警察官の方々も、キャリア、ノンキャリとかで出世が決まっているようで、その差が大きい事は最近になって、分かってきて…なんとなく大きな企業のサラリーマンじゃんって思うようになりました。


子供の頃は、“おまわりさん”って良い人達で、正義の味方だと信じ切っていました。

だから、良く近所の交番に遊びに行ったものです。


オートバイになるようなると、良好な関係が無くなったのは、“オートバイに乗る人=悪い人”って意識が警察官の方々の中に強くあるのかもしれません。


最初は、家の前でノーマルの状態の中型オートバイの掃除をしていたら、急に肩を掴まれ、免許書の提示と所属している暴走族の名前を聞かれました。

“暴走族”!?

オートバイの事を何もしらい方で、“改造箇所を見せろ!ドクロ”って言うから、“暴走族になんか入って無いし、改造もしてないから、どうぞ確認してもらっても構いませんよ”って言い返したら、チェックもしないうちに違反切符を切ろうとし始めたので、大きな声で “不当逮捕だぁ~”って叫んだら、近所の人達が集まって、ここからは見ものでした。

町内の方々から、その警察官の方はやり玉に挙げられた上に、上司に連絡されるはで、可哀想でしたが、横暴な手段には対抗するしかないと思いました。


それから、何ヶ月かして…夕方の産業道路を走っていると、本物の暴走族に遭遇あせる

ヤッバって思っていたら、僕の横をすり抜け、信号無視をして走り去ったのです。

勿論、僕は赤信号で停止していたら…暴走族を追尾していたパトカーから、二人の警察官が降りてきて、僕を無理やりパトカーの後部座席に放り込むや否や、パンチ! 殴る、蹴るの暴行を受けた上に、両手を取られて全部の指紋を取られてしまいました。ドクロ


抵抗しても警棒で押さえつけられるし、無実の僕は暴走族に仕立てられ、暴走行為による違反切符を切られ、強引に指で押印させられました。“無実の人間に、警察はこんな事をするなら、訴えてやる!”って言っても、彼らはニヤニヤしながら、“目撃者はいないから、証人になってもらう事も出来ない事も分からないのか?”だってむかっ

その上、パトカーから引きずり出されると、“交通事故に合うより、運が良かったろ?”と捨て台詞を残して走り去りました。ようは、暴走族を取り逃がしたとは言えないから、一人でも検挙した事にしたかったのでしょう!FUCK!


身体中は痛くてたまらなかったけど…最寄りの警察署に行っても、証拠・証人がいないから、取り合ってくれない。交通裁判所に呼び出された時も、無実を訴えても同様の対応をされ、あえなく罰金に免許停止の処罰にあいました。爆弾


警察署長との記念撮影事件は、それから何年かして起きたのでした…あせる

事故の瞬間って、スローモーションに感じるって、良く言われますが…本当でした。


いつもの幼馴染とアルバイトの帰り道、国道の片側3車線の直線路の追い越し車線を飛ばしていたら、なんと!配送車が横を向いているのを前方に確認 !? 中央分離帯の工事で出来た空間を利用して、反対車線に行こうとしていたようです。

バックミラーで横の車線を見ると、車が何台も来ているし…車線移動が出来ない 叫び 思わず、ブレーキングと合わせて、スーパー・シフトダウンをさせながら、ロックを防いでスピードを下げたけど…ドンッ 30mは飛ばされたみたいでした。

当る瞬間の手前5m位から、当ってハンドルに足があったって、空中を回転して、地面に叩きつけられるまで、ほんの数秒の出来事が、スローモーションでハッキリと覚えていました。

レース用のヘルメットに、グローブ、ブーツ、そしてライディングジャケットを着ていたのが、幸いしました。

フラフラになりながら、中央分離帯に腰かけ、グローブを外して、ヘルメットを脱いで、まず耳、眼、鼻から出血していないかを確認し、無血だったので、ヘルメットの中にグローブを入れ、足の痛みが感じられたので、ブーツを脱いでいたら、幼馴染が盛んに声をかけてくれてくれていたのですが…キーンって耳鳴りがしてよく聞き取れない状態でした。

幸い事故現場のまん前が、ガソリンスタンドで、目撃して直ぐに警察と救急車を呼んでくれたので、救急車で病院に運ばれる事に…今で言うたらいまわしだったそうです。救急車の中で色々と質問されたけど…答えた家の電話番号は、なんと元カノの番号だったらしいのです。う~ん自宅の電話番号も忘れているのに…反省あせる


