~景陽山と号し、臨済宗。
はじめ伊勢国大島村にあって西明寺といったが、天正年中(1573~)織田信雄が、父信長の菩提のため清須に移し、僧忠嶽を開山として今の寺号に改めた。慶長16年(1611)清須からこの地へ移建した。
寺宝に信長公ゆかりのものが多く、織田信長公画像はじめ9点が県指定文化財である。
なお、明治4年(1871)ここでわが国初の博覧小会が開かれた。 名古屋市教育委員会~(案内板より)
景陽山 總見寺
名古屋市中区大須3-23-38
~景陽山と号し、臨済宗。
はじめ伊勢国大島村にあって西明寺といったが、天正年中(1573~)織田信雄が、父信長の菩提のため清須に移し、僧忠嶽を開山として今の寺号に改めた。慶長16年(1611)清須からこの地へ移建した。
寺宝に信長公ゆかりのものが多く、織田信長公画像はじめ9点が県指定文化財である。
なお、明治4年(1871)ここでわが国初の博覧小会が開かれた。 名古屋市教育委員会~(案内板より)
景陽山 總見寺
名古屋市中区大須3-23-38