1970-80年代、日本鉱業と言う会社がコンゴに進出した。この企業は日立製作所や日産自動車と同グループだ。
社員の多くは単身赴任。コンゴの田舎、息抜きできる場所は多くはない。男性社員たちは現地の女性と結婚のまねごとをし、子どもをもうけ、現地で家を購入してコンゴ人妻子を住まわせたりと新婚ごっとだ。
しかしやはりサラリーマン、数年たったら日本へ帰国しなければならない。もちろんコンゴ人母子は置き去りだ。
50人ぐらいの日系の子どもが残された。その多くはケイコ ユキ ケンチャンなど日本風の名前を持ち、風貌も明らかにアジア人の顔だ。
取材に応じたのは32人
彼らは「(日本人の父を持つ)子どもたちの会」を結成し、日本大使館に父親を捜してほしいと交渉していた。子どもたちの会のリストに載っているのは約50人。そのうちの32人が朝日新聞記者の三浦英之氏の取材に応じた。
子どもたちの願いは父親に会いたい、それだけ。
三浦記者は帰国後父親たちを探すが、当然誰も名乗り出るものはいないし、記者に「今更父親を捜したところでだれも幸せにならない」と激しく糾弾する関係者もいた。
そりゃそうだ。父親はすでに高齢で日本の妻や子どもに介護されている者をあろう。
遺産というご褒美があるからこそ頑張れている家族のもとに、アフリカから「もう一人の子ども」を名乗る外国人が現れて認知を要求したら?
日本語は話せないから意思の疎通は難しい。それなのにしっかり遺産は要求。
家族としては地獄以外の何物でもない。
もちろんコンゴの子どもたちは父親が帰国した時から地獄であったろうが。
一人だけ確実に父親だという男性が見つかった。しかしすでに他界していた。父親はコンゴに残してきた妻子に日本の住所を教えていた。しかもその住所は日本鉱業の家族寮だった。つまり父親には日本に家庭があったということだ。
日本鉱業の承継会社は否定しているが、当時は会社も社員がコンゴで子どもをもうけている事実を把握していたようだ。
コンドームなしで女性を抱いて、その上子どもは捨てたのか。
先進国と発展途上国
男と女
大企業勤務と村娘
成人男性と未成年女子(14歳で日本人との子どもを出産した女性もいた)
圧倒的に日本鉱業の社員が強いではないか。
コンゴは父系社会で、履歴書には父親の出身部族の記載欄まである。そんな社会では異人種の血を持つ私生児が貧困と差別の中に放り込まれることは容易に想像できる。
実際長じて売春で生活する子どももいた。
日本鉱業の承継会社は
「調査の結果当該会社の社員がコンゴに子どもを置き去りにした事実は認められなかったが、人道的な見地から子どもたちに奨学金を支給する用意がある」
と何とも玉虫色の声明を発表。
補償金はあるに越したことはないが(その補償金というあぶく銭で子どもたちが変な方向に向かわないことを祈るが)、子どもたちが望んでいたのはただただ父親の愛情だったのに。
子どもができてしまったのは仕方ない。だったら最後まで責任を持って欲しい、妻子を日本に連れて来て日本で婚姻届を出すか、家庭を二つ持つ覚悟を決めてほしい。その覚悟もないのに新婚ごっこをしやがって。
中途半端な愛を持ったことに唾棄するほどの軽蔑を覚える。






