MIDNIGHT EXPRESS
Amebaでブログを始めよう!

And I Love You・・・ありふれた日常のありふれた風景・・・

うだるような暑さがここ数日続いている。
大通り公園に屯する家族連れも、餌を強請る鳩の群れも、幾分かこの暑さに不快指数が増しているようだ。
広告塔のデジタルの温度計は真っ赤なダイオードの発光で26度を示していた。

 噴水の飛沫に揺れる俄作りの虹ですら今日は、白々しく見える。

 オフイス・ビルの窓からそんな景色を眺めていた。陽炎に揺れる窓外の日常すら、ここでは異国の地を
思い起こさせる。
 会いたくもない人と会い、話したくもない話をし、一日が過ぎてゆく。
入社した頃のあの気概などもうとっくに消え失せていた。
 毎日、頭をもたげる疑問符が疼く。
空っぽの冷蔵庫のように機械の音だけが虚しく静かにうめき続けている、空っぽの頭・・・。
したかったこと、しようとしていたこと・・・日常に埋没してゆく自分の姿はまるで、
 かつて空を自由に飛び回っていたペンギンが、ただじっと懐かしむように見上げるその姿に酷似している・・・今日、何度目かの溜息が洩れた。

 家路を急ぐ人々が行き交う、相変わらずの喧騒の地下街を歩く。
一枚のポスターが眼に留まった。
子供たちの笑顔は、この国の未来だ。NO BORDER・・・

 咽る様なこの場所を離れよう。この閉塞感には耐えられそうもない。地上に出る階段に自然に足が向いた。
 夕暮れの気配が忍び寄っていた。さすがに日中のあのうだるような熱気は幾分かは緩いでいた。
次の駅まで歩いてみようか・・・客待ちのタクシーのテール・ライトが夕暮れの中で赤々と点滅する。
 少しだけ風がでてきたようだ。
グランド・ホテル一階のスター・バックスでカフェ・モカのトールをオーダーし、一口飲みながら、
自動ドアを潜る。

 ふと見上げると、新聞社の電光掲示板がディスカバリーの着陸延期を伝えていた。
遠くから見ればどんなものだってキレイに見える。
 この星だってきっとそうなのだ。
 貧しさに打ちひしがれようが、テロがあろうと、飢餓や疫病で多くの命が奪われようと、みんなここに帰ってくるんだ。
 帰るべき場所はここしかない。

 信号待ちの盲導犬を連れた障害者とすれ違う。
「お前は満足なのかい、一生この人の眼の代りをして・・・」
一瞬、ラブラドールは僕を見、そして、頷いた。
「意味のある人生だよ・・・私にはね・・・」

 駅周辺のランドマークでもあるJRタワーの光が辺りに異彩を放ち、札幌の中心になりつつあるここは、多くの人でごった返していた。
 雑踏の中で味わう孤独・・・夜の闇が支配しはじめていた。
街頭スピーカーから繰り返し流れるニュース
 【郵政民営化否決され、小泉首相、衆議院解散、総選挙を決断・・・】
 この国がどう変わろうと、日常はそうおいそれとは変わらない。
いつもの、そして、ありふれた一日は、まるで、安っぽいテレビ・ドラマのお決まりのハッピーエンドのように繰り返され、流れてゆく。
 一瞬、立ち止まり、そして、みんな、何事もなかったように帰るべき場所に帰るのだ。
 
 このまま帰るのに踏ん切りがつかない僕がいた。
夜の帳の中で自分が帰るべき場所すら見つけられない僕がいた。
暫く、立ち止まり、行き交う人々の群れの中にかつて少年だった頃の自分が消えてゆくのを見つめていた。

携帯の着信を開いた。
 彼女からの着信が何度も続いていた。

 『今日、寄っていいかな・・・』
『・・・久しぶりね、どうしたの、急に・・・』
『会いたくなった・・・そんな理由じゃ駄目かい・・・?』
『・・・・』
『とても会いたいんだ』
ほんの少しの沈黙・・・。
『ビール、買い置きとかないわよ・・・』
『近くのコンビニで買ってく・・・他に何かいる?』
『一ヶ月ぶりよ、知ってる?』
『ああ・・・』
『何度もテルしたわ・・・』
『ああ、知ってる・・・』
長い、長い、溜息・・・どちらからともなく・・・。
『待ってるわ・・・』
『・・・じゃあ』

何気なく口ずさんでいた。
 『♪傷つけあうためじゃなく 僕らは出会ったって言い切れるかなぁ
 今分かる 答えは一つ ただ一つAnd I Love You・・・And I Love You・・・』
<了>

裸のランチ -Naked Lunch-

裸のランチ
           -Naked Lunch-




 Ⅰ ルーシーは抱えきれないほどのダイヤモンドとお空の上……。
      Lucy in the Sky with Diamond

 繰り返される嘔吐に、胃が悲鳴をあげ、
私は堪らず便器に突っ伏したまま吐き続ける。
吐しゃ物には少しだけ血が混じっていた。
胃の府が空っぽになるまで吐き続け、もう唾液すらも出ない。
ようやく顔を上げると開け放たれたバスルームのドアから、
有希のヒステリックに笑う声が聞こえた。
有希は相変わらず線上に刻まれた白い粉を、マックのストローで
スニッフし続けている。
 二十畳ほどもあるリビングに半裸の男女が四人、その中の一人は私、
嘔吐のループの中でもがき苦しんでいる。
退廃とブルーベルベット、フェリーニとリンチ、カフカとバロウズ、
切れかかった快楽の末路は苦しさと後悔のデュエット。
 綯交ぜの意識のまま、唇を拭うと汚物が右腕にへばりついた。

クシャクシャのペパーミントグリーンのマルボロのボックスから、
クシャクシャの煙草を取り出そうとしたけれどうまくいかない。
やっとの思いで唇に咥え、震える手を左手で押さえながらシルバーの
ジッポーで火を点けた。思いっきり肺に吸い込み、一気に吐き出す。
メンソールがシナプスに染み渡る、まるで安っぽいスペシャル・エフェクト。
 パープルヘイズ・・・B・G・Mにはぴったりだ。
今の私ならフェンダー歯で弾けちゃうなきっと・・・。
紫の煙が揺蕩う白い壁紫煙を眼で追う。
 壁に張られたバスキアのリトグラフにフォーカスする。
その極彩色のシャーマンは今にも私に向かって持ってる槍を投げそう。
・・・早死にするかも知れない、バスキアのように、
・・・善人はみんなそう・・・甲殻類に変身して一生隅っこに隠れていたい。
 啓介は相変わらずパンツ一枚って格好で、
巨大なホックニーのプールに飛び込もうと必死。
バーカ、ポスターに飛び込んでどうするのよ・・・。
有希にペニスしゃぶらせたまま真司が鼻の穴についた粉を
丁寧に人差し指で拭い、歯茎に擦り付けてる。
 虚ろな瞳、空虚で、吸いこまれそう・・・ブラックホールみたい。
「なあ、安住知ってる、レノン射殺したチャップマンって男の背広の
内ポケットにサリンジャーのライ麦畑のペーパーバック入ってたんだって・・・」
私はだからどうなのって・・・右腕の汚物が拭っても,拭っても取れやしない。
「象徴的だよなこの話、事の真意は別にしてさ、俺もなんか入れておこうかな、
尻のポケットにさ」
「好きなもの入れとけば・・・で、だれ殺すの」
「ペシミストでフェミニストでナルだからな俺、自殺はしても人は殺せないな、
きっと」
喉の奥の異物と格闘してる私、もう何もない、空っぽ。
「太宰の女生徒とかおしゃれかな、晩年とかいいよな」
「分けわかんない・・・」
「何だっけ、好きなんだよな・・・死のうと思っていた。
今年の正月、なんたらかんたら、最後の一行のさ、夏まで生きていようと
思った、生への決別がさ、いさぎいいよな」
「真司も太宰みたいに早死にしたい人?」
「取りあえず死ぬ理由ないもん、ある? グッド・リーズン、ないだろ、
ノー・リーズンって訳にもいかないし、有希死んでくれる? 一緒に」
それには一言も答えず有希は、相変わらず勃起しないペニスを熱心に舐め続けてる。
 不毛だよ、有希・・・南極で駱駝探すくらい不毛だ。
「安住知ってる? エンペドクレスのサンダルってさ」
有希のことシカトかー、真司。
「なにそれ? なんかのブランド?」
「ベスビオスだかどっかの火山に身投げしたやつだよ、
人類史上初めて自殺したやつなんだよ」
「それでー」
「その火口だかにサンダルがさ、揃えて置かれてたって話しさ、いいだろ、
なんかさ」
死ぬ時までそんなにお行儀よくしなくっていいわよと思った。
美大行ってる真司のこと、それなりに尊敬してるよ、こんなセンスのいい部屋、
ざらに無いもの。今度、八王子キャンパスのなんたらってとこでブランチしよ。