瞬間記憶喪失って本当にあるんだぁって思いましたよ。

そして、朦朧として診察ベットで寝かされている時に、母親が来て医師と話をしている声だけが、聞こえてきました。「脳挫傷だと言えます。精密検査をしますが・・・今晩が山です。今晩容態が急変したら、諦めて下さい」と言われた母親は、泣き崩れていつの間にか来ていた姉に「しょうがないじゃない。直ぐに死ぬわけじゃないし、死ぬって確約されたわけじゃないから」って励まされていました。


死ぬ!って、とうとう死ぬ事になるんだなぁって思っていたら、眠りについて病室に運ばれてました。

元カノが仲間内の皆に連絡したらしく、夜には見舞いの友人達が集まってきて、看護婦さんがついた状態で、会って話をしていたら…なっなんと目の前がクラクラしてきて、朦朧としてきたらガーン…看護婦さんが大慌てで医師を呼ぶは、友人を帰すは…そしたら何本かの注射器を打たれてしまいました。

そう、寝たら死ぬんだって思っていたら、起きていなきゃって努力していたにも拘らず、眠りについていたのです。

その時、初めて命乞いをしました。「今ここでは死にたくない!何としても生きていたい!」って。


翌朝、枕が涙でビショビショになっていたけど…生きていました。全身に痛みを感じた事から、本当に生きているんだなって感じた時でした。クラッカーそれから、1ヶ月間の入院生活が始まり、叩きつけられた事に対する外傷・内傷の検査や治療、脳挫傷で平衡感覚を失った事に対する治療やリハビリの日々。


お見舞いに来てくれた友人知人と元カノ達に感謝してました。いつも、煙草の差し入れをしてくれていたのですが、婦長さんに見つかり大目玉をくらったり、元カノが来た時に父親と鉢合わせ、その前の元カノが来てくれた時には、父親の友人と鉢合わせ、違う女性なのに、ファッションや髪形とかが似ていたせいか、父親と父親の友人は、同一人物で将来結婚させるか否かまで論じていたのには、笑ってしまいました。にひひ


一度だけ、外出許可が出て、伸び放題の髪の毛と髭を整える事が出来たついでに、知合いのパブのオーナーの所に挨拶に行って、時間前にお店でグビッとしたり、喫煙したり、結構たちの悪い未成年の患者でした。


ついに退院の日がきました。自分の家に帰ると、その時のヘルメット類を見ると、やはりレース用の物を使っていて良かったと思うほど、インナークッションは中身を守るために、ボロボロに!グローブは手の平の部分が二重になっていたのが、一枚は擦れて剥がれかけていたし、ジャケットの背中はコンクリートで擦れて焼け焦げていたし、最後にブーツは、踵のガード材が見える程の状態で、事故の激しさを目の当たりにしました。

そして…友人に引き上げてもらっておいた、愛機を引き取りに行くと…見るも無残な形で…本当に涙が出ました。

数カ月は自宅に置いておき、とりあえず部品取り様に売る事にし、それから、慰謝料等で中古の四輪車を得る事にしたのです。

そう、四輪車の免許を持ちながら、四輪に転向したきっかけは、生死をさまよった事故を経験した事でした。ショック!


夏ですから、怖い話のおまけです。

実は、僕が入院していた時に使用させて頂いていたベッドは、いわくつきで…長く居る同部屋の人から退院時に聞いたのですが…その人が入院してから、僕が3人目に使用していたらしく、前の2人はお亡くなりになっていたそうです。その人達の生きようとしたエナジーが助けてくれたのかもしれません。

そして、僕が事故った丁度その時に、僕の部屋に飾ってあった、製作期間2週間という程、リアルに組立てたレーシング・バイクのプラモデルを、母親が掃除をしてくれていた時に落としてしまい、壊れてしまいました。

その壊れ方が、事故った愛機の破損の仕方と同じだったのです。

これも何かの縁ですかねぇ? ドクロ


当時、上野はバイク街と呼ばれるほど、オートバイ屋さんや、パーツ屋さんが一杯ありました。

ふと、通りかかった時に、子供の頃に憧れていた、HONDAが赤字で作って数少ないオートバイが売りに出されていたので、少し金額が高かったけど、毎日通って交渉し続けたら、値段を下げてもらえました。

実は、僕の今まで乗っていたオートバイを欲しがっていた友人がいたので、彼も毎日のように僕に交渉してきたので、値段を上げてもらって、売却する予定だったのです。


今度は、400ccの四気筒!やっぱり中古だけあって、前の人の癖が残っているは、年代物だけど、交換期間が過ぎても交換してないパーツがあるはで、またまた、お金=(ガソリン類+パーツ類)の生活に…ショック!

