事故の瞬間って、スローモーションに感じるって、良く言われますが…本当でした。
いつもの幼馴染とアルバイトの帰り道、国道の片側3車線の直線路の追い越し車線を飛ばしていたら、なんと!配送車が横を向いているのを前方に確認
中央分離帯の工事で出来た空間を利用して、反対車線に行こうとしていたようです。
バックミラーで横の車線を見ると、車が何台も来ているし…車線移動が出来ない
思わず、ブレーキングと合わせて、スーパー・シフトダウンをさせながら、ロックを防いでスピードを下げたけど…
30mは飛ばされたみたいでした。
当る瞬間の手前5m位から、当ってハンドルに足があったって、空中を回転して、地面に叩きつけられるまで、ほんの数秒の出来事が、スローモーションでハッキリと覚えていました。
レース用のヘルメットに、グローブ、ブーツ、そしてライディングジャケットを着ていたのが、幸いしました。
フラフラになりながら、中央分離帯に腰かけ、グローブを外して、ヘルメットを脱いで、まず耳、眼、鼻から出血していないかを確認し、無血だったので、ヘルメットの中にグローブを入れ、足の痛みが感じられたので、ブーツを脱いでいたら、幼馴染が盛んに声をかけてくれてくれていたのですが…キーンって耳鳴りがしてよく聞き取れない状態でした。
幸い事故現場のまん前が、ガソリンスタンドで、目撃して直ぐに警察と救急車を呼んでくれたので、救急車で病院に運ばれる事に…今で言うたらいまわしだったそうです。救急車の中で色々と質問されたけど…答えた家の電話番号は、なんと元カノの番号だったらしいのです。う~ん自宅の電話番号も忘れているのに…反省
瞬間記憶喪失って本当にあるんだぁって思いましたよ。
そして、朦朧として診察ベットで寝かされている時に、母親が来て医師と話をしている声だけが、聞こえてきました。「脳挫傷だと言えます。精密検査をしますが・・・今晩が山です。今晩容態が急変したら、諦めて下さい」と言われた母親は、泣き崩れていつの間にか来ていた姉に「しょうがないじゃない。直ぐに死ぬわけじゃないし、死ぬって確約されたわけじゃないから」って励まされていました。
死ぬ!って、とうとう死ぬ事になるんだなぁって思っていたら、眠りについて病室に運ばれてました。
元カノが仲間内の皆に連絡したらしく、夜には見舞いの友人達が集まってきて、看護婦さんがついた状態で、会って話をしていたら…なっなんと目の前がクラクラしてきて、朦朧としてきたら
…看護婦さんが大慌てで医師を呼ぶは、友人を帰すは…そしたら何本かの注射器を打たれてしまいました。
そう、寝たら死ぬんだって思っていたら、起きていなきゃって努力していたにも拘らず、眠りについていたのです。
その時、初めて命乞いをしました。「今ここでは死にたくない!何としても生きていたい!」って。
翌朝、枕が涙でビショビショになっていたけど…生きていました。全身に痛みを感じた事から、本当に生きているんだなって感じた時でした。
それから、1ヶ月間の入院生活が始まり、叩きつけられた事に対する外傷・内傷の検査や治療、脳挫傷で平衡感覚を失った事に対する治療やリハビリの日々。
お見舞いに来てくれた友人知人と元カノ達に感謝してました。いつも、煙草の差し入れをしてくれていたのですが、婦長さんに見つかり大目玉をくらったり、元カノが来た時に父親と鉢合わせ、その前の元カノが来てくれた時には、父親の友人と鉢合わせ、違う女性なのに、ファッションや髪形とかが似ていたせいか、父親と父親の友人は、同一人物で将来結婚させるか否かまで論じていたのには、笑ってしまいました。
一度だけ、外出許可が出て、伸び放題の髪の毛と髭を整える事が出来たついでに、知合いのパブのオーナーの所に挨拶に行って、時間前にお店でグビッとしたり、喫煙したり、結構たちの悪い未成年の患者でした。
ついに退院の日がきました。自分の家に帰ると、その時のヘルメット類を見ると、やはりレース用の物を使っていて良かったと思うほど、インナークッションは中身を守るために、ボロボロに!グローブは手の平の部分が二重になっていたのが、一枚は擦れて剥がれかけていたし、ジャケットの背中はコンクリートで擦れて焼け焦げていたし、最後にブーツは、踵のガード材が見える程の状態で、事故の激しさを目の当たりにしました。
そして…友人に引き上げてもらっておいた、愛機を引き取りに行くと…見るも無残な形で…本当に涙が出ました。
数カ月は自宅に置いておき、とりあえず部品取り様に売る事にし、それから、慰謝料等で中古の四輪車を得る事にしたのです。
そう、四輪車の免許を持ちながら、四輪に転向したきっかけは、生死をさまよった事故を経験した事でした。
夏ですから、怖い話のおまけです。
実は、僕が入院していた時に使用させて頂いていたベッドは、いわくつきで…長く居る同部屋の人から退院時に聞いたのですが…その人が入院してから、僕が3人目に使用していたらしく、前の2人はお亡くなりになっていたそうです。その人達の生きようとしたエナジーが助けてくれたのかもしれません。
そして、僕が事故った丁度その時に、僕の部屋に飾ってあった、製作期間2週間という程、リアルに組立てたレーシング・バイクのプラモデルを、母親が掃除をしてくれていた時に落としてしまい、壊れてしまいました。
その壊れ方が、事故った愛機の破損の仕方と同じだったのです。
これも何かの縁ですかねぇ? 