眠い、堪らなく眠い、今眠ったらきっと世界が終わってしまうまで熟睡できるに
違いない。
そしてこんな夢を見るんだ。
 ウォホールに犯されて、妊娠して、生まれてきた赤ちゃんがモンローだったり、
モンローはケネディのために歌う、ハッピー・バースディ・ディアー・プレジデント。
 夢を見ることを夢見、眠りにつく・・・シェークスピアだね。
こんな退廃そろそろお開きにしないとね、現実に戻れなくなっちゃう。
 そもそも啓介が悪い。医局の手名づけた看護婦から、
アンフェタミンやら、ハルシオンやら危ないクスリの詰め合わせセットを
手に入れたもんだから、私たちまで調子に乗ってしまった。

 クスリなんか無くたって啓介は充分楽しませてくれるのに、
倦怠感末期の真司と有希にはかなり効いたみたいね、
おねだりしたって起たないもんは起たないのよ有希。
啓介は何かわけの判らないこと呟きながら額を壁に打ち付けてる。
 「ルシファー、ベールゼバブ、サタン、アストロス、リヴァイアサン、
エリミ、バールベリス・・・魔王どもよ、永遠なれ・・・」
言いながらホックニーの描いたプールにペニスを擦りつけた。
 「なんなのあれ、もしかして悪魔でも憑依した?」
呆れ顔の真司がいった。
「違う、違う、啓介、両親とも敬虔なクリスチャンなのよ」
「それで」と真司。
有希一生懸命なのよ、少しは反応したらー。
「で、啓介はキリスト犯すのが夢なの」
「なんだよ、啓介ってホモだったんだ」
「違う、違う、観念的によ。なんだか知らないけれど、
両親にトラウマあるらしくて、彼にとってはキリスト犯すことが復讐なのよ、
両親への,多分」
「やっぱ変態だ、啓介も安住も絶対変態!」と真司。
「私はいけるんならいいよなんでも、真司、どうなってんのあんたのこれ、
たった1回? もう最低。ああ、滅入っちゃう」 
とうとう有希もあきらめたらしい。確かめるように起き上がり、
頭を押さえながらバスルームに消えた。
 等々啓介のやつ、実家から持ってきたっていう真司御自慢のマレンコの
見るからに高そうなソファに、カルバン・クラインのビキニって格好で
眠ってしまった。
 ソファの前にはガウディのカサ・ミラをモチーフにしたみたいな巨大な曲線の
テーブルがあって、使い難いったらありゃしない。
イームズもそう、シェルチェアって、座ってるとすぐお尻痛くなるし、
ミッドセンチュリーの家具って絶対セックスに向かないよ。
その上にはシャンパンやら、ワインやら、缶ビールの空き缶やら、
歯型のついたピザやらクスリのタブレットやらがリオのカーニバルみたいに
散乱してる。
「あら、啓介、なんか泡吹いてるよー、大丈夫かな?」
男物のバスローブを着た有希が気だるそうに啓介の隣に座り込む。
 大胆に股、開くもんだからバスローブはだけてヘアー丸見え。
水滴のついた有希の太腿がエロチックだ。改めて思う、綺麗だね,有希の脚。
「もう駄目眠い、啓介の介抱有希に任せるからー、真司、寝室こっちだっけ?」
「やっちゃっていい?」
本気とも嘘ともとれない言い方で有希が言った。
起き上がろうとしたが脚がもつれて思うようにいかない。
腰にがっしりした真司の腕が巻きつく。
有希はちゃっかり啓介の裸の胸に顔を埋め寝息を起ててる。私のだぞ、手出すなよ。
言おうしたけれど、呂律がまわらない。
「ほらー、ちゃんと起きてよ、寝室まで連れてってやるから」
「ありがと、ごめんね、こんなになるなんてね」
抱きかかえられ、ベッド・ルームに運ばれてる間に真司にキスされた。
「なんか、飲ませた?」
「ああ、ハルシオン 一錠」
仰向けに寝かされた私に、真司の影が覆い被さる。
「駄目だよ,真司。そんなこと,有希いるんだよ」
パンティの上から真司の指がゆっくり私のカントをなぞる。
「安住が嫌ならしない、ここまでで終わり、ゆっくり眠っていいよ」
「クスリのせいだよ、クスリのせい・・・」
いい訳してる自分が可笑しかった。真っ白なシーツが雲みたいに見えた。
 ラピュタを包んでた雲だ。飛行石のペンダントが欲しい、
ティファニーでもいいけれど。
キャミソールが捲れて、乳房が露になってる、誘惑したんじゃないよ私。
パンティの中で真司の指がヴァギナを弄り、クリットを愛撫する。
乳首を齧られ、舐められ、私は思わず声を上げた。
「いいの?」
「うん・・・」
「クスリのせいだろ」
「焦らさないでよ」
真司は挿入すると荒荒しく私を責めた。
肩や項を歯型がつくほど齧られその度に私の口を真司の手のひらが覆った。
 なにより私自身が驚いたのはその粗野なセックスに何度もいったことだ。
全てを熟知してるような真司の手管は二度目の時は、一変して丁寧に優しく私を扱い、
私は真司のされるがままに身を委ねた。
 真司の胸に抱かれて私は、自分に言い聞かせてた。「これはきっとクスリのせいなんだ、
クスリのせいなんだ、私のせいじゃない」って何度も何度も頭の中で繰り返してた。





Ⅱ 僕と一緒に行かないか、あのストロベリー・フィールズへ。
             Strawberry Fields Forever

 
 病的に雨が好きな子だった。
抜けるような青空を見ると吸いこまれそうで自分が消えて無くなってしまいそう
で恐かったからだ。窓ガラスを伝う雨の滴だとか、雨上がりの水溜りとか、
夕立の後の澄んだ空気の街並みとか、傘さして黄色いお気に入りの長靴はいて
そぼ降る雨の中の散歩とか、時雨なんかも好き、今日だって小雨がずっと降り
続いててなんとも朝から気分がいい。
「資本主義の卑小なとこは、俺と安住の生活も、誰かの犠牲の上に成り立って
るってこと」
言いながら啓介は足元に唾を吐いた。
「唾吐くって行為と資本主義を誹謗、中傷するってこととどんな関係性ある
わけ?」
しかめ面の私を見て入り口の扉を開けながら愛想笑いで道を譲る。
 相変わらずの混雑ぶりを見せるスタバの店内、水滴で曇った窓ガラスを通して
足早に行き交う人の波がオブジェみたいに見える。ざわついた店内、なんだかむ
しょうに煙草が吸いたい。
「裕福ってのは俺のせいじゃないし、貧困も俺や安住が作り出してるって
わけじゃない」
「だから、何が言いたいわけ? デート中って認識ないの?」
「だからー、安住がさ、俺たちの関係が見えてこないって言うからー」
「なに、それ、それでいいわけに資本主義なんだ」
カフェモカを一口飲み啓介が続ける。
「だからー、まあ、簡単に要約するとだな、健全な世界規模の経済の発展には
規制のない自由な競争が原則なんで、だからこそあらゆる人間に平等の幻想を
信じさせることができたわけ、いわゆるアメリカの幻想ってやつ。
人種や貧富の差に関係なくね、アメリカン・ドリームとも言う、
その幻想を信じさせてってか、その幻想の上に今のアメリカがあるわけ。
だけど、もう気付いてるんだよなみんな、幻想の未来、その上の砂上の楼閣、
背伸びしたバベルの塔は崩れさる運命なんだってことさ、
テレビで9・11見ててツインタワーがバベルに見えたね俺には」
 フラペチーノが不味くなる、もう。

