のーすているよもやま日記

のーすているよもやま日記

その日のできごと、思いついたこと、ぼちぼちと書いて行きます。

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久々の投稿です。


ブログのログインできなくなりパスワードを忘れてしまい、再設定を試みるも、うまくいかず、やっと、これかなあと言うのを入力してログインできました。


昨年11月に父が旅立ってから、悲しむ間もないくらい、色々あり、翌月には

主人の母の圧迫骨折で入院、介護保険手続き、落ち着いたと思えば年末に母が、入所先の施設で転倒し、右手首骨折、即手術となり、落ち着いたなあと思った6月の日曜日の昼に、母の入所先から、「お母さんが、あまり食べないし、排便もないし、今日は朝から冷や汗かいてるし救急病院に娘さん、連れていってもらえませんか」と言われ、診察受けると、先生曰く、「問題はありません。日々の排便コントロールが悪いからでしょう。施設の嘱託医に相談してください」と言われ、翌日、施設ナースから、「お母さん、やはり食べません。排便もありません。」と連絡


また、翌日同じ電話があり

これはおかしいと、施設の嘱託医にナースから相談してもらうことに


「検査が必要ですね。3日間様子を見ましょう」となり、


それでも、様子がかわらないので、嘱託医にお願いして、検査してくれる病院を紹介してもらうことになり、快諾してくださったけど


動いてくれる気配がなく、直接嘱託医のクリニックにお願いにいくと、診察中の為、会えず

、クリニックの事務員さんから電話があり「先生からですが認知症の人を検査入院させてくれる病院はありません」と言われました。


このままでは、母が危ないと思い、医者をしているいとこに相談し、すぐ連れておいでといってもらい、いとこの紹介で、その日のうちに病院で検査をしてもらい、その週には、手術


原因は、大腸がんが原因で腸閉塞を起こしていました。



父がなくなってすぐに、施設から「お母さん、あまり食べなくなって、痩せてきたから病院に連れていってもらえませんか」

といわれ、検査結果は、ひょっとしたら、癌があるかもと言われ

その時に、先生から「認知症のある方は、検査の指示も入りにくく、お母さんもよく動かれますし、高齢ですから進行も遅いですから」と言われ、私も母に検査を受けさせませんでした。


手術は、無事にすみ、来週退院と言うころ

病院から連絡があり

「お母さん、まったく食べないので、胃瘻をつけませんか」


認知症と診断されもう何十年


胃瘻をつけずにこのまま

父のもとにいかせてあげようか、でも、その選択は苦しくて



先生から

「お母さん、リハビリも歩いていきます。返答もしっかりされます。胃瘻をプラスに考えませんか?

元気になるための胃瘻と思ってください」


と言われ、胃瘻造設していただきました

よかったんだろうか、娘のエゴを通しました。


母が退院したらこれからもっと大変になるし、施設通いも増えると思い母私が働く特養に入所させようと思い、申し込み、8月末にお世話になった施設から私の勤務先に入所しました。



母にとって、環境がかわること、お世話になった施設の介護士さんに大事にしていただいたので、私のエゴでしかないですが、


母が入ったユニットは職員さんも優しく、一生懸命関わってくださり胃瘻も、1日2回だったのか、1回になり、食べるものの種類は限られていますが、よく食べるようになりました。









