憲法語言論 おはようございます。私たちの知らない歴史(2024年2月13日沖縄タイムス主張欄投稿)

 11日付Webb版本紙で福元大輔政経部長のコラム、101人目の「沖縄の生活史」を読んだ。復帰50年にあたって本紙が100人の語り手から100人の選ばれた聞き手が聞き取った証言、約1万字が880ページの本になって昨年出版された。

 本紙連載時から注目していたが、今回の載せられなかった101人目の方の取材記事を読んで、ありのままの「生活史」の聞き取りの意味が少しわかってきた。

 68歳の娘が90代の母に計4時間聞き取ってまとめた文章は家族の事情で掲載されなかった。しかし、4時間の母からの聞き取りのかけがえのなさが記事からうかがえる。ありのまま。そこに現れた母は自分の知っている母ではない人、母は母だけではなく、その時々を様々な思いで生きた人だった。「生活史」には人のさまざまな人生が現れる。両親はなくなったが自分だったらどうか。そう思うと貴重な証言録だ。ぜひじっくり読んでみたい。

 

*自分を振り返ってみると私の場合はつじつまの合わない、今の自分に都合の悪い砕け散った断片が浮かんでくる。いくら避けようとしても痕跡は残ているし、そこにその時代の社会が表れている。生活史は無意識の自分も現れるので、いろんな局面の自分が表れる。それが貴重だ。単なるオーラルヒストリーではない。