「で、そのご高説まあごたくとも言うけれど、確かに拝聴いたしました、
結論言ってよ、結論」
「自由を規制して、例えばあらゆる輸入品にバカ高な間税かけるとか、
統制経済なんか導入しちゃうと、それこそ神の見えざる手すら働かなく
なるんだよ、競争阻害されるとさ、パイプカットされた雄犬になりさがるん
だな、でさ、俺たちの関係性を例えばここで恋人ですだとか、将来は結婚前提
だとかってことは、健全な恋愛を阻害する一要因にはなるが、決していい結果
をだな・・・」
 二本指で啓介の唇を塞いだ、まだ言い足りないみたいに口モグモグさせてる。
往生際の悪いやつ。
「セイウチと大工ね」
「アリスか…まあ、例え話しだよ」
「悪いのはどっち?」
「嫌、そうじゃない、牡蠣もせいうちも大工も、みんな持ちつ持たれつって
言いたかったのさ」
「啓介、学部は経済だっけ」
「いや、医学部だけど、何か?皮肉かそれ」
「自由でいたいんだ、来るもの拒まずってやつ」
「本能に忠実にって言い方もできる」
「身体目当てって言ってるみたい」
「一頭の雄牛はさ、何百頭もいる雌牛と1回しか交尾しないんだって、
1回づつだよ、しちゃったのには見向きもしないんだって、
凄いよな本能って」
真司と寝たよって言いそうになった。けれど、口からついて出た言葉は
「セックスしよっか」で、私は啓介の優しい愛撫を想像して頭の中それ
ばかりになってた。
 我慢できなかった私は、啓介のマンションがある井の頭公園のずっと手前の
人気のない駐車場で、自分からパンティを脱ぎ、ペニスを導いた。
啓介の赤いミニクーパーはカーセックスには不向きだったけれど、
リアウインドウに着いた水滴を見ながら啓介の愛撫を受けるのは
とても素敵な行為に思えた。
 ワイパーが作動するたびに視界が開けてそれだけが気になったけれど、
この瞬間だけがリアルだと思った。何回身体重ねたって、
お互いのことなんて砂漠の一粒の砂ほども分かりっこないんだから。
身体は嘘つかないね、啓介、私たちシャムの双子のように離れられないよ、
きっとね。
 啓介と最初に出会った日、彼はこう言って私に近づいてきた。
「君は僕の分身だ、やっと逢えたね、僕らは逢うべくして逢った、
そういう運命なんだ」
普段なら下らない運命論者の戯言、放置するんだけれど、
その日は雨が降ってて気分良くて送ってくれた啓介とそのままホテルに直行した。
啓介、私もそう思ったんだ、君が分身だって。無くした身体のジグソーの一片、
そんな気がしたの、ずっと探してたものを手に入れた気分に浸ってたんだよ。
 雨の日が大好きだ。雨の後の新緑の際立つような匂い、息づく芝生の緑,
何もかもが生命に満ち溢れていて、一時、喪失感も、
閉塞感すら忘れさせてくれる。
 雨にはきっと再生の神様が宿っているに違いない。




Ⅲ 温かく勃起したペニスは至上の幸福。
            Happiness Is A Warm Gun

 「・・・難関を突破して医学部に入った後、ひたすら医学知識を詰め込み、
国家試験に合格してからは専門医への道をひた走る。
だから、緊急時に対処できずにあげくの果ては医療事故続発だぜ、
ER見て勉強しろっての」
 まあ、ER見てってのはジョークだと思うけれど、かなり、ERってのは
リアルらしい、
ほんとにあれそっくりの言いまわしや言動真似するインターン多いって
啓介がいってた。
 日本の医療制度の不備を嘆きながらも啓介は結局父親の跡を継ぎ、
総合病院かなんかの院長に納まり、仮面夫婦演じながら、
愛人イッパイ囲ってエロ親父との2足の草鞋ってことになるんだろう。
だとしたらこのままいくと私は裏切られる院長婦人か、冗談じゃない!
「だから、セックスする度にそういう愚痴ばっか言うの止めてくれる? 
医者以外の何かになりたいんなら今からだって遅くないと思うけど」
「親父の期待は裏切れないよ」
「そういう時だけらしくないよ啓介、トラウマのせい? なんにも知らないん
だ、啓介のこと・・・全然話さないよね、自分のこと」
「訊かないからだよ」
会話はそこで途切れた。
 啓介のマンションの寝室は小さかったけれど、キングサイズのベッドは
なぜか二人には大き過ぎる気がした。
皺くちゃのシーツには、しがらみだけが、残り香みたいに散らばってるだけ。
 何もかもが私には大き過ぎて、まるで、大海に漂うメッセージ入りのボトル
のようだ。
真実はいったい何処にあるんだろう。背を向けて眠ってしまった啓介のペニスを
確かめた。
 それは、まだ、生暖かくてとってもリアルな息遣いがして、
なんだかほっとした。
啓介の背中に身体を密着させてみる。こんなにぴったりと重なる肉体はきっと
二度と手に入れられないだろうな。
 真実はいったいどこに行ってしまったんだろう。
あの頃、私たちは愛を語るには稚拙で、恋をするには老練で、
夢を語ることには臆病で、未来はとっくに過去に成り下がってた。
 手の平から零れた真実の欠片はサハラ砂漠の砂の中に飲み込まれてしまったみたいだ。
 星の王子さまの気持ちが少しだけ分かった気がした。

 
     Ⅳ 賢者の言葉は”あるがままに。
           Let It Be

 啓介に多少の負い目を感じながらも私は真司の誘いを断れないでいる。
すなわち、寝てるってこと。
 有希にだって同じ気持ち。寝たあとは凄く後悔するんだ。
だから、真司のとこにはあれ以来一度だって行ってない。
 誰かとベッドを共有するなんて私の趣味じゃない、もちろん男もだ。
「俺たちセックスの後にも先にもなんの会話もないよな」
空調の悪いラブホで汗だくのセックスの後、真司はシャワーを浴びたいって
言う私を制してそう言った。
「有希と話せばー・・・」
「俺のさ、初恋は小学校の時、運動会とかでその子一生懸命で、
なんかすげーいいなって」
「だからー話しは有希としてよ」
「いいから、聞けよ。でさ、女の子意識したのなんてそれが初めてで、
恥ずかしがり屋で生地なくてもちろん話しかけるなんてできなくて、
信じられない? うぶだったんだよ、
でさ、年賀状出したんだよ正月に」
マルボロのメンソールを取り出し真司に咥えさせ、自分も一本咥えた。
 使い込んだシルバーのジッポーで真司は、私の煙草に火を点け、
自分のにもそうした。
啓介は煙草を吸わない。真司といてリラックスできるのは、
二人とも同じ煙草を吸うヘビースモーカーだからかも。
「きっと返事がくると思ったよ、それがきっかけになればなんて思ってた」
言いながら真司は天井に向けて大きく煙を吐いた。
「で、返事は来たの?」
「来なかったよ、新学期が始まってもまともに見れなかったよ、その子の顔、
ふられたと思ってさ」
 真司が何故こんな話しをするのか分からなかった。
啓介と違って真司は思い出を語るのが好きなんだろうか。
「そしたら、俺の家の三軒先に同じ鴨居って苗字の同じクラスの奴がいて、
そいつが、お前にその子から年賀状来てたぞって、誤配されてたのさ、
そいつん家に、で、その年賀状どうしたって訊いたら燃やしたって」
「それで終わり?」
「ああ」
「今でもその子のこと忘れられないんだ」
「ああ、こんな俺がだよ、たかが女の子一人忘れられないなんてさ、
それも小学校の頃の話しだぜ、笑えるだろ」
 真司は笑っていなかった。もちろん私もだ。
「若きウエルテルの悩みって奴」
「茶化すなよ」
「茶化してなんかいないよ、私の初恋もそう小学校、先生だったけどね」
「女の子は早熟だもんな、男よりずっと先行ってるからな、同い年なんて
眼中になかったんだろうな」
そう言って真司は私を抱きしめた。痛いくらい強く、お互いの汗が交じり合って
小さな音を立てた。汗だらけの身体も、ガラガラ言うエアコンの音も
気にならなかった。
 誰も彼もがみんな持っていたもの、それは、もうすでに跡形も無く消え去り、
誰も彼もがその幻を追いかけてる、そんな気がした。
「なんで、こんな話ししたの?」
「似てるんだよその子に、安住がさ」




