ケサル大伝 吉祥寺アップリンク

 

ケサル王伝 - それはチベットに伝わる一大叙事詩。今は数少ない語り部により伝えられている。語り部は神の啓示によりある日ケサル王伝を口伝し始める。今そのドキュメンタリー映画が吉祥寺リンクアップでやっている。

チベット世界への来訪歴は決して少なくないと自負していたけれど、ケサル王伝のことは初めて知った。日本人の多くはそうだろう。それなのに昭和天皇がケサル像をお持ちだったって一体どういうことか?

 

ケサル王伝の舞台は11世紀、巨大な統一王国吐蕃が崩壊した頃。歴史好きな方も大学受験で世界史を学ばねばならない人も是非観てみて欲しい。

あらすじは、悪魔妖魔に苦しめられていた人間を救う為、ケサルが天界から遣わされた。乗馬の競争に勝ってケサル王となり国を治める。

ケサル王伝の語り部たちは夢で啓示を受けてからとか、草原で神と会ったなどとのきっかけで物語を口にし始まる。経典を燃やした灰を僧に命じられて食べてから、と言う者までいた。

そして物語を口にする間、彼らは一種のトランス状態に陥っている。

 

うわー、統合失調症だよと胡散臭く映画を観ていたが、そもそも精神疾患を持っている者があんなに長い叙事詩を前後の矛盾なく諳んじられるのだろうか?そして複数の語り部が違う場所で同じ物語を口にするのだろうか?

つまり本当に神が語り部たちに憑依しているってこと?

 

なお、一種の霊能力者が実は統合失調症罹患者であるとの説は、統合失調症の母親の姿を描いた漫画、中村ユキ著『我が家の母はビョーキです』で紹介されていた。

 

ケサル伝を観光の目玉にしたい中国共産党は官製ケサル大会を敢行。

しかし肝心の語り部は申し訳程度に短時間出演し、しかもドローンが飛べまわっている前でケサルを語る。もちろん神が降りることもない。

出演しなかった語り部はなぜか馬術競技の審査員に。

どーなったっちゃってんのよ。

さらに大会では京劇風のチベット舞踊まで披露。かー中国の木っ端役人が考えそうなことだね。

 

こんな中国への皮肉と嫌味を含んだ画像を撮るような監督は若くてとんがっているんだろうと思っていた。しかしトークイベントに姿を現した大谷寿一氏は予想に反してダンディーで落ち着いた紳士だった。

大谷センセイ、やりますなぁ。

 

ケサルの姿は馬に乗った姿で描かれている。よってケサル伝の見せ場は、天から使わされたケサルが乗馬競技に勝利して王になるところだ。現に学校に数年しか通っていないようなチベット人であってもこの場面だけは知っているし、好む者も多い。
 

でも私が一番気になったのはケサルの継子殺しの場面だ。
 

ケサルが遠征中、王妃であるケサルの妻は敵国に捕らえられ、その国の王と結婚し、更には息子までもうけてしまう。

妻を取り戻したケサルは妻の子どもを殺すのだ。「悪魔の子どもだから滅ぼさねばならぬ」と言って。もちろん継子も自分の父親の仇を討つべく、ケサルの命を狙っていた。

継子殺しが気になるのはやはり私が子どもを生んだことがあるからだろうか。

他のチベット支援者に感想を求めたら、「悪魔だから殺していいという論理をオウムが自分達を正当化するために使ったのではないか」という意見を聞いた。

この場面はいろんな解釈ができる。監督自身もこの場面を重んじているのか、複数の語り部に語らせていた。語り部によって若干の変化はある。

ぜひ皆さんもこの映画をご覧になってどのような感想を持ち、解釈したかお聞かせ頂きたい。

 

ケサルが晩年修行したといわれるタナ寺には、ケサルの遺品も仏塔もある。それらはまだ科学的な検証はされていないが人々はケサルが実在の人物だと信じているのだ。実際に仏塔付近の砂を解析したら千年前の物だったと言う。

仏塔の映像を見たとき、私は涙を止めることができなくなった。まるでケサルの人生が私の中に入り込んでしまったかのように。
 

「ケサルの仏塔のシーンで泣けてしまいました」

私は直接大谷寿一氏に伝えたら、大谷氏はきょとんとした顔をなさっていた。あれ?ケサルの仏塔とは、青森のキリストの墓ぐらいの信憑性なの?

 

そのタナ寺ではチベット人によるケサル研究会が開かれ、語り部たちも多く参加。官製ケサル大会とは違い、みな朗らかに物語を口にしている。ケサルの魂が喜んで山々を駆け回っでもいるみたいに。そう、ここでならば神が降りてくるのだ。

TIBET NEVER DIE この映画を観てそう信じたい気持ちになった。