どっかのPublic Talk(公開講演)のようなタイトルみたいになって
しまいましたが、なぜ、わたしたちは英語を学ぶべきなのでしょうか。
お気づきの方もおられると思いますがそれは、
日本の聖書は誤訳が多いからです。
例えば、新世界訳聖書の出エジプト記14:8節をご覧ください。
「 こうしてエホバはエジプトの王ファラオの心をかたくなにならせたため」とありますが、ここで疑問が生じます。
人間の自由を尊重されるエホバがなぜ、フォラオ王の心を操るような事をするだろうか?と思いませんか
そのことに関して、組織の出版物で調べる理由が説明されているのですが、
ヘブライ語の文法に関係することで、話が長くなるので省略します。
英語の同じ個所はもっとシンプルです。実際、
Thus
Jehovah allowed the heart of Pharaoh king of Egypt to become
obstinate,
この allow は ~を許すという意味があるので、エホバがファラオの心がかたくなになるのを許した
という意味になり、エホバが心を操った訳ではなく、矛盾しません。
いかがでしょうか?
英語では「許した」なのに、日本語は「ならせた」。。。
全く意味が違いますね。JW以外で日本の協会で使用されている 新世界訳より古い、新共同訳や口語訳も同じ誤訳となっています。
ではなぜ、このような誤訳が生じてしまったのでしょうか?
多分、当時聖書を翻訳した方が英語を正確に訳せなかったのでしょう
新世界訳も大学教育全否定の時代に訳したわけですし、人材不足だったんですかね
あ、でも今は東大卒のJWをベテルに採用しているから大丈夫なのか?
今度の地域、いや違った地区大会で新しい訳の聖書が出るとうわさが1975年説張りに先行していますが、
この誤訳くらいは直ってて欲しいですねえ