やっほー。
乃下未帆です。


昨日は 中野 劇場MOMOにて舞台「アイイジョウ」を観劇してまいりました!
(千秋楽が終わったということでネタバレ多分に含みます)


実はフライヤーイラストおよび手タレでちょっこり関わっていたんですねーハイ。

作はイッショウガイの若林佑真センセー。


今回は「異常」「囲繞」「委譲」と3つの「愛イジョウ」が絡まっているわけなのですが、
もっとヘビーな内容を想像していたので

感想としては単純に見やすかったなーという印象。
 
これはきっと若林の天衣無縫な明るさと、「ハッピーは世界を救う」イズムがなせる空気感なんだろうなとすぐ思いました。

私は「異常」にものすごく鈍感なので、
突き詰めて考えるとナチュラルに人を愛せず凝り固まった愛にまみれた由佳がどうしようもなくイライラした!笑
(由佳as花瑛ちほ)

その描写より、
ずっと「いい子」を演じようと耐えてきた由佳の心情がものすごく苦しくて、幼少時の由佳が吐露していく訳なんだけど、きっと由佳にとって「いい子」でいることは最善策だったし防衛的にそうしてきたんだと思う。

周りの優しさが優しさじゃない時もきっとあって、それをマキがぶつけてくれたりもするんだけど、結局自分で気付けないことにはそのパンチもただの打撃で終わってしまうわけで、人間ってめんどくせーなーって思った。




武の愛は「囲繞」という形で表現されていくんだけど、どう転がっても可愛すぎる彼女をそりゃ野放しには出来ないよなーって
でも依存だったり囲繞だったりで完結してしまう感情は「自信のなさ」だし、
武がまだあの程度の優しい囲繞でよかったなって思った。
(こんな可愛い子ほっとけない!
美憂as北条佳奈)

もっとドロドロして、もっと汚くて、もっと深海に溺れていく怖さが愛囲繞にはあると思う。
けどきっとそうならない武だから、天真爛漫な美憂と一緒に居られるんだと思う。
もっとヘビーだったら美憂と共依存になってメンヘラ彼女が出来上がる、はず。笑

そーゆー意味では美憂は本当に強いなーと思った。
あの混じりっけなしの明るさと優しさを持っていたから共依存しなくて済んだんじゃないかな。
うざい!とかいいつつ気づかぬうちに「でもそこが好き」みたいな、母性を感じた。
それは由佳に対してもそうだよね。


父親の「委譲」は、いつのまにか由佳に染み付いて、教訓や店やいい子でいることで、常に父親を感じていたかったはずだから、ある意味父親の理想を生きた由佳が出来上がったと思うんだけど、
だから委譲に委ねられたんだよね。

「本当はこうしたいのに」がカツカレーに凝縮されていたと思うんだけど、由佳の「誰かの理想に生きる」という生き方はきっとマイナスなだけではなくて由佳を助けてくれたはずだから、由佳は朝ごはんが自分の食べたいものを聞かれる方がストレスになったりしないのかなって思った。

あなたの食べたいものでいいよ、あなたの生きたいようでいいよってシチュエーションは私も凄く苦手で、「あなたは何がしたいの?」を伝えることにものすごいストレスを感じてしまうから、最初のアクセルは欲しい!でもハンドル切るのはじゃあ私がやるねって、そんな生き方の提案をしてあげたくなったな。


そんな中でヒロトの存在は今回の作品の助け舟的で、この子がこの子でよかったなって思った
(ヒロトas土屋シオン)

ツイッターにも書いたんだけど、ヒロトの誰も悪者にしない感じが、逆に闇を感じてヒヤヒヤした!
美憂がヒロトと由佳お似合いじゃない?って言ってたのの真意はそこにあるような気がして、ヒロトの明るさに闇を感じるというか、周りに合わせたり空気を読んだりしてる姿が由佳とリンクしてたんじゃないかなー(わたしにはそう見えた)
あの子きっと家に帰って反省会とかしちゃってるタイプなんじゃないかなーとか。
ラインの一言とかで病むタイプなんじゃないかなーとか、深読みした。笑




愛することにも愛されることにも誰も自信なんかなくて、そんなもんに自信なんか必要ないのかもしれないけど歪んで拗らせても結局そうしたのは「自分」で、
知らずのうちに毎日なにかを選択して生きていると思うから、幸せを見失った時はそんな自分の選択を、ちゃんと愛せるようになったらいいなって思いました。
理想論だけどね。

絶望感とかやるせなさとか、我慢とか、そんなもの周りにゴロゴロ転がっていて、拾うも自分、感じてしまうのも自分だ。
そうなった時に差し伸べられた手にさえ嫉妬したり猜疑心にまみれたりするような汚さもあると思うしね。


形を探ってるうちは見えないのが「愛」。
形にこだわって形成するもまた「愛」。


あぁ、人間ってめんどくせー!笑





(み)