やっと!やっと!
念願の子供が生まれました。
色々あったし長かったなー。
僕たちが結婚式したのは
2007.11.24
夫婦生活初め2008には子供そろそろと相談してたのですが、一向に妊娠しない。
しばらくして、嫁、市立病院へ検査
結果は子宮筋腫が、邪魔してると。それも大きい。
手術でないと取れないとのことで、1週間程入院。
当然、すぐに妊娠できるはずもなくしばらく様子みることに。
2009、先生とも相談し大阪にある不妊治療専門の病院を紹介してもらった。
当時、僕36歳、嫁37歳。
初めて行ったその病院は、
IVF大阪。
凄く綺麗で、テレビでも放送されたことあるようです。患者さんも多い。
早速色々説明を聞き、一番可能性の高い顕微受精をすることに。
簡単に言うと、卵を採取し人工的に受精させタイミングを見計らって子宮に戻すというもの。
最初のころは年齢的にも卵は5~7個くらい取れてた。
ただ、この卵をとるには1ヶ月近く注射や、薬で卵を育てて取るタイミングを見計らう必要あり。
体調にも変化出てました。
取る時は全身麻酔。
手術ですね。
で、夫は卵が取れたら個室で精子を。
その日はそれでおしまい。
あとは病院で受精してもらって冷凍保存。
この時、受精して使える卵の数が減ることあり。
数個取れたら良い卵から戻していきます。
戻すのは採卵から1ヶ月~2ヶ月くらいで体調みてって感じです。
戻すのはあっという間に終わります。
夫同伴で暗い部屋で目には見えない卵を、スポイトみたいなのでシュと。
戻したら自宅に帰ってずーと安静ですね。
2009 初めて戻した卵は2週間後の妊娠判定でダメでした。全くかすりもせずでした。
2010 卵は冷凍保存もあるので先生から確率が高い2段階胚移植しましょうとのこと。
これは卵を2回戻すってこと。双子の可能性あり。
ただ、1個目を戻すことにより嫁の体は何か入ってきた!となるようで、2個目を戻すことにより妊娠する可能性がグンと上がる治療です。
2回目の移植はこの方法で、妊娠判定でました。
けど、流産。
このあとの処置も全身麻酔で可哀想になりました。
検査してもらうと染色体異常。
ほぼ、成長しないとのこと。
2011
保存してある卵は無くなりまた最初から治療開始。
年末に2段階胚移植でまたまた妊娠判定。
正月みんなで喜んでいたのを思い出しますが、何が悪かったのかこの正月のある日、突然出血。
近くの産婦人科に急遽向かいました。
とりあえず安静にとのこと。
IVF大阪の卒業はだいたい9週間が目安。
8週目まで、いきましたがまた流産という結果。
この時は、前回よりもショックが大きかったです。
もうダメだった検査もしなかったな。
2012.05
僕のおやじが他界。
実は病気でしてそんなに長くないなと分かっていた時の出来事だったのもあります。
もしこの妊娠でうまくいかなければ、おやじに孫の顔を見せてやれないかもとも。
嫁とおやじが二人で、会話してる内容
「お互いがんばりましょうね。」
今でも忘れられません。
おやじが、他界してから1年間程は不妊治療はやってなかったです。
2013から再開。
また、卵をとるところから。
僕40歳。嫁41歳。の年。
治療初めたころからしたら、圧倒的に卵の数が少ない。
その少ない卵から受精させて保存できるのも0か1という世界。
なんとか取れた卵を戻すことに。
この時は、1個を戻しました。
さらに、リンパもやって。
これは、僕の血をとってリンパだけを嫁に注射するというもの。
ようは、嫁の体に入ってきた異物を異物と思わせないようにする治療(少々意味合い違ってるかもですが、ご了承ください。)
この時は、かすりもしなかったです。すぐダメでした。
2014
嫁42歳の年。
本人も、諦めかけてたようです。
けど、子供が欲しいとずーと言うてたので、これが最後かもとの気持ちで、治療開始。
リンパ、2段階胚移植。
ちなみに、この時戻した2個目の卵は今までで一番グレードの高い綺麗なものでした。
もしかしたらと期待してたら
妊娠判定でました。
安静に安静に生活し日々が過ぎていきます。
少々の出血ありましたが、もう本人は慣れます。
これくらいなら大丈夫。
その後、多量出血はありません。
1週間2週間と日が過ぎていきなんと、9週目に!
IVF大阪卒業です。
最後の、病院行ったときはお世話になった先生や看護師さんに頑張って可愛い赤ちゃん生んでくださいとお別れの挨拶
帰りの車の中は、今までにないくらい二人で喜んでいたのを覚えてます。
産婦人科は、紹介で京大病院。
リスク妊婦のためです。
7ヶ月程、通いましたが行く度に順調です順調です。
なんかあっさりと出産予定日も決まってしまいました。
帝王切開ですので。
実際、帝王切開のときの先生はお腹あけた時、ビックリされてたようです。
よく、ここまで順調に育ちましたねーと。
子宮が普通より厚かったようで早産か育たないかとも言われました。
けど、赤ちゃんはめちゃくちゃ元気で、お腹から