         Ⅴ ノー・ホエア・マン、
       何処でもない世界の真ん中から叫び続けることしかできない。
             No Where Man

「有希どうしたのー、昨日授業受けなかったでしょ」
「朝からずっとオナニーしてた」
今日、大学からの帰り際、有希に拉致され裏原宿のなんたらってセレヴ御用達の
お店に付き合わされるはめになった。
 有希はそこでカルトブルーのジーンズとか、その他うん万円程の買い物をし、
お腹空いたって言うので雑誌で取り上げられてた有名なパテシェがやってるケー
キ屋さんに入った。
 「安住からTEL来たとき、もう真っ最中で、それどころじゃないって感じで」
「私もあるな、生理近くなってきたりしたら、むしょうにしたくなったり」
「でさ、真司がイッパイ持ってくるのよ。ローターだとかバイヴだとかー」
オープンテラスの席の間を夕暮れのひんやりした風が通り過ぎた。神宮外延に近
いこの辺りはさすがにお子ちゃまには不不似合いで、
客の多くは三十代前後に見える。
「オナニーってなんか不毛だよね、いってるんだか、いないんだか、迷宮のラビ
リンスに迷いこんだ感じで、一日中モヤモヤしてる、
ベッドから這い出せなくなっちゃうし」
うんうん私は頷く。
「仕舞いにクリトリスとかヴァギナ痛くなっちゃうしー、で、
やっぱり男の方がいいなって思ったりして」
ずっと頷いてるだけの私。
「不純だよね、地球上の全人口の恐らく半分は働いてる時間に、ケーキ食べて
オナニーの話ししてるんだから」
言いながら有希は足元に視線を落とした。
 剥げかかったペデキュア、白いミュール、シルバーのアンクレット、細い踝、
足先が私のマイクロミニの股の間に滑り込む。
「何してるの有希・・・!?」
払いのけようとした私を有希が睨んだ。
「前に大学の図書館で安住、試験勉強してたじゃない。黒斑の眼鏡かけてさ、
シャープペン口に咥えたりして、時々髪の毛かきあげたりしてさ、
なんかエロかったな、抱きたくなって、思わずあそこ触ってた」
「止めてよ有希!」
「真司がね、今度三人でしようかって」
 テーブルの下で有希の脚が私を責め続けるのを、
私は他人事のように感じていた。
きっと真司と寝てることを有希は気付いてるに違いない。
そんな負い目が私の抵抗を鈍らせたのかも知れない。
 地球上の半分の人間が働いていて、恐らく何百、何千の人間が飢えたり、
死んだりしてるって時に、私たちはテーブルの下の秘め事にしばらく
夢中になった。
「ねえ、ここではもういや。続きは有希の家か私んちでやろう」
言うと有希はやっと私を開放した。
「私ね、ヒッキーだったの。中学校まで登校拒否繰り返してた」
「信じられないな、有希がヒッキーだったなんて」
「カウンセリングとか精神科にも通ったし、色々ね、受けたんだけれど
全然駄目で、まあ、結局自宅で治療ってことになるんだけれど」
行き交う車のテールライトが真っ赤に点滅するのが目立つ。
いつの間にか暗闇が支配する世界が偲び寄っていた。
「十三の時、勉強のこと心配してママ家教つけてくれて、で、
1ヶ月くらいして家に誰もいない時、その家庭教師の前で裸になって頼んだの、
してくれって」
「なんで、なんでそんなことしたの?」
「わかんない、その時はなんか必死だったの。部屋にいる間中ネットとかして
ヒッキーだとか、自閉症だとか、もちセックスだとか色々調べたりしてたの。
で、私みたいなヒッキーが何万人もいてみんな苦しんでて、だから、なんか、
賭けてみようと思ったのかな」
「賭けてみる?」
言葉を発するたびに有希は苦しそうな表情を見せた。
「そう、この男が私をどう扱うのか、そして、いつまでも、
コーマベィビーみたいなことしてられないなって、いつかは、
このヌクヌクしたとこから出て行かなきゃって覚悟を決めてたんだと思う」
「で、どうなったの?」
「彼は裸の私を強く強く抱きしめてくれたの・・・」
「それで?」
「で、私の頭を撫ぜながらこう言ったの。君のことが好きだ、会った時からとても
可愛いと思った。恥ずかしそうに僕を見る姿や、たどたどしい言葉や、
臆病なしぐさがとても愛おしい。だから君とはできない。
僕が君のためにしてあげられるのは、こうして抱きしめてあげることだけだって・・・」
 テーブルの上のコーヒーはとっくに冷めてたけれど、私は一口で飲み干した。
ここにいる有希がいつもの有希じゃなく別人に思えた。
「次の日から登校し始めたの、もう一度人を信じてみようと思ったの。
何度も挫折しそうになったけれど、そのたびに彼は支えてくれたわ」
「有希の初恋の人?」
「うん、きっと私の愛はその人で完結しちゃったのね、
その後はキルケゴールよ。逢う前から失恋してるってやつ」
「・・・キルケゴールってきっといいやつだったんだね」
「うん、私もそう思うわ・・・」
言いながら有希は寂しそうな笑顔を向けた。

 私たちはいったい出口を見つけることができるんだろうか?
こんな不毛やあんな閉塞感抱えながら身勝手に流れてゆく
時間の中でもがき苦しんでいる。
出口はいったい何処にあるんだろう。
 自由と言う名の不自由を抱えたまま、
何処にいるのかさえ見失ってしまいそうだ。
それでも誰かの絆を求めて私は叫びつづけるしかないんだろう。
 何処でもないところからきっと叫びつづけるしかないんだ。


                <了>

Rhapsody In Blue

Rhapsody In Blue
 


 あるNGOの依頼でカンボジアにおける地雷被害及び撤去の現状を取材し、記事にするために私は、
二千年の暮れにカンボジアに向かった。
かの悪名高きクメール・ルージュとポルポトの爪跡は色濃く、今もこの国を蝕んでいる。
 埋設された地雷は、その数、数万個とも言われ未だにその大半が撤去されずに、なんの罪もない人々の命を理不尽に奪ってゆく。

 私は結局、NGOの援助で作られた病院を周り、手足を無くし、それでも懸命にリハビリに励む子供たちを見、悲惨な現状を何枚かの写真に収め、早々とカンボジアを後にした。
 どうにも、平和ボケの日本に居過ぎたせいなのか私自身の心がなにか蝕まれてゆくような気がしたからだ。
 ここに居てはいけないと心が警告音を鳴らし続けていた。
私は本来ジャーナリストではないし、ただのモノ書きなのだからと自分を卑下しながら早々に退散したのだ。
 帰国するはずだったのになぜマニラに立ち寄ったのか・・・帰っても寒々しい待つ人も居ない部屋で年を越すのが無性に耐えられなかったからか・・・あのカンボジアの風景が心から離れずその幻影を追い払いたかったのか・・・余ったスケジュールの気紛れからなのか、とにかく私はマニラに何泊かしてから日本に帰ろうと決めた。

 国際空港からタクシーで30分ほどでホテルに着いた。
マニラ・ホテルは相変わらずその由緒正しい佇まいを崩さず、アジアで最も古く格式のあるホテルとして
知られている、何よりもその風格が際立っていた。
 そして、その繁華街から遠い立地が今の私には必要なのだと思った。
静けさと海沿いの優しく穏やかな景色を心が必要としていたのだ。

 ホテル付きの顔見知りのタクシーの運転手が私を見て近寄ってきた。
相変わらず訛りの酷いブロークン・イングリッシュだったけれど、異国の地で知り合いに会うというのは、なんとも嬉しいものだ。

 「ミスター・タケガワ。ヒサシブリダナ、コンドハナンノシゴトダ」
私は、仕事ではないんだ・・・ちょっとバカンスを楽しもうと思ってねと彼に伝えた。

 年月を感じさせるヨーロッパ調の風格のあるロビーを抜け、チエック・インを終え、部屋でくつろいでいたのだが、いっこうに私の荷物が届かない。
 原稿をまとめメールしなければならない。仕事を早く片付けてしまいたかった。
これが、この年の最後の仕事になるだろう。
まあ、いつものことなのだが、この国とこの国の人々に流れている時間という概念は日本とは全く違うのだ。
彼らが少しお待ち下さいと言えばそれは小一時間ほどなのだから。

