宗教の本尊は宇宙本体であり、宇宙大生命と宇宙大精神をもって、この三位一体の極徳を得ることをいう。宗教に対する定義の真実性を理解することが信仰の前提条件である。宗教の何たるかが判然と理解されるならば、世界を宗教化する意義も自然にわかるのである。宗教は宇宙大精神を世界に光被し、全人類を感応せしめ、過不足・不公平のない世を現出して世界平和の基礎とすることにある。換言すれば66億人類の悉くがその立場において生かされ、個人的にも集団的にも自然の大道に従って行動するに至る道標、燈明が宗教である。
表現に方法が絶無であるのが宇宙の本体であり、これについては古来如何なる聖人といえども、これを完全に知り得た者はない。また神によってこの一部を視せられ覚らされた者があっても、これを人に伝え移すことは困難である。わずかに神典・聖書として、その消息の一部を文字に現わして、天界事象を彷彿とさせたものに過ぎないと看なければならない。大乗教は宇宙の真理を説くものである。時の無限性を考え広大無辺の実体を観察して、また神聖なる微妙不可思議の働きを考えて、宇宙造化作用が如何に美麗・精巧であるかを現わし、色々な方面から神の真相に触れる。一方、人の観念には種々雑念があり、これに捉われるから真相を理解することは難しい。この乱れた心から脱するよう方便的に説かれるのが小乗教である。小乗教は嘘というのではないが、知識教である。道に就かせ、罪・穢れで歪められた観念を真っ直ぐにするのが目的である。この小乗教から大乗教への順に真相をもって導くものである。
本来、神には善・悪はない。過去・現在・未来の差もないし、遠・近、大・小、明・暗も一如であると説く。今日の人には中途半端な者が多く、大乗教の真は呑み込めず、迷う人があることは残念である。人は目先の学問・知識に迷信し、自我心に捉われなかなか徹底しない。大言壮語して如何にも徹底したように宗教を倫理的に述べても、事実に何らの感化力のない教となっている。単に倫理や道徳を説いて宗教と称するものが多い。神や仏の名を用いても決して宗教とはいえない。人造教は人知であり哲学である。宇宙大精神の根幹を説いたものが宗教であり、真理の一部、枝葉を説くのは宗派である。教は大精神を人意を加えることなく、そのまま説くべきである。宇宙の大霊に触れ造化の妙機に参じ、活ける道に進むのが宗教である。宇宙本体は決して固定した教典に収められないのである。信条を作り束縛しては教にならない。生きて働く教が最上の教である。