古事記の由来は、今から2000年程前、和銅4年9月18日、天武天皇は太安万侶(おおのやすまろ)に詔して、稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦(よ)むところの勅語の旧辞を撰録して献上するように言い渡されたとされる。その時代までに伝えられていた帝紀・旧辞が正実とは違い虚偽が加わっていたので、改めて真実の正しいものを後世に伝えたいとの天皇の御精神であったという。「時に稗田阿礼という二十八才になる人があり、非常に聡明で目に度(わた)れば口に誦み、耳に触れれば心に記す」と記されている。

 このように記された古事記の由来は非常に立派であり、かかる仕事を託された太安万侶が、古言の真義を誤りのないように現わすための漢字を得るのに困難をきわめ、訓読みに記述すればその意義は古語の真精神に触れず、また全部音読みに書き連ねれば字数が長くなる。故に音訓を交え用いて書き表わすなど、並々ならぬ苦心をして翌5年5月28日に献上したとある。

 この解釈を更に奥深く精神的にきわめて観ると、稗田阿礼とあるが、稗田とは日の枝、即ち天津日継ぎをいったもので、阿礼とは我(われ)ということで、ただ一人を指したものではなく、宇宙真理の教を継承してこの地上に働く使命の人々を指したものである。その誦むところを撰録した太安万侶は苦心して書き表わしたとはいえ、人間知識の力で書いたものではなく、最善の真心を尽くして自然の神懸かりによって書き表わされたものなのである。