食堂にて
昼休みである。僕は三人の友人と共に昼食をとっていた。今日のメニューは(メニューと呼べる代物であるかは微妙なところではあるが)「天津マーボー」である。普通の天津飯に麻婆豆腐をかけたもので、これがかなり美味なのである。値段も苦学生には嬉しい二百円である。僕は昼食のみならず、夕食までも「天津マーボー」で済ませることが多い。ここの食堂はかなり遅くまで営業しているので、授業が終わり一度下宿先に帰った後でもわざわざ食べに大学まで戻ってくることが少なくなかった。
「あの娘、もうちょっとでパンツ見えるぞ」
三人の友人のうちの一人、相原が目を細めて言った。こいつは普段からこんなことばかり言っているやつだ。この春大学生になったばかりだというのに、もう授業に顔を見せなくなっている。合コン三昧の毎日だそうだ。彼自身なぜか誇らしげにそう言っていた。
「見えたぁ」
興奮を押し殺すように彼は小さく叫んだ。他の二人も、どれどれといった様子で目を細める。馬鹿丸出し三兄弟である。ある男の手記⑤
ある男の手記④
ある男の手記③
ある男の手記②
私は今やあの暗黒の日々から抜け出して大学生であります。両親とも医者でありまして、子供のころからいわゆる英才的な教育を受けてきました。その甲斐があり今春東京大学の理科三類、つまり医学部に合格することができました。それに伴いこの四月から東京で一人暮らしをしております。これを機にわが身を律して精進していきたいと思います。また東京大学は両親にとっての母校であります。そのこともあって両親から或いはご親戚の皆様方から私も強く強く勧められておりました。以上の経緯で私もこの合格を大変喜ばしいものであると思っております。私が合格できたのはやはり私に幼いころからすばらしい教育や躾を施していただきましたお父様お母様のおかげなのであります。本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。有難う御座いました。これからも一層精進してまいります。
肌寒さよりは心地よさが感じられる毎日が、ようやく最近になって続いております。入学の手続きもやっと一段落いたしました。教科書、参考書なども全て揃え四月から始まる授業に対する準備も万全であります。身の回りのものも一通り揃えることができました。下宿先の周辺での生活に便利な飲食店や雑貨店、書店等も大体は頭の中に入っております。合格から約半月。私の身の回りの雑多な手続きが全て完了いたしました。入学式まではあと十日もあるので読みかけの本を読みきってからあの憎き三人組の、まずは三好裕樹を処刑しに行きます。
ある男の手記①
「これからは、自分のやりたいことを好きなだけ目いっぱいやりなさい。そして、立派な大人になるのです」卒業式が終わり、最後のホームルームでの担任の言葉であります。そのとき周りのクラスメートは演出家に演技指導をされている新米役者のごとく真剣にコクコクとうなずいて、目に涙を浮かべていました。私はこんな光景は大嫌いなのです。いつもはぼろかすにけなし、呼び捨てにしていた担任をこんなときだけ崇拝するように見上げているクラスメートを見て、あぁ人間とはこうも感受性の強い生き物であったのかと冷静に分析してみたり感心してみたり呆れてみたりしていました。その後は冷ややかな目で偽善者達をただ眺めていました。冷ややかな目とは言っても、私は決して表情にはそれを出しません。私は常に無表情でおります。その証拠に、高校時代での私のあだ名は「土偶」でありました。それは明らかに私の外見上の特徴を暗に意味するものであります。無表情。私はこれだけです。私は自分以外の何者にも危害を加えるつもりはありません。無表情はそういった私の気持ちの一端を担ってきたといっても過言ではありません。しかし、世の中には色々な人間がいるもので、誰にも、ましてや動物や植物にさえ何の影響も及ぼさない私のこの表情をすることを心底嫌う人たちがおりまして、攻撃を加えられたこともありました。その攻撃、いや宣戦布告なしの一方通行的戦争と言ってもいいでしょう、或いはシンプルに拷問といってもいいでしょう、それは本当に筆舌に尽くしがたいものがありますので、その内容についてここで述べることは慎ませていただきたいと思います。ただ、どうか名前だけは挙げさせてください。相原、坂下、三好。この三人に私は攻撃を受けました。他にも数人不条理に、不当に私を扱うものたちもいたのでありますが、私が認識するにこの三人が主でありました。この憎き三人組がいなければ私の高校での生活はまだましなものであったことでしょう。彼らから初めて攻撃を受けたとき、慎重に慎重に私は今自分が採用すべき行動を考えました。その結果私がとるべきと判断した行動、それはただひたすらにその攻撃に耐え続けることでありました。毎日毎日良く耐えました。逃げも隠れもせずに男らしく本当に良く耐えました。
