先週末から今週末にかけてやっていた、9歳の娘とパパのお絵描き遊び。



適当なダンボールに、絵の具で、なぜか海の中の絵を描きました。



今週末で完成しました。



右側の方がパパで


左側が娘が主に描きました。




娘が小さい頃から、娘とパパは、暇な時、一緒に絵を描いて遊んでいました。



パパは子供の頃から、絵が上手だったらしく、義両親は、将来は芸術系の職業で成功するのではないかと期待して、絵を習わせたりもしたことがあるようですが、パパ本人はあまり興味が無く、1年で辞めてしまったそう。



その後も、図工の成績はすごく良いんだけど、本人に特に思い入れはなく、なんらその能力を生かすこともなく、ふつうの営業職のサラリーマンになりました。



私が結婚する時も、そんな才能があるとは知らず、娘が3歳くらいになりクレヨンで絵を描くようになってから、一緒に描いているパパの絵を見て、そのうまさに驚きました。



本人を誉めてみても、たいした反応もなく、本人にとっては、いたって普通のことのよう。



私が感じるには、パパは、数回の過去世で、絵を描く人生を送ってきたようで、本人的にはもうやり切ってるから、今回の人生で、その才能を活かして仕事をするとか、そういう目的は無いようで。




こういうことは、人間往々にしてよくあって、私自身も、高校時代に進路セミナーでコンピューター進路診断テストをやった時、法学の適正偏差値が圧倒的にダントツで。



『ぜひ法学部に行くべきです』ってさんざん言われたんだけど、本人的には、ぜんぜん興味が無く、『なんとなく、前世とかでそういうのいっぱいやってた気がする。やったことある得意なことなんて何にも面白くないから、やったことないことにしよう』と思いました。



のちにスピリチュアルをやってからわかったのが、アメリカの裁判官の過去世や、そういう関係の、天秤を持った女神の霊統であること。



誕生日も憲法記念日ですしね。




他にも私は弁論も得意で、学生時代の弁論大会では何度も優勝しまくりました。



何の努力も練習もしていませんから、優勝したところで感動もありがたみもなく、なんで、やりたくもないことに、他人からみて『上手いから』という理由で、表舞台に引っ張り出されなければいけないのか、不満でした。



けれど、無理矢理引っ張り出されてみないと、自分からはやらないから、そういう才能に気付くことも無かったことでしょう。



もちろん、こういうことも過去世でやっていたから、普通にできるわけです。




他の誰かから見て『才能がある』ということも、本人にとっては、当たり前のごくふつうの、生まれながらに標準装備されている、見慣れた、新鮮味のないことだったりします。



私達は、誰かに指摘されない限り、自分に『才能』があることすら、自分1人では気付き得ないのです。



人に言われて『才能』に気付き、それをきっかけに、その能力を発揮して、そういう仕事についたり、社会的に活動するケースも多々あることでしょう。



それはそれで良いのですが、そもそも『才能を発揮する』ということが、必ずしも、それを仕事にしたり、世に出て人から評価されることではないのではないかと思うのです。




今日も、床にダンボールを置いて、向かいあって絵を描いているパパと娘の幸せそうな時間を見ていて、改めて、そう思いました。



ああ、パパは、娘とこういう幸せな時間を過ごしたくて、そのちょっとしたツールとして、絵の才能を持って生まれてきたんだな〜と思いました。



もちろん、その才能が娘に受け継がれたり、将来的に娘がそういう仕事につくこともあるかもしれないけど、大切なのはそんな『結果』ではなく、『今ここ』の2人の歓びなんです。




自分のその才能を自然に使い、それが自分や娘、そして見てるだけの私をも幸せにしている。



『才能を発揮する』って、そんな小さなことで良いんだと思うんですね。



その小さな幸せの瞬間瞬間の積み重ねが、その人の人生となっていく。



そういう、何気ない日常の幸せ、何も活躍してないし、何事も成し遂げていない、そんな小さな幸せに気付いた時、私達は本当の意味で、『無い』と思っていたものが本当はずっと『有る』ことに気付き、感動するのではないかと思うのです。



みんな、それぞれが、自分でも『才能』だと気付かないくらい、自然に、それぞれの才能を発揮して生きている。



私達は、何かを追い求めて、遠くまで旅をしてしまう生き物だけど、結局、遠回りして、戻ってきて、求めていたものが最初からそこにあったことに気付くのです。



でも、それはわかっていても、人から聞いた『寓話』では納得できないから、みんな自分で体験したくて、旅に出る。



でも、さんざん遠回りして、疲れて、飽きたら、気付く時がやってくるでしょうね。



人それぞれのタイミングで。




描いたダンボールは、せっかくだから、組み立てて、もうすぐ義父の誕生日なので、何かプレゼントでも入れて送ることにしました。



孫と息子の合作、さぞやジジババも喜ぶことでしょう。