映画『クワイエットルームにようこそ』を観た。
そこで、ちょっとだけ感想を。
内田有紀が還ってきた。
人前で啖呵を切るときの凛とした格好良さと、ふざけたりノリノリでダンスしたりするときのコミカルな愛嬌。スクリーンに映ずる佐倉明日香は、あの《内田有紀》が健在であることを充分見せつけてくれた。かつてと違うところがあるとすれば、そこに《三十路越えの》という接頭辞を付けても大丈夫だったということだろう。
正直言うと、意外だった。ボーイッシュな格好良さとコケットリー、これらの同居が可能なのは、《美少女》という形容が可能な時期特有のことであり、時期が限られているゆえの媚態なのではないかと思っていたのだ。それは時間の流れから遊離したニンフェットというか、そういう何かではないかと。
必殺シリーズのプロデューサー・山内久司はかつて、あの沖雅也について、「30(歳)を越えた沖雅也を想像できない」という趣旨の発言をしたそうだが、それが僕らにも納得できるのは、あのギリシャ彫刻のような様式美というものが根本的に時間というものを嫌っているということを、どこかで直観しているからだ。「老い」の想像を排除するような輝き方というのがあることを、僕らは先験的に知っているのだ。そして実際、沖は消えた。尤もそれは偶然かもしれない。でも、どこか出来過ぎた偶然のように感じられるのも事実だ。
で、内田有紀だが、あの凛とした気っ風の良さとコケティッシュなかわいらしさ、男性性と女性性といってもいいかもしれないが、とにかくそういう相反する(と思える)要素を同居させる個性を、かつて僕は時限的なものだと思っていた。沖のそれのように、「老い」の想像を排除するようなものだと思っていたのだ。
ところが、内田有紀は30を越え、スクリーンに現れた。そしてそれは、たしかに《内田有紀》だった。かつて「中性的な魅力」と呼ばれたアイドルは、離婚を経験し、酸いも甘いも噛み分けた大人の女性となって”クワイエットルーム”にやってきた。そして、髪に吐瀉物を付着させ、ネバッとした病院食を食べられず泣き、病棟のダンスレクリエーションでノリノリで踊る彼女は、佐倉明日香であると同時に、まぎれもなく《三十路越えの》内田有紀だったのだ。
要するに、「中性的」と形容した僕らの想像力が貧困だったのである。格好良くコケティッシュであることは、別に男性性と女性性を中和させたものというわけではない。それは、二項対立以前の身体的領域にあって、内田有紀というひとりの女性の生き様を通して自然に形成されたものにほかならない。つまり、中間ではなく、ハイブリッドなのだ。
このハイブリッド性そのものは、時限的なものではない。それは、明日香を演じる内田が変わらず《内田有紀》だったことから明らかだ。そこは、齢を重ねても変わらなかった。だが、変わったところもあった。明日香役としての内田には、《三十路越えの》という接頭辞が確かに似合うのだ。では、その変化とは何だろうか。映画パンフレットによると、内田はインタビューにてこう言っている。
ーー内田さんの凛とした雰囲気や佇まいは昔からと同じで全く変わりはないのに、でも、明日香を演じる内田さんを観ていると、今までとは違う役者さんになった印象を抱きました。非常に「人間くささ」を感じたというか、ある意味「生々しい」というか。新しいステージに立ったようにも思いました。
内田 「生々しさを出す」というのは役者としての私がそうありたいと思っているので、そう言われるのは本望ですね。「自分を知る」というのは、この映画のテーマでもあると思うんですけれど、私が20歳の時は、まさしく明日香のようだったと思います。もちろん、私は彼女のように波瀾万丈じゃないし、ヘヴィな体験もなければ体を壊してしまったこともない。でも、みんな、男であれ女であれ、自分の中にそれぞれの「明日香」はいるし、いたと思うんです。若いころの、いつもどこか心の中が満たされず、常に居場所を探して彷徨う明日香のような自分が。みんなそういう時期を経て大人になったと思うんです。だからゆえに明日香が愛おしいし、明日香を演じながら20代の自分に出会った気がしたんです。そして、自分が「何にもない人間なんだ」と気づくか気づかないか、それは人それぞれ。大事なのは「気づいてからどうするか」。それが人生だと思う。「なんにもない、じゃあどうしよう」。そう思ったときに何かが始まるのかな、って。でもいまだに「私って一体何者なんだろう」というのは私自身まだまだ模索中です。30歳すぎのいい大人なんですけれど。でも、死ぬときにならないと「本当の自分」なんてわからないんだと思っています。(パンフ、P.15)
“クワイエットルーム”の隠喩に対する洞察も伺える談話である。明日香を演じた内田有紀は、20代の頃の自分に出会った。つまり、過去の自分と直面したというわけだ。そして彼女はそのとき、自分が「何にもない人間なんだ」という自覚=“クワイエットルーム”に到った。勿論、本人が言っているように、“クワイエットルーム”に到ったうえで「さてどうするか」というのは「まだまだ模索中」なわけだが、彼女自身の実存の円環は確実にひとめぐりしていたのである。
僕らが『クワイエットルームにようこそ』を観るとき、《三十路の内田有紀》を目撃する。そこで僕らは、ハイブリッドな主体・内田有紀が佐倉明日香に重なる地点にて、過去と現在に二重化した内田有紀を目撃する。そして、そのすべてを観る僕らは、明日香に引き続いて“クワイエットルーム”に到るのだろう。実存の空虚に立ち到ったとき、僕らは何を決断するのだろうか。(了)
◎映画『クワイエットルームにようこそ』・公式HP
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http://www.quietroom-movie.com/-----------------------------------------------------------------------------------
ちょっとだけのつもりが、長くなったなあ…