計画当初は彦根に一泊して、翌日、帰りがてら過去世で落城した山城の城址に行こうかと思っていました。
けれど、なかなか彦根付近のホテルが取れず、琵琶湖の南側の南草津のホテルに泊まることになりました。
そして次々と旅の予定が決まり、7月の連休で、豊川稲荷に行くことになり。
豊川稲荷、愛知県内なんだけど、なんか怖くて、ずっと行きたくなかったのです。
稲荷も狐も、苦手。
稲荷神社はいつも入らない。
けれど、ある時、もうそのブロックを解除しようとワークをやりました。
大きな白狐が出てきて、懐かしい友だったことを思い出して、抱き合い、和解しました。
これで、安心して7月に豊川稲荷にいけるな、と思った矢先、『伏見稲荷が先だ』とインスピレーションが来ました。
京都までは、全く予定していなかったんだけど、泊まる予定の南草津からは、30分程度で行けることが分かり、急遽、伏見稲荷行きが決まりました。
実は伏見稲荷には因縁があり、封印された記憶があります。
2年前にチラッと書きましたが↓秦氏によって封印されたのです。
伏見の稲荷山は元々龍蛇信仰の山でした。
伏見稲荷大社の起源を見ると、秦氏の1人が、餅を的にして矢を打ったところ、祟りかなんかで貧しくなり、反省して稲荷山に神社を立てたそうです。
米からできた大切な餅、食べ物を粗末にした祟りとも言えるけど、たぶん、その餅って『鏡餅』。
鏡餅のモデルは…
↓これです(笑)
と言うことで、最初は龍蛇を祀った山だったけど、名前を変えられ、たくさんの結界(鳥居)を貼られ、狐を番人に置いて、封印されました。
稲荷の神は、『ウカノミタマ』と言う女神と言われているけれど、『ウカ』は蛇の古語です。
朝9時すぎに伏見稲荷に着くと、もう外国人観光客やらで敷地内がいっぱいでした。
着物着て、千本鳥居前で写真撮っている人達がいっぱいいました。
確かに写真に映えますね。
たくさんの鳥居を見ながら上っていくと、鳥居を奉納した企業や個人の名前が次々と見えます。
『願いが叶いますように』『かなってありがとうございます』と言う、たくさんの信頼と感謝の証。
伏見稲荷がディセンションの暗い時代、どれだけ、現世利益の功徳で、ストーリー真っ只中の人々の救いとなったのかがわかります。
狐さんも、龍蛇に代わって役割を任された以上、誇りを持って立派に働きました。
狐さんは、とても純粋でニュートラルな存在だから、人々の欲や狡さも、鏡のように映し出しました。
狐に関する悪いイメージも、すべて、元はと言えば人の闇です。
登っていて気付いたのは、伏見稲荷には、神社としては不思議なくらい龍がいません。
水場にさえも、よくある龍の口から水が出ている像がありません。
意図的に排除しているのでしょう。
帰宅してからわかったのですが、稲荷山の途中の分かれ道を行くと、龍系の伏見神宝神社と言う別の神社があったそうですが、それは伏見稲荷大社とはまったく関連が無い神社らしく、伏見稲荷大社の案内地図にものっていませんでした。
気付かなかった私達は、たぶん、そこには行く用事が無かったのだろうと思います。
私達は数々ある摂社・末社には脇目をふらず、ひたすら山頂の一の峰を目指しました。
けっこう長くて、娘が疲れたとごねたけど、『がんばれば、帰りに、途中の茶店にあった2,000円のステキなパフェを食べさせてあげる』となだめて、なんとか休み休み登りました。
そして、やっと山頂に着きました。
続く
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