 部屋の窓を開けると、まるで森のように木々が茂り草花が良く手入れされた中庭が見えた。
木々に吊るされた無数の電飾が瞬きはじめた。
いつもなら苦笑するのだが、今の私にはこれも一興なのだと思えた。
マニラ湾に面した部屋には潮の香りを含んだ夕暮れの穏やかな風が流れ込み、肌に心地よく触れた。

 シャワーを浴び、やっと運び込まれた荷物からパソコンを取り出しメールをチエックする。
仕事の依頼が一通、前妻の雇っている弁護士事務所から一通、寂しいものだ。
 前妻とはとうに別居していたが、いまだに離婚の係争中で、私は若いやり手の離婚専門の弁護士と果てしのない戦いを繰り広げている。
 帰りたくない原因の一つかもしれない。
確かに離婚は、結婚よりも数倍の努力と更に数倍の金がかかる。

 カンボジアでの取材した写真を見ているとまたあの記憶が蘇ってきた。
喉の奥になにか異物を感じ、唐突に吐き気に襲われた。
バス・ルームまで走り便器に突っ伏して吐いた。
 吐き気は、何度も、何度も波状攻撃のように私を捕らえた。
この歳で良心の呵責でもないだろうに・・・夢を見なくなっていったいどのくらい経つ。
ラカンに笑われるかな・・・人は夢があるうちはその夢に向かって生きようとするものなのだ。
 だから、夢は持ち続けていなければならない。しかし、夢が成就する側に入ってはならない、
なぜなら生きる糧がなくなるからだ。
 だから人は夢を夢見続けなければならない。見続ける側に留まるのだ。例えそれが悪夢だとしても・・・。

 ドアのブザーが鳴った。11時を過ぎていた。
「ドナタ・・・」
「ハイ、アキノダヨー、アンタノチュウジツナウンテンシュノアキノダ」
ドアを開けた。
「ミスター・タケガワ、バカンスデキタンダロ、オアイテガヒツヨウダロ」
タクシーの運転手のアキノが満面の笑みを浮かべて佇んでいた。
「イリアダヨ、ミスタータケガワ、イイコダ、ヨロシク」
おずおずとアキノの後ろから笑顔を見せる小柄な女性がアキノに押されて私の前に現れた。
「コンナコトタノンダオボエハナイ・・・!」
私の剣幕にアキノが驚いたように後ずさった。
「ダッテシゴトジャナイッテ・・・バカンスダッテ・・・」
「イヤ、ワタシノイイカタガワルイナラアヤマル。イラナイヨ、ツレテカエッテクレ」
押し問答が何度か繰り返された。
「ごめんなさい、アキノ悪くない。一晩でいいの・・・でないと私酷い目に合わされるの・・・」
片言の日本語で彼女は言った。
 その円らな瞳からは大粒の涙が溢れ、それはリノリウムの床に音もなく落ちた。

 彼女がドアを後ろ手に閉めた瞬間から部屋には気まずい沈黙が流れた。
私はたまらずベッドサイドのラジオのスイッチを入れた。
 ガーシュイン、Rhapsody In Blueが部屋の中に流れた。それは天井を覆い私の心に届いた。
私は相変わらず泣き続けている彼女をその時初めて正視した。
 恐らく二十歳にも満たないだろう・・・若く、美しく、その子はそこに肩を大きく震わせながら突っ立っていた。
長い栗毛色の髪、程よく日焼けした褐色の肌、灰色がかった円らで大きな瞳、溢れ出る大粒の涙、上品な花柄のワンピース・・・。

 「日本語分かるんだね」
彼女が小さく頷く。
「突っ立てないで、そこの椅子に座りなさい。分かったから、何もしない・・・一晩ここにいなさい」
彼女はいわゆる高級ホテル専門の娼婦だった。
 格式を重んじるホテルはロビーに娼婦を入れない。しかし、ホテル付きのタクシーの運転手や、ホテルのガードマン、従業員などにワイロを握らせれば話は別だ。
 私の態度に安心したのか私の求めに応じて途切れ途切れに彼女は自分を語った。

歳は二十歳だと言ったがその涙と同様に嘘なのかも知れない。もっと若いという意味で・・・。

 父親は駐留米軍、沖縄にいたこともある父親から日本語を習ったこと、もちろん今は任期を終えて本国に帰っている。彼女たちを捨てて・・・母親はフイリッピーナ、病気がちで三人の子弟を養うために娼婦になったことなどを片言の日本語で話した。
 「お腹空かないか、なにか食べようか」
マニラに着いてから何も食べていないことに気づき私は自分に言うセリフをイリアに向かって言った。
 イリアは初めて人懐っこい笑顔を浮かべながら、頷いた。

 ルーム・サービスで頼んだスパゲッテイやら、ピザやら、サンドイッチやらワインやビールを私たちは
空腹からか、無言で食べた。
 何よりイリアの食欲が私を幸福にした。
一人で食べる食事ほど味気ないものはこの世に存在しない。
そして、美しい女性が頬張る口元ほど見ていて楽しいものを私は知らない。
 イリアの旺盛な食欲は私にとってはラカンやフロイト以上に心を穏やかにしてくれる生への希望そのものに思えた。

 私たちはワインをしこたま飲み、ほんの数時間でまるで昔からの既知のように話し、笑いあっていた。
「シャワーを使っていい?」
「ああ、どうぞ・・・」
 席を立ち、バス・ルームに消えてゆくイリアを眼で追った。
彼女を抱く気などもうとうなかった。
それが、自分に果たした唯一の戒めなのだ。
眠気が襲ってきた。ワイングラスを持ちベッドにゆっくりと腰を下ろす。
 ホテルのロゴの入ったマッチで煙草に火を着け、機械的な動作で天井に向かって吐き出す。
 明日、ベッドにドルを置き彼女が出てゆくのを見送ればそれで終わり。
もう二度と会うこともないだろう・・・。
 FMはサンタナを流していた。好きな曲だった。
確かGame Of Loveって題名だったな・・・薄れてゆく意識の片隅にイリアが忍び込んできた。

 目覚めは喉元に巣食った二日酔いの苦さとともにやってきた。
ベッドサイドのテーブルにやっと手を伸ばし、煙草を口に咥えた。
煙の行方を眼で追う。
天井には大型のオーバーヘッド・ファンが物憂げに回り続けている。
クシャクシャの白いシーツの上にホテルのネーム入りのバスローブが無造作に置かれていた。
開け放たれた窓辺に裸の女の子が立っていた。
 ようやく事態を飲み込めた。
「おはよう、武川さん」
逆光に照らされた全裸の彼女はボッテチェリのヴィーナスを連想させた。
「ああ、おはよう・・・イリアだったね、昨晩はどうも飲みすぎたようで・・・」
ベッドにゆっくりと近づく彼女をただ眺めていた。その美しさに私は一瞬たじろいだ。
私の頬にキスをし、耳元で囁いた。
「魅力ないのか、わたし・・・武川さん、抱いてもくれなかった・・・」
いや、君は充分に魅力的で、眩しいくらいだと言おうとしたけれど、イリアの柔らかい唇で塞がれた。
イリアの褐色の肌が覆い被さり私のはだけた胸元に栗毛色の長い髪が触れる。
「病気が心配か?ノー・プレブレム・・・性病ないよ、わたし・・・」
灰色の大きな瞳がいたずらっぽくはにかむ。
「抱こうと、抱くまいと一晩の約束だからね・・・金はドルでいいかな、なんならペソに両替するから・・・」
「日本人好きだよ・・・優しい・・・でも武川さんは特別だよ、もっと好きだよ・・・悲しい気持ちだよ・・・」
 理性が崖っぷちで揺らいでいた。
私にも一端の性欲くらいはある。イリアはなにより若くしなやかで魅力的な女性だ。
 そんな彼女が私の上に跨り、挑発するように私を見ているのだ。
「誤解しないでくれイリア、君を泊めたのは君が困ると思ったからだよ、君と寝たいからじゃない」
私はイリアを跳ね除け、ベッドを下り、冷蔵庫からミネラル・ウオーターを取り出し、一気に飲み干した。
「わたしは居たいよ、武川さんとずっと一緒にいたいよー!」
 私を見つめるイリアの円らな瞳は何かを訴えかけているように思えた。
もしこれが演技だとしたら実に狡猾なのだが私には分からなかった。
「さあ服を着て・・・朝食を一緒に食べよう、そうしたらお帰り」

