私の母の話。
うちの母は兄が大好き。
お兄ちゃんも甘え上手で
すごく世渡り上手なのだと思う。
母は昔から『父と離婚する!』
いつもそう言ってた。
でもパートの母は家を出られない
とのことで、吠えるだけだった。
いつも喧嘩している姿は見てたから
仲が悪いのは知ってたけど
言い合いだけなんだろうなぁと思ってて
でも母曰く、暴力もあったそう。
父ちゃん、なんて奴だ!!!!!!!
とはいえ、母も問題があり…
典型的な女子タイプの母は
事あるごとに”自分が可哀相”のタイプ。
働く父に近所のママさんの愚痴を言うけど
父の仕事の事情は聞き入れない…
仕事の付き合いで飲んでくると
『ゴハンの準備したのに!!』
とカナキリ声で責めるタイプ。
その声が聞こえてくるたびに
別に冷蔵庫入れときゃいいじゃん…
と、自分の部屋で思ってた。笑
母は面倒なことが大嫌い。
食事の準備も
私が中学生くらいの頃から
あまりしなくなった。
時期的には
兄が家でゴハンを食べなくなったころから。
やりがいをなくしたんでしょうね、きっと。
私が高校生の頃には
私も家での食事を拒絶しはじめた。
面倒そうにされるし…
バイト先で廃棄弁当もらえるし…
昔はとてもやさしい人だったと思う。
といっても
私にはあまり昔の記憶がなくって…
よく分からないんだけど
高校前くらいの記憶が薄すぎて出てこない。
中学の友達で
仲良しの子が唯一1人だけいるんだけど
(すくな。笑)
その子と話してても
同級生の名前とか担任の名前とか
そもそも中学校での生活の記憶が全然ない。
きっとよっぽど薄い生活してたんだと思う。
そして高校以降が
あまりに濃かったせいだと思う。笑
母との普通のやりとりができたのは
短大2年生くらいから。
それまでは
『お願いだから高校だけは卒業して』
『お願いだから短大くらいは行って』
そんな泣きつかれた記憶しかなくって
はぁ。。。
って感じだったから。
いつだって私は、
高校を中退して
家に寄り付かなくなった兄の代わりだった。
短大2年生のとき
大好きな母方のおじいちゃんが入院して
一緒におじいちゃんのお見舞いに行った。
離れたところに住んでいたから
もう完全な旅行だよね。
親戚のおじちゃんチに泊めてもらった。
母の真ん中の弟おじちゃん。
すごく普通の人に見えたのに
夜お酒が入ったとたん
姉である母を罵倒しはじめた
母も、おじちゃんのヨメも呆れ顔で
なんか慣れてる感じ。
そうか、昔からこんなオジサンだったのか。。。
もう一人母には弟がいた。
お仕事をせず
ヨメがおじーちゃんたちの面倒をみていて
子供が2人。
この一番下の弟オジサンも
私には普通の人に見えていたから
その日
真ん中弟のオジサンが吐いてる悪口を聞いて
なんか大人って面倒くせぇな。
って思った。
てか、母ちゃんも大変だな。。。と思った。
母が私の部屋に来て話をすることが増えた。
これといってネタもないから
彼氏の話をしてみたり
一緒にヤキイモ食べたり…
気付いたら
母というよりは友達みたいになっていた。
あぁこれなら付き合えるのかもしれない
と思った。