でも、HONDA主催の整備教室に行っていて良かったです。

本当に自分自身で、直していくと愛着が沸くもので…毎日エンジンを聞くのが楽しい日々でした。


こんな生活をしていると、中学時代から付き合っていた彼女とは疎遠となり、とうとう破局!!

この時代に携帯電話があったらなって思いました。


そして、友達の紹介で、こんな僕でも気に入ってくれた女性がいました。

でも、僕のオートバイに乗る事は無かったですね。

軽量化で、ほぼ独り乗り用に変えていたし、オートバイよりも車に憧れていた女性だったから、別にオートバイに乗らない普通のデートを楽しんでいましたが…やっぱり、連絡の取り合いが出来なくて、振られる事にガーン


本当に、彼女が欲しいとか思わなくなるほど、ツーリングやレースにのめり込んでいましたから、気にする事も無く、独りの時間を心地良く感じていました。


とある日、友人とカフェレストラン兼パブのお店でバイトしていて、モデルのバイトもやっていた女性と知り合いました。やっぱり、業界の人っておませな感じで、見た目生意気そうだったんですが、もてる事3人の男性が彼女目当てに来店していたのには、まぁそんなもんかな程度で僕には関係無いと思っていました。


数ヵ月後に、彼女は自分専用のヘルメットを買って、家まで送って欲しいと突然言われたけど、そう!僕のオートバイには、リア・ステップ類一式、グリップバーも取り外してしまってあるから、二人乗りなんて出来ない状態だから、丁寧にお断りすると、彼女に気がある男性達が知らぬ間に免許を取っていて、オートバイも買っていたのには驚きでした。・・・お金持ちの家に生まれると、欲しいものは何でも手に入るから、無理も無いし、自分と比べる気も無いから、彼らに任せる事にしました。

次に行った時も、その次の時も…繰り返し言われると、根負けした僕は、面倒だけどリア・ステップ類のみつけ直して、送って行くと…告白されて…付き合う事になりました。


そんな強引な彼女は、オートバイの楽しさを知り、自分で貯めていたバイト代で免許を取り、前金を入れて相談されていたオートバイを手にして、いつも運転や整備を教えたり、ツーリングに行ったりして、ほのぼのとした時間を過ごしていたのを覚えています。


仲間内のパーティに二人で、一緒にお洒落していく約束だったんですが…レーシング・マフラーの製造工場で一緒にバイトしていた幼馴染が、最新型のハイ・スピード逆輸入オートバイを手に入れたので、朝から貸すから走りに行こうと悪魔ドクロのささやきに負けて…湘南迄で帰ってくる予定が、富士山の五合目迄…そう、時計も見ることなく、休憩も取る事も無く走っていたら、富士山の五合目で休憩した時に時計を見ると…時計間に合わない!叫び

と言うよりも、パーティの始まる5分前だったのです。とりあえずパーティ会場に電話してみると、彼女はまだ来ていなかったので、かけ直す事に!本当に携帯電話携帯があったら人生が変わった時かもしれません。


再度、公衆電話からかけてみると、居場所を聞かれて、馬鹿正直に答えたら、“馬鹿”呼ばわりで切られてしまいました。まぁしょうがないですよね!彼女よりも、オートバイを取ってしまったのですから。

という事で、ツーリングを続行していたら、幼馴染がオーバースピードで自爆爆弾まぁ身体は大した事なくて済んで良かったのですが、オートバイが結構やられていたので、応急修理をして、ハイ・スピードなオートバイも原動機付自転車程度しか出せずに戻ってくる事になるとは…しかもライトも破損していたから、電球だけつけ直して、夜中の道を帰ってきました。やっぱり、美味しい話には何かがあるんだなって、この頃から体験していたんだと思います。


さて、彼女はって言うと…沈み込んでいる彼女を、前から狙っていた男性の一人がお持ち帰りしたそうで、一緒に行く約束をしていた夏休みの旅行の際に、彼女の仕返しあい、待ちぼうけを受けた上に、その彼と旅行に行ったと言うオチまでついた。ほろ苦い思い出です。べーっだ!