 ホテル内の日本料理店で遅い朝食を取った。
従業員のイリアを見る視線が幾分か私の心を痛めた。
 イリアの美しさに嫉妬しているのだ、私はそう思うことにした。
イリアは押し黙ったまま料理に箸を付けなかった。
「日本料理はイリアの口に合わないかな・・・」
向かい側に座ったイリアが首を横に振る。
「さあ、ふてくされてないで、お腹空いてるだろう?」
「武川さん・・・お願いあるの・・・一週間ね、わたしを置いて欲しいの、お願い・・・マニラ発つまで一緒にいて・・・」

 なぜ彼女をあの時拒絶しなかったのか・・・彼女の魅力にノーと言えなかったのか・・・彼女の何かを訴えるような瞳が私には気になっていた。何よりその瞳は美しく澄んでいたし、ジグソー・パズルのように穴だらけの心を埋めたかったのかも知れない。
 その日はホテルのプールで過ごした。
 ホテル内のブティークで二人分の水着を買った。
 バカンスに来たのだ。顔と腕だけが日焼けしている私の姿はとても見られたものではない。
イリアは弾けるような笑顔を見せ、私は彼女のその姿を見ているだけで満足した。
 相変わらず従業員のイリアを見る眼が気になった。
マネージャーを呼び、彼女は私の連れだ、今日から私の部屋に泊まるから、追加の料金は私にと言うと、従業員の視線も態度も一変した。

 「横にいってもいい?」
「ああ、寝たかと思っていたよ・・・」
ベッドに入りながら記事をパソコンに打ち込んでいた私は、視線をイリアに向けた。
 裸のイリアがシーツをはぐり、私の身体に密着する。
「まだ、仕事が片付かないんだ、ごめんよ・・・」
「かまわない、武川さん、明日も一緒にいられる・・・」

 サイドテーブルの携帯が鳴った。
小声で話すイリアの顔が曇った。

 「ボスがね、今日は帰ってこいって・・・」
「かまわないよ・・・明日も会えるんだから・・・」
ほんの少しの沈黙の後、イリアが重い口を開いた。
「前金でお金を持ってこいっていうの・・・ごめんなさい」
「昨日の分も含めていくら払えばいい?」
 イリアが伏目がちに言った。
「一日、四千ペソが私の値段よ・・・」
 イリアの瞳に浮かんだ涙は・・・私は、真実なのだと・・・そう思いたかった。

次の日の朝マニラを観光しようという約束を交わし、イリアは部屋を出て行った。
 イリアは、マニラの観光地の何処にもいったことがないと私に言ったからだ。
イリアに渡した三万ペソと、もしも、イリアが現れなかったとしても私はそれでもいいと思っていた。
 何も救うことのできない私の代償として・・・。
 裸足でゴミの山を一日中食べ物や金に換わるものを探し続け、貧困に喘ぐ多くの子供たちの少なくとも何人かはこの金で救われるのかも知れない。


 朝、アキノの電話で呼び出された。
エントランスに降りると、ベンツのドアを開けてアキノがにこやかに微笑んでいた。
 助手席には、イリアがいた。
「オハヨウゴザイマス、ミスター・タケガワ・・・イリアガオマチカネダヨ」
「アキノ、コノクルマハドウシタンダイ?」
「レンタカーダヨ、ミスター・タケガワ・・・ヤスクシトクヨ、マニラニイルアイダツカッテイイヨ、シハライハモチロンアンタダヨ」

 治安の悪い猥雑なマニラの市街地を抜け、私たちは城壁都市イントラムロスに向かった。
車中イリアは私の肩にもたれ、腕に手を回し、まるで子供のように華やいだ素顔を見せた。
 「武川さんとデートしてる・・・夢のよう・・・」
「嫌でも一緒にいなきゃならない、これから一週間はね」
「いいよ、ずっと、ずっと・・・いつまでだって・・・」
唐突にイリアが頬にキスをした。
「こらっ・・・大人をからかうんじゃない、危ないじゃないか」

 リサール公園の北側に位置するインストラムロスは十六世紀のスペイン統治時代の名残を今に残す
史跡であり、第二次大戦でその多くが破壊されていた。
 有名な観光地だというのに今日は人もまばらだ。
 イリアは石畳の上を裸足で歩き、私はイリアの華奢なミュールを一足づつ拾うはめになった。
再建されたマニラ大聖堂の威容の前でイリアは敬虔なクリスチャンの横顔を見せた。
 胸の前で十字を切り何かを必死で祈っていた。
「何を祈っていたの・・・」
「武川さんが一生わたしを忘れないようにって・・・」
無邪気に笑うイリアを可愛いと思った。私はしてはならない恋に落ちているのではないか・・・。

 サンチャゴ要塞の前で私たちは買ってきたハンバーガーを食べ、昔からの恋人のようにお互いのことを語りあった。
 それは一頻り続き、話はこの巨大な要塞に移った。
「独立運動の英雄ホセ・リサールの恋人は日本人だったんだよ」
急に立ち上がりイリアは私をまじまじと見つめた。
「生まれ変わったらわたし日本人になる、そして武川さんのワイフになるよ」

 リサール公園のベンチに座り、私たちは肩を寄せ合い、マニラ湾に沈む夕日を眺めた。
赤く陽炎に揺れる夕日は、私とイリアを落日の寂寥に包んだ。
どちらからともなく唇を重ねた。
 それは、ほんの一瞬のようで永遠にも感じられた。
 離れたイリアの顔が泣いているように見えた。
「・・・だって、こんなに綺麗なもの見たことないんだもの・・・」
何度も見て知っているはずの夕日がこんなに綺麗なものだと初めて気づいたのだとイリアは言った。

 例によってイリアは私のベッドにやってきた。
「ありがとう、武川さん。今日はとても、とても楽しかった・・・」
「明日はどこへ行こうか?」
「マカティのアラヤ・センターにいこう。わたしが案内するよ」
「よし、そうしょう。ゆっくりお休み・・・」
イリアの視線が私と絡んだ。
「こんなに良くしてくれて、わたしは何をしたらいい?」
私の胸に顔を埋めてイリアが言った。腕は私の身体をしっかりと抱きしめていた。
「もう充分してくれているよイリア・・・こんなに楽しい時間を持てた」
「でも、わたしがしてあげられるのは・・・」
「もういいよイリア、眠るんだ・・・それと明日からは下着くらい着けて欲しいな」
イリアの髪を撫ぜ続けた。いつしか軽い寝息が私の胸に響いた。
無邪気に眠るイリアの顔を私は美しいと素直に思った。
 彼女を愛し始めている自分がいた。

 イリアとの七日間はまるで時の神クロノスの悪戯なのか、瞬く間に過ぎた。
 イリアはその若さから私に対する好意をあからさまに見せた。
どんな場所でもキスをせがみ、身体を合わせた。
なぜ、抱いてくれないのかと何度も私を責めた。
私はうまく説明することはできないが君を大切に思っている、愛してさえいる、しかし、君を抱くわけにはいかないのだとイリアに言った。
 君を愛してしまったのだ、イリア・・・私はどうしたらいい?
 イリアはその度にふてくされ、わめきちらし、仕舞には泣きじゃくった。
そして片方のベッドでふて寝しては決まって真夜中に私の横に潜り込んでくるのだ。


 約束の最後の夜、せがまれるままに私はイリアを抱いた。
イリアは離れたくないと言って何度も何度も私にしがみつき、果てては私を求めた。
 私の中に永久に自分を留めておくような激しさで何度も、私を求めた。
私ももう自分に正直になる時だ。

「また、会おうイリア。すぐ戻ってくるから・・・君を愛している・・・仕事が片付いたらここに帰ってくるから・・・」
「アイシテル、アイシテル、アイシテル・・・タケガワサン・・・イリアヲハナサナイデ・・・」
何度も交わった後、イリアは泣いた。私の胸元には湖ができるのではと思うくらい泣き続けた。
嗚咽は永遠とも思えるくらい続き、泣き疲れてイリアは私に抱かれながら眠りについた。
 軽い寝息に愛おしさを覚え、寝顔は天使に見えた。

