受験4日目、息子は朝からS中の3次試験を受けました。
相変わらず、朝は何度も声をかけて、やっとベッドから起きてくる状態で、やる気は感じられず。
よく言えばリラックスしたいつもの状態ですが、悪く言えば(というか普通に見れば)、緊張感がなく緩んだ状態。
昨日の海城に続き、今回も私が学校までアテンド。
渋谷から渋24系統のバスに乗りましたが、利用者も少なく、道も空いているので、5分くらいで三宿の停留所に到着。
こちらも、文化祭等で何度もお邪魔しているので、道に迷うようなこともなく、すんなり学校に到着。
息子は、道すがら、「とうとう来てしまった」ということを何度も呟いていました。
どうやら受験すること自体にあまり気が進まない様子。
これが最後の試験になると可能性が高く、最後なので頑張りなよ、と励ましてみても、「嫌だー」とぶつぶつ。
現状、合格をいただいているのは、K中難関大コースのみである、という現実を、本人がどう考えているのか、いまいち分かりませんが、とにかく、試験を受けるのは気が進まないようで・・・。
学校の校門の近くでは、お父さんが息子さんに気合を入れている親子を見かけました。声は聞こえませんでしたが、「お前はできる、ここは絶対に合格するぞ、いいな」「うん、わかった」的な感じで、お父さんの檄に息子さんも、真剣な顔つきで頷いている様子。
それに比べるとうちの息子は、どうみても本気度が足りない・・・。
息子を校内に送り届け、私は一旦帰宅し、終了時間の12:30前に、また迎えに戻りました。
試験が終了し、子供達が校舎の外に出てきました。
割と早めの受験番号をゲットしていたこともあり、息子はほぼ先頭を歩いて出てきました。
最初の一言は、「あー、疲れた」でした。
その後、こちらは特に聞きませんでしたが、息子の方から、「国語の論説がものすごく長くて、途中で睡魔が襲ってきたよ」とのこと。
その瞬間、なんとなく悟りました。こりゃダメだろうな・・・。
今日は12:00から、昨日の海城2次試験の結果が発表されています。
海城は、もし合格していれば、その日の16時までに入金手続きを完了させる必要があるため、できれば早急に合否を確認した方がよいのですが、海城1次試験の時と同様に、息子に最初に確認してもらいたいので、家に帰って、妻と共に一緒に見ることにしました。
本人的には、1次試験の時に比べれば多少自信があったようですが、結果は、「残念ながら」でした。
これで息子の海城へのチャレンジは終了しました。
あれだけ何度も足を運び、新理科棟の前で写真を撮り、シャーペンを揃えていた海城にはご縁がありませんでした。
本人は、泣くこともなく、案外けろっとしていました。
が、すぐに自室に引き上げ、どこか浮かない様子だったので、内心はそれなりにショックを受けていたのだと思います。
翌日5日は、実は本人が割と気に入っていたH中の3次試験もあり、状況によっては受験してみるか、という思いもありましたが、本人に聞いてみたところ、「もう受けたくない」の一点張りなので、それ以上、強く勧めることはできませんでした。
そんな状態で受験しても、合格するはずもないので・・・
19時になり、いよいよ最後となる、S中の結果発表です。
今回も息子がクリックします。
さて、どうだ!?
結果は、またしてもグレーの背景に「残念ながら・・・」の文字でした。
この瞬間、息子の3年間に及ぶ中学受験は終了しました。
初日のK中難関大コース以外は全て「残念」でした。今思えば、初日に合格を頂いていて、本当によかった。
子も親も、2日目、3日目とどんどんきつくなってくるので、これが合格なしの状態だったら、どれほど辛いことだろう・・・。
妻も私も、とても晩御飯を作れる精神状態になく、また、合格をもらって終わったからには、ちゃんとお祝いすべき、という思いもあり、晩御飯は外で食べることにしました。
息子には、特に本番直前くらいから本番期間中にかけて、反省すべき点が多いと感じてはいますが、とにかく今は、長い戦いの終了を労うとともに、合格をお祝いしました。
翌日、息子は久しぶりの学校ということもあり、妻も弁当作りがあるため、いつもより少し早めに就寝しました。
夜中、家族が寝静まったリビングで、私は涙が止まらなくなりました。
どうして第1希望の合格を勝ち取らせてあげられなかったのか。
息子が親の言うことを素直に聞き入れられない性格であることはずっと前から分かっていたことで、それならそれで、何かうまい方法があったのではないのか・・・。
そう考えると、自分の対応のいけてなさ、現状認識やツメの甘さが情けなく、息子に申し訳ない気持ちが込み上げてきました。
海城に行くことが、息子にとって本当にベストなのかどうか、そんなことはもちろん分かりません。
久我山だって素晴らしい学校で、おそらくは息子と同じくらいの学力の子供達が集まっていることもあり、切磋琢磨しながら掛け替えのない6年間を過ごすに違いありません。
であれば、現段階の第1希望の学校に入れないことは、そこまで重要ではないだろう、とは思っています。
が、しかし・・・。
ちょっとだけ救われたのは、夕方、息子が、グノに通った日々について、「自分で行くと決めたしな」と言っていたことです。それに加えて、過去問等の対策で、「算数だったらいくらでもやるよ」と言っていたことです。これは、これまでの息子からは考えられない一言です。どちらかと言えば、国・社よりは算数・理科(計算系)の方が得意ではありましたが、受験の最後になって、算数の問題を解くことが面白い、という感覚を持ってくれたということ、これだけでもこの3年間の意味があったというもの!
おそらくは、今後は、息子は自分の判断でポイントごとに進路を決めていくことになるんだろうと思います。
そして6年後、S中に行ってよかったなぁ、と息子が思ってくれたら、やっとそこで救われるような気がします。
私は私で、なんとかそうなるように、できる限りのサポートしていくことを心に誓い、いつもの生活に戻ることにします。
(この1週間は、仕事は休暇をとっていたので・・・)