いつかはなるかなあ

でも、私は

運動してるし、ヨーグルトも毎日食べてるし、健康には自信あると高を括ってた


とうとう、コロナにかかってしまった


ウィルスに色がついていたらいいのに。


コロナにかかっても仕方ない環境であるけど

どこからくる根拠か、私はかからない!大丈夫!ウィルスが逃げていくなんて思っていたからかな


日曜日の夕方から、咽がヒリヒリ痛い

くしゃみがでる

だんだん倦怠感が増してくる


日曜日は、天気よかったし、花粉がとんでるからアレルギーかなあ


恐る恐る、抗原キットで検査したら、薄くだけど、陽性反応


その夜は、しんどくて眠れない

咽が乾く、身体が重い

気力低下。


職場は、5日間出勤停止。

ゆっくりしたいけど、

身体が何にもないときのゆっくりはこの上ないしあわせなんだなあと思う。


念のため、いま、市内のクリニックの待合室


風邪引き症状の患者待合室に案内された。

結構いるなあ


今日の夕方にはなおってくれんやろか



1月末に、介護福祉士国家試験を受けました。

3月25日合格発表がありました。


介護士になろうと決めたのは、3年半前

父が介護サービスが必要になり、福祉、医療に携わる方々の姿が眩しくて

それまでの事務職からの転職でした。

私が30歳の時には母は、すでに若年性認知症になりいまは、特養で生活しています。

母が介護サービスを受けていた時も、介護士への憧れがありましたが、私にできるだろうか

不安しか有りませんでした。


仕事を辞めて、訪問介護の仕事をするために、初任者研修をうけ、晴れ晴れとした気持ちで訪問介護の仕事をしました。

生活支援で、掃除、洗濯、買い物、料理

をしました。

最初からうまく行くわけありません。

初任者研修で、利用者の尊厳、残存能力を生かすを学びましたが


やりすぎてしまったり

自分の価値観の押し付けになったり

いちばんは、利用者さんに迷惑ばかりかけました。

事業所の上司に毎日、指導、注意されていました。


どうしたら自分は変われるだろうか、

なかなか成長できずにいる


事業所に、掲げてあったヘルパーの、介護福祉士国家資格の証明書

すごいなあ、と思いながら

50歳を過ぎての目標になりました。


3年介護士として、実務経験があり、実務者研修をうければ

受験資格がある


実務者研修は、今の職場が開催しており、受講し、研修にいくたび、この場所で働きたいと思い始め、介護士として、成長もできない私が飛び込んでいいのだろうかと、不安でしたが、

訪問介護をしながら、最初は、週三回、夕方3時間だけ、働きましたが、

 何かあった時、回りの誰かに相談できる、助けて貰える、

その方が私にはあっているなあとおもい、意を決してお世話になった事業所を辞めて

特養で働くことに生りました。


身体介護の技術もない

着脱着衣、食事支援、排泄支援

時間かかるし、目の前のこともしっかりできない

情けない毎日


それはいまでもですが、

この仕事好きだなあと思います。


父が昨年秋に旅立ち、落ち込む間もなく迫る試験日

過去問題をとき、YouTubeの試験対策をみて、はじめて出会ったような単語の理解に苦しみ、試験間に合うかなあと不安で受験しました。 


合格発表の日、受験番号ありました。


これからやなあ


合格の喜びも束の間


介護福祉士登録しなければ認められない


受験料18000円ほど支払い、

申請に12000円ほど必要


介護士不足してると言うのになあ


登録しっかりします。


まだ、すこし、長い道のりやなあ




今日は父の月命日

何をするわけでもないですが

写真の父に話しかけました。


4ヶ月経ちました


父と別れるのが嫌で、耐えられなくて、父は絶対強いから奇跡を幾度とおこしたから大丈夫と思い、

経管栄養が取れるように、腸ろうの手術を承諾しました。


手術が終わったとき、

私のエゴだけど

父とまだまだいられる

手術したこと、良かったと思いました。


限りあること。その日は必ずくる


斎場で見た父の遺骨に

妹が

「こんなにボロボロになるまで頑張ったんやなあ」

と言いました。


胸にささり、響きました


お父ちゃん、頑張らせて

ごめん



お父ちゃん、こんなになるまで生き抜いたんよね。

誇りに思うよ

ありがとう


ごめんと思うと、ありがとうの意味の気持ちが私を癒し


ありがとうと思うと、

ごめんの意味の気持ちがしめる


でも、

ちゃんと父はこの日を選んで、旅立ったなあと思うことがたくさんありました。


やっぱり、父、自分のためだけでなく、私が自身を責めないようにしてくれたのかなあ


夢で会ったら聞いてみたいけど


ありがとうを一番伝えたいな








東京走りました。

ここ数年、年齢とともに、走る気力が下がり、走る体力さえあればいいと思い、練習全くせず、こんな自分を建て直さなきゃと再びやる気スイッチいれたいと思いながら、奇跡的に東京マラソン当選しました。

これがきっかけになるかと思ったけど、練習ほとんどせず、

大会当日は、東京を楽しもう!満喫しようと思い走りました。

練習は嘘つかないと言われますが、ほんとにそうです。

距離を進むごとに、脚がうごかなくなったけど、

なんとか完走できたのは

絶え間ない応援

テレビで見る景色、聞く地名にわくわくし、

防衛省の前での演奏、

目の前に現れる、スカイツリー、東京タワー

浅草寺、秋葉原、銀座、

高層ビル、

どれもこれも、感動で、この上ないしあわせだあと走ってました。

途中、「都心通行止め」の案内を見たら、首都東京の道を走っているんだと改めて感動

マラソンしない方々にはかなり迷惑なことなんだなあと思いました。

感謝しかない、東京マラソン

来年また、エントリーして、走る事ができたら、今度は、しっかり練習して走ります

走り終ったあと、

テレビでしか見たことがない、夜の東京タワーみたくて夕方から出掛けました。

運良く、富士山のシルエットも!

最高です