 朝、目覚めると隣には抜け殻があった。
イリアの残り香を抱きしめていた。
私にはこの七日間が夢ではないかとさえ思えた。
 イリアの居ない空虚は私を苛み、寂寥が心を覆った。
愛しているイリアを・・・間違いようのない真実が私の心に残った。
 全て片がついたらしがらみも何もかも捨ててイリアを迎えにこよう。
いや、それが無理ならこの国に住むという選択肢だってある。
私は自分の大胆さに苦笑した。
 残りの人生を彼女のために生きよう。

愛しているイリア・・・君の他に欲しいものは何もない。

 マニラ市街を抜け、タクシーが空港に向かう間私はイリアとの思い出にふけっていた。
「ミスター・タケガワ、バカンスヲマンキツシタカイ・・・?」
「スグカエッテクルツモリダ・・・イリアニヤクソクシタカラネ・・・」
「ミスター・タケガワ・・・ソレハムリダヨ・・・モウイリアトハアエナイヨ」
「ナゼダ!・・・ドウシテ・・・!?」
「イリアノママガ、シンジケートニウッテシマッタンダヨ・・・モウココニハイナイヨ」
「ドウイウイミダ、アキノ!ソレハイッタイ・・・」
「モウキマッテイタコトナンダヨ。イリアハアラブのオオサマニカワレタンダ・・・ナンニンメカノツマニナルンダヨ」
 無意識にアキノの肩を掴み叫んでいた。
「モドロウ!クウコウニハイカナイ・・・モドッテクレ!」
沈黙が訪れた。
 悲しげなアキノの声が響いた。
「モウオワッタンダヨ。ミスター・タケガワ・・・アンタニデキルコトハモウナインダ・・・フカイリスルトマニラワンニアンタノシタイガウカブヨ・・・」

 私はその後何度かマニラを訪れた。
そして決まってマニラ・ホテルに宿泊する。
 ドアを開けるとそこにイリアが佇んでいるような気がするからだ。
今でも時々イリアのことを思う。
 失った今、どれほど彼女を愛していたのか・・・。
あれほどの激しい感情も、後悔も、時は癒してくれるものだ。
ゆっくりと・・・ただ、心に巣食ったイリアへの想いはナイフのように突き刺さったままこれからも私を苛み続けるだろう、間違いなく。

 私は今日も・・・夢を見ることを夢見、眠りにつく・・・。



                 <了>



TOMORROW NEVER KNOWS

 帰宅後シャワーを浴び、缶ビールをグビグビっと飲んでプハーなんてお決まりのセリフを吐いている時玄関のブザーが鳴った。
 インターホンの受話器を取る
「はい、どなたですか・・・」
5インチのデスプレィに女の子の顔が浮かんだ。
「あのー、ちょっとお時間ありますか・・・」
何かの勧誘だろうか・・・彼女は所在なげに辺りを見回している。
「いや、帰ってきたばかりで・・・これから持ち帰った仕事もあるしね、他をあたってよ」
随分丁寧な自分にやや苦笑した。彼女がかなり可愛かったからだろうか・・・。
「ほんの少し私に時間頂けませんか、実は私探してるんです・・・」
ほんとに新手の勧誘だと思った。インターホンを切ればよかったのだ。
 受話器を置きさえすれば、事は済む。しかし、何かが僕を躊躇わせた。

 「探しものならお門違いだよ、どこか、ほら警察とか、探偵とか、それ専門がいるでしょ」
「いえ、私の探しているものはそういうとこじゃ恐らく多分見つかりっこないものだと思うんです」
「専門家でも見つけられないもの、なぜ僕に訊くわけ・・・」
「勘みたいなものかな、私の、ほら第六感みたいな・・・」
ほんとにこれが何かの詐欺の勧誘なら、新手の詐欺という他ない。デスプレィに映った彼女は悪びれる様子もない。
「とにかく、そういう類のものには関わらないようにしてるんだ、これで失礼するよ・・・」
「ち、ちよっと待って・・・貴方、今、ピ、ピザ頼んだでしょ・・・隣にピザハットの子いるんだけれど」
 横からいつものデリバリーの男の子が顔を出した。
「毎度さまでーす、お待たせしましたあ、ピザハットです、ピザお持ちしましたあ」

 と、言うわけで僕はなぜだか見も知らない彼女を、部屋にいれ、こうして、生ハム&トマトのモッツアレラチーズのピザを食べているわけだ。
「で、食べたらすぐ出てって欲しいね、何かの勧誘ならお断りだ・・・」
彼女は僕の言葉など意に返さず、缶ビールをグビグビっと飲み、ピザを美味しそうに頬張っている。
「・・・勧誘なわけないでしょ、なぜ貴方は私が何かの勧誘だと思うわけ?」
「だって、こんな時間に君みたいな子がわけの分からないこと言って・・・」
彼女は僕の言葉を遮り、僕の顔の前で人差し指を大袈裟に左右に振った。
「ツツツ、貴方がちゃんと最後まで訊かないからよ・・・大体勧誘ならわけ分からないこと言って煙に巻くと思っている貴方の認識が間違っていると貴方考えたことないの」

 どうなんだろ、この展開何かがおかしい・・・しかし、中々可愛い顔してる。ノバチェックのブラウスの胸元に視線がゆく。
ピザが喉を通過する度にティファニーのビーンズが胸元で揺れている。
上目遣いに見上げると、ピザをぱくついている彼女の視線と絡んだ。
「で、品定めは済んだ・・・全く男ってみんな同じね」
「男ってみんな同じってどういう意味だよ、大体、見ず知らずの君を部屋に上げたのが間違いだったよ、デリバリーの子が怪訝そうな顔をするから仕方なく部屋にいれたけれど、なぜビール飲んでピザまで一緒に食べなきゃならない、こっちの方が絶対おかしいだろ」
「問題を摩り替えないでよ、私を見てたでしょ、胸とかじろじろ見てたでしょ、その事を言ってるわけ」
言いながら彼女は、缶ビールの缶を潰した。
立ち上がり、冷蔵庫に向かい、缶ビールを手にして戻ってきた。
 プルトップを慣れた手つきで開け、一息飲み干す。
「プハー、私はまゆ、まことの夢と書いて真夢、貴方は・・・」
唇にビールの泡が少しだけ残っている。
「ええと、健太郎だよ・・・川端健太郎」

 「川端健太郎かあ、じゃあバタって呼ぶことにするわ、ああ私のことはマユでいいよ。みんなマユって呼ぶしね」
 何となくだが終わりにしたくなかった。
奔放な彼女に引き摺られる心地よさを楽しんでいた。
この結末っていったい・・・。
いつものように一人で夜遅く食べる食事の味気なさを充分知っていたからだ。
 しかし、見も知らぬ彼女のペースにはまっている自分に腹立たしさも覚えていた。
「ビールもう一缶貰っていいかしら?」
「お好きに・・・」
彼女を無視してCDのリモコンに手を伸ばし、>PLAYボタンを押す。

 バッハがJBLから溢れ、心を満たした。
「ふーん、アリアかあ、わりと月並みな趣味だね。タバコ貰っていい、切らしちゃった」
僕の返事を待つまでもなく一本咥え、慣れた手付きでジッポで火を着け、美味しそうに煙を天井に向けて吐き出した。
 煙はG線上に絡まりゆっくりと消えていった。
「で、仕事は何をしてるわけ?バスキアとか、ホックニーとか飾ってるけど・・・」
「あのね、僕に答える義務があるわけ?食べ終わったら出てって欲しいな、なんの悪戯だか知らないけれど、いい加減にして欲しいね」
「だからあ、探しにきたって言ったでしょ、ピザを付き合ったのはあくまでも副次的なものよ、本来の目的じゃないの」
「じゃあ、早くその探し物ってやらを見つけてだね、とっととここから出てってよ」
「とっととって何よ!トトロじゃあるまいし。貴方見かけによらずけっこう意地悪なのね、そんな風には見えなかったけれど・・・」

 彼女の視線が僕を見つめていた。笑は消え、真摯に、まるで心の中まで見透かされているように強く、力に満ちていた。
「教育大の二回生よ、造形芸術専攻のね、かなり優秀だって貴方誉めてくれたわ」
大きな瞳に浮かんだ自分を眺めていた。そういえば彼女のその瞳におぼろげだが見覚えがあった。
「まだ、思い出せない? そうか、初心で、純粋な女子大生の心を弄んだだけなんだ」
そう言うと大袈裟に彼女はタバコを灰皿に揉み消した。
僕はソファから立ち上がりゆっくりと彼女を見つめ返す。
「弄んだって言い方、可笑しいだろ!恐らく君とこうしてこの部屋でピザを食べるって行為は初めてだし、よしんば、何処かで僕たちが会ってたとしても、君を知らないんだよ・・・僕は」
「よしんば?ふーん、よしんばねえ、わりと古風なのね・・・ははは、よしんばなんてねえ」
缶ビールをお代わりするように彼女は僕の怒りなど無視して缶を振った。

 反射的に冷蔵庫から缶ビールを取り出し、彼女に渡す。
いったい全体、なんなんだこの従順さは・・・こんなに馬鹿にされ、ピザまでご馳走し、缶ビールも四缶目だってのになぜ僕は彼女を追い出せない?

