『チベット ケサル大王伝 最後の語り部たち』を映画館で観覧し、強い感動を覚えた私はツイッターやこのブログで感想を書き散らした。
それをあろうことか監督の大谷寿一氏がご覧になったらしく(恥ずかしい・・・)、ご丁寧にメールで私の疑問や作品の背景などについて教えてくださった。
 
ここにご本人様の許可を得た上で、監督からの補足説明をブログにあげたいと思う。

 

 
Q.日本人の多くはケサルという名前すらこの映画ではじめて聞いたのに、昭和天皇がケサル像をお持ちだったことが不思議でした。

 

A.東京国立博物館東洋館で2017年10月15日まで開催中の「マジカル・アジア」展の一角、「チベットの仏像と密教の世界」に15センチほどのケサル像が展示されていました。額には傷がありますが少年のような真摯な眼差し、光背のごときカタ、飾り立てられた兜、鎧、旗や鞭を握っていたと思われる指も繊細です。全体に円みをおび、優雅で美しい。この像の展示ですら有難い驚きですがキャプションを見てさらに驚きました。「Gift of Crown Prince Hirohito in September 1924 (Taisho 13) (presented by Mr Hojo Taiyo)」。
 
  百年近くも前にケサル像が日本に来ていた!それも皇太子裕仁の手元に!Hojo Taiyoとは誰?彼は何故ケサル像を手に入れ、献上したのか。遠いチベットのケサルが一気に身近にクローズアップされ、新たな謎との出会いを喜びます。
 
 東京国立博物館の担当者に伺いました。「ケサル王坐像は他の仏像と一緒に大正13年皇太子裕仁から東博に下付された。それらは外務省職員「北條大洋」氏から皇太子に献上されたものである。北條氏は旧熱河省(満州国)へ派遣され、乾隆帝の避暑地であった承徳などで得たものと推測される。なお、王坐像は皇帝旧蔵ではない。献上の経緯は調査中」と回答をいただきました。
 
 承徳(熱河)は清の康煕帝が18世紀初頭、夏の都として離宮を造成、モンゴルやチベットと友好関係を深めるためでもあったといいます。康煕帝は1716年、モンゴル語『ゲセル・ハーン物語』を「北京木刻版」として刊行、初めて語り文化ケサル(ゲセル)を文字化し、欧米世界にケサルを知らせるきっかけをつくりました。乾隆帝も避暑の都を受け継ぎ、承徳には多くのラマ廟が建てられ、多数の仏像が作られました。皇帝たちはゲセルを愛し、像も造らせたのではないでしょうか。
 
 北條氏はブラジル、北米を経て東蒙古に大正6年(1917年)赴任、すでに承徳のラマ廟は荒廃していました。入手したケサル像は当時のものではなく、康煕、乾隆時代、2百年前に制作された貴重なアンティークだと思われます。
 
 なお、能海寛研究会年表によると、北條氏は能海と「新仏教」運動、「経緯同盟会」のメンバーであり、能海は北條氏ブラジル行きのとき横浜港まで送っています。 
 

 

Q.ケサル王伝の語り部たちは夢で啓示を受けてからとか、草原で神と会ったなどとのきっかけで物語を口にし始めます。経典を燃やした灰を僧に命じられて食べてから、と言う者まで。そして物語を口にする間、彼らは一種のトランス状態に陥っています。統合失調症の一種だと最初は思いました。

 

A.語り部が統合失調症患者?初めて聞きました。
そもそも、統合失調症を良く知りませんが、私の近くにいた若者患者は幻覚に悩んでいました。語り部は幻覚症状ではありませんね。
隔絶された高原の自然の中に生きてきたチベット人は仏教渡来以前からシャーマニズム、ボン教独特の自然観、宗教感があり、その精神世界が語り部たちに今なお引き継がれていると思います。
 

 

 

Q.私が一番気になったのはケサルの継子殺しの場面です。
 ケサルが遠征中、王妃であるケサルの妻は敵国に捕らえられ、その国の王と結婚し、更には息子までもうけてしまいます。そして妻を取り戻したケサルは妻の子どもを殺すのです。「悪魔の子どもだから滅ぼさねばならぬ」と言って。

 

 
.ヒューマニズムな現代人として継子殺しを初めて知ったときは違和感を感じました。青海省ケサル学会の会長に疑問をぶつけたら、
ケサルの役目は妖魔悪魔を退治すること。それを強調するためにあると答えました。略奪、争いは茶飯事、やるかやられるかがケサルの時代です。
仏教が入る前のチベットは良くも悪くもダイナミックだったのです。
 

 

 

Q.ケサルの仏塔のシーンで泣けてしまいました」と私は直接大谷寿一監督に伝えたら、監督はきょとんとしたお顔をさなっていたような・・・。ケサルの仏塔とは、都市伝説程度の信憑性なのでしょうか?

 

.仏塔のリアクションの件。「涙が止まらなかった」と聞いて、はじめ驚き、嬉しかったのだと思います。
私は「ケサルの証と対面している」と思っていると、ケサルがあの仏塔から現れた気がしたのです。
それで「千年前、ケサルは私の位置からあの岩山の日の出を見ていた」とコメントしました。
語り部とは比べられるものではありませんがケサルが私に気づかせた気がしました。
 
 
 
 
国立博物館蔵 ケサル像
 
 
【2019.5.25(土)~6.7(金)】

淀川文化創造館
シアターセブン

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サンポードシティ5階

TEL06-4862-7733

 

関西方面の方もご覧になるチャンスはある。

 

この映画を機会に日本でも、そして世界でもケサル王の研究が進んでいくのではないか、と私はひそかに思っている。