山頂には神社がありました。


神社には狐もいたし、よく知らない様々な神もいました。


けれど、神社の横に立つ大きな石碑を見ると。



『鶴亀大神』と書いてありました。



あ〜、結局、そう言うことなのか〜とわかりました。



古き神 新しき神

天つ神 国つ神

天神 地祇

鶴 亀

琴座 シリウス

善 悪

光 闇

陰 陽

火 水



封印する者と、される者

書き換えた者と、書き換えられた者

加害者と、被害者



そもそも、神に被害者などいない。

時に封印されることもあるけれど、それはその時代に合わせたフォーメーション変更のようなもの。

封印した側も、同じ神の分霊であり、自作自演のようなもの。




神々達は、神話や歴史の中で、私達に様々な対立軸、二元性のドラマを見せてくれて、時に粗暴で荒々しく、自己中で、感情的で、個としての不完全さをありありと見せてくれている。




けれど、それらは全て、私達、人間の中にあるものを見せているに過ぎず、共感させたり、同調させたり、違和感を抱かせたりしながら、私達の中の気付いていない様々なカルマや二元性を映し出し、解放へと導いてくれる。



敵・味方もすべて自分の中にある概念にすぎない。


豊臣も徳川も、狐も蛇も、ひとときの人の世の夢。



どれだけ異なり、対立しているように見えるものであっても、最後はすべて、『結び』『くくり』『総べる』のである。



これが、カ(火)ミ(水)のわざ。



シリウス🔯のカゴメ(統合)の仕組み。



『鶴亀大神』とは瀬織津姫のことである。




ディセンション時代は、分離を体験したいから、統合の女神は不要だから封印して、ガッツリと分離を楽しみ、アセンション時代になると統合の女神は復活する。



そんな女神の片棒を担がされている私だけど、それも私という『神』の自作自演のストーリー(笑)




満足して山を降りる途中、ダンナがふと立ちどまり、岩場の奥に入っていきました。



『水があるよ』と言われ、私も入ってみると。



小さな滝がありました。

横に小さな不動明王も見えます。



ここは案内図には載っていない、名前の無い、とても小さな滝でした。


そこでレムリアンシードクリスタルを洗いました。



こういう『ライトワーク』のようなものを意識すると、私達はついつい余計な知識とかスピリチュアルエゴが入りがちですが、スピリチュアルをやっていない旦那は、無意識でニュートラルにインスピレーションを受け取っているらしく、私を必要な場所へと案内してくれます。



なので、私はなるべく調べず、旦那に任せるようにしています。

『一気に上まで行く、山頂に全てがある』と旦那は言いました。



たまに子供がごねて、休んだりすることも、完璧なハイヤーの流れだったりしますね。



結局、スピリチュアルが1番ジャマになるというか(笑)



下山途中の茶店で、娘との約束通り、2,000円のパフェを食べました。




その茶店の奥の壁を見ると。



稲荷山を勢いよく登っていく龍。


きっと私達は、竹生島でもらった龍エネルギーを、この絵のように、一心不乱で山頂まで運んだのだろうと思いました。




よく見ると『2024年辰年』と書いてあり。


そうすると12年前の辰年は、『2012年』。


アセンション時代のスタートは辰年だったのか〜なんて、腑に落ちていました。



約2時間くらいかかった稲荷山を昼前には、後にして。



帰路に着きつつ、時間が余ったので、自然遊園地のようなところに寄って、娘を遊ばせて帰りました。



落城した城址なんて、もう寄りません(笑)



とても暑かったので、娘は、ジャブジャブ池のような子供用の水遊び場でベチャベチャになって遊んでいました。



放水されるホースの水が、白蛇のような、虹色のように見えました。



アクアチューブで娘が遊んでいると、カエルさんの姿も。



帰りは高速が混んでいるので、甲賀の山を超えて帰りました。


ダムや渓流が美しかったです。



とても楽しい、GWの家族旅行でした♪





おしまい