 よりによってこんな日に限って冷蔵庫には買い置きの缶ビールがたっぷりとあるじゃないか・・・そして彼女はピザの残りの一切れを摘んでいた。
「Dマイナーの気分でしょ、トッカータとフーガのね、ははは・・・」
「確かにね・・・ははは・・・」
つられて笑ってる僕がいた。ピザを頬張っている彼女があまりにも純真で無垢な気がしたからだ。
彼女の方だって、こんな時間に男と二人で一つ部屋にいるってこと、疑いもしないのだろうか、
 それほど、僕は無害な奴に見えるんだろうか・・・彼女にしてみればだが。

「一年前、貴方講師として大学に来てたでしょ、コンピューター・グラフィックスの講義でね・・・」
思い出した。確かに教育大学に仕事で知り合った担当教授の紹介で講師をしたことがあった。そうか、彼女はそれを履修していたのか・・・。
「思い出したみたいね、貴方、誉めてくれたのよ。コンピューターの才能は無いにしても美術の才能は有り余るほどあるってね、貴方ほど率直に私を評価してくれたのは私の二十年間の人生で初めてだもの」

 ソファを立ち上がり、彼女はゆっくりと僕に近づいてくる。
背が高い、僕よりほんの少し小さいだけだ。脚が長い、スリムなジーンズが似合ってる。栗毛色の髪が肩よりもほんの少し長い。ふっくらとした唇が別の生き物みたいに動いている。
 「これエクステンションよ、今日のために着けてきたんだわ」
僕の視線に気付いて彼女が言った。
「でも、だからと言って、なぜ今日君が僕の部屋のベルを鳴らさなきゃならない、君とクラスで会ったのだって一年も前のことだろ」
「それだけじゃないわ、何度も会ってるわ・・・現代アートの展覧会とか、シャガール展とか、何度も、何度も会ってるわ」
 そして、彼女は僕の腰に手を回しながらこう言った。
「運命を感じたのよ・・・川端健太郎君」

                         

「ち、ちよっとまってよ・・・何がなんだか僕には・・・」
「いいから、話が終わるまで抱きしめててよ、腕二本余ってるんでしょ、ギユッと抱きしめててったら!」
 彼女の吐息すら感じられる距離・・・さあ、どうしたもんだろ。
「酔ってんだから・・・そうじゃなきゃ、言えないことだって、言えるんだから・・・」
言ってることが支離滅裂だ。悪酔いする性質らしい。
迷っている僕にお構いなく彼女は僕の腕を取り、自分の腰の辺りに巻きつける。
「バイトでね、受付やってるのよ・・・近代美術館のね、で、貴方は何度も私の前に姿を見せるの。
話し掛けようと何度も思ったけれど、貴方いつも誰かと一緒で・・・」

分からない、僕は・・・とにかく彼女を抱きしめていた。
 「一応これでも社員十二人を抱える企業のウエブ・デザインやってる会社の代表だからね、名目上はね・・・勉強を兼ねて、社員連れて美術館にはよく行くけれど・・・」
 「そうね、偶然よね。でも、三ヶ月前にね・・・高校ん時から付き合ってた彼氏にふられたの、もう我慢できないって・・・私のこと一番理解してくれてた筈なのにね・・・私と彼とのこと、ビデオで取ったり、デジカメで記録したりするのが私にとっては作品なのよ、私自身を記録して、観測して、内面を曝け出して理解したかったの、客観的に自分を見つめるために必要な作業、行為だった・・・」
 いつのまにか彼女は泣いていた。僕の胸元がほんの少しだけ濡れた。
やはりここはどんな疑いや、わだかまりがあったとしても、彼女を抱きしめているべきなんだろう。
 恐らく、多分、きっと、そうなのだ・・・。
「・・・彼が吐き捨てるように言ったの、最後にね、大抵のわがままは我慢できる。そして、してきた積もりだ、けれど、僕とのセックスまでビデオを回す意味が分からない、うざいって言って、出てったのよ、それっきり・・・音沙汰なし・・・」
 しゃくるように彼女は泣き、僕の背中に回された腕に力がこもり、そして、更に泣き続けた。
「・・・その後のことはよく覚えてないの、休みたかったけれどシャガール展の初日だったからフラフラしながら美術館のバイトに行ったことは覚えてるし、そして、貴方が仲良く彼女と手を繋いでジャガールの絵を見てるのを私はずっと馬鹿みたいに眺めていたんだわ」
 受付の彼女のことは覚えていなかったけれど、シャガールを見に行ったことは覚えていた、何しろほんの三ヶ月前のことだ。
 「帰り際、貴方彼女を先に帰して私のとこにきて言ったのよ・・・覚えてない?」
僕を見上げる彼女の瞳から更に涙が溢れた。
 大きな瞳から溢れる涙は世界の果ての淵から流れ落ちる滝のように僕を包み、翻弄した。
いつのまにか彼女の髪を撫ぜ続けていた。昔からの恋人のようにただ撫ぜ続けていた。
「私に向かって言ったのよ。今日の君はまるで一日中泣いてたみたいだね、腫れぼったい瞼は恋に悩むベラのようだよって・・・私に言ったの」
 心地よい沈黙が支配した。言葉通り言い終わると彼女は僕から身体を離し、泣き止み、崩れるようにソファに座り込んだ。
「正直に言うと、君に言ったことはよく覚えてない。言ったかも知れないし・・・シャガール見に行った子とはとっくに別れたよ」
「それって慰めてるつもり?弄んだ言い分けのつもり?あはは・・・」
「だから、その弄んだって言い方はよくない。多分、君の状態がよっぽど酷くて声を掛けずにいられなかったんだろう、きっと・・・」
 
 僕らは多少の酩酊気分でタバコをチェーン・スモークし、そして、お互いをまじまじと見つめ、笑いあい、更にイタリア、トスカーナ産のブラック・ベリーの香りのする赤ワインを半分ほど開け、彼女のリクエストでシベリウスのピアノ曲に耳を傾け、僕の出した生ハムを美味しそうに食べ、満足気に小さなゲップをし、千鳥足で二、三度トイレに立ち、更に、取り留めのない話を交わした。

 「帰るわ、なんだかすっきりしたし・・・」
唐突に彼女が立ち上がり言った。
 仕事が残っていた。もうすぐ、明日になる時間だった。
引き留める理由は見当たらなかった。
「タクシー呼ぼうか・・・」
「いいわ、ここなら歩いていればすぐつかまえられると思うし・・・」
「送ってこうか、深夜だし、君はかなり酔ってるし、タクシーがつかまるまでさ」
「ふふん、少しは私のこと気にしてくれてるのね・・・送らせてあげてもいいけれど、貴方の返事次第ね」
「・・・どう、返事したらいい・・・」
「また、会えるかな私たち・・・」
「弄ぶなんて言葉を使わなきゃね、携帯の番号書いといたよ・・・」
受け取る彼女の笑顔が心地良かった。マユの事を好きなのかも知れない。
「やっぱりここでいいわ、送られるって好きじゃないし、苦手なの・・・離れたくなくなるし」
何か言いたそうにマユは玄関のドアの前に暫く突っ立ていた。
「私の片思いは終わった・・・?」
「うん、恐らくね・・・興味深い性格だからね、楽しそうだ」
「サヨナラ・・・」
「ああ、気を付けてね・・。サヨナラ」
彼女がドアを閉める時、僕は彼女の背中に声を掛けた。
「ところで探し物ってのは何だったの・・・見つかったの?」
「ええ、ちゃんと見つけたわ」
振り返り僕に近づき頬にキスしながらマユが言った。
「明日を探してたの、私の明日、そして、貴方と一緒の明日をね・・・」


             ・・・了・・・