオサラバだ。
そば殻、そば茶も大手を振って近づける。
日本酒に蕎麦。
大人の愉しみがまた増えた私であった。
おまけ
蕎麦屋にあった銀行のうちわ
バスドラ届くの?
アンプの後ろで歌うの?
観客はなんでジャンケンしてるの?
ラッキーちゃんはメンバーなの?
照明さんがメンバーなの?
羽出さずに飛んでるの?
それとも右半身のみで捕まってるの?
闇は深い。
(み)