目の前の人に謝らせても、なぜかスッキリしない理由
ちょっとしたことで、「それって、おかしくない?」「なんで私が?」「ちゃんと謝ってほしい」そんな気持ちが、必要以上に大きくなることがあります。もちろん、本当に理不尽なこともあります。でも、出来事の大きさに比べて、自分の反応がどうも大きすぎる。相手が謝ってくれたのに、なぜかまだ腹が立つ。話は終わったはずなのに、何度も思い出してしまう。そんな時は、目の前の出来事だけが原因ではないのかもしれません。本当は、別の誰かに謝ってほしいのかもしれない人は過去に、ひどく傷ついたこと。理不尽な扱いを受けたこと。言いたいことを言えなかったこと。そういう経験を抱えたまま、長い時間を過ごしていることがあります。本当は、「そんなことをして悪かった」と謝ってほしかった。でも、それが叶わなかった。すると、その時の不当感が、心のどこかに残ることがあります。そして何年も経ってから、似たような感情を刺激する出来事が起きる。すると、今起きていること以上に腹が立つ。ものすごく損をさせられた気がする。どうしても謝らせたくなる。「私はこんなに傷ついたんだから」と、相手に分からせたくなる。ところが、そこで目の前の人を謝らせても、なぜかスッキリしません。当然です。本当に謝ってほしかった相手は、その人ではないからです。自分でも、なぜこんなに腹が立つのか分からないこれが厄介なところです。本人は、昔の出来事に反応しているとは思っていません。「今、この人にひどいことをされた」と思っています。だから、自分の主張は正しいように感じます。そして、もっと分かってもらおうとして、強く訴える。大げさに不満を表現する。自分がどれだけ傷ついたのかを説明する。時には、相手に罪悪感を持たせようとしてしまうこともあります。本人としては、ただ「分かってほしい」だけだったりする。でも、やめようと思っても、なかなかやめられません。性格の問題というより、昔の感情と、今の出来事が混線している。そんな状態です。すると、不当感がどんどん育ってしまうこの状態が続くと、周りの人との関係も、少しずつ難しくなっていきます。本人は、「また理不尽な目に遭った」と思う。周りは、「なんで、そんなに大ごとになるんだろう」と思うから、だんだん人が離れていく。すると今度は、「なんで私ばっかり」という気持ちが強くなる。孤独になるほど、不当感も強くなる。そしてまた、ちょっとした出来事に反応する。なんとも見事な悪循環です。本人が悪いという話ではありません。自分でも気づいていない感情が、人生をややこしくしているだけです。大事なのは、「誰が悪いか」ではなく「いつからなのか」だから、こういう時に必要なのは、「気にしすぎないこと」でも、「もっと大人になりましょう」でもありません。ましてや、「被害者意識を捨てましょう」と言われても、簡単に捨てられるものではありません。見るべきなのは、この強烈な不当感は、いつからあるんだろう?ということです。 何があったのか その時、どう思ったのかそこを丁寧にたどっていくと、「本当はこの人に謝ってほしかったんだ」と分かることがあります。怒っているのは、目の前の人ではなく、ずっと昔の誰かだった。そこが分かって、その時の感情を整理できると、不思議なくらい、今の出来事への反応が小さくなります。 謝らせなくてもよい。 相手を負かさなくてもいい。 自分の正しさを証明しなくてもいい。 分からせなくてもいい。 謝らせなくてもいい。 ちょっと嫌なことがあっても、 「まあ、そういうこともあるか」で終われる。それだけで、毎日はかなり平穏になります。 人間関係も穏やかになる。 無駄に傷つくことも減る。 戦わなくていい場面が増えていく。すると、何か特別なことが起きなくても、「今日も平和だったな」と思えるようになります。それは、かなり大きな幸福だと思います。 何かを達成しなくてもいい。 使命を見つけなくてもいい。 ビジネスで成功しなくてもいい。もちろん、その先で「やっぱりこれをやりたい」と思うなら、挑戦すればいい。でも、もう十分幸せだな。そう思えるなら、それはそれで最高!人生をややこしくしていたものが一つ消えて、ただ普通に、穏やかに暮らせるようになる。それだけでも、人生は天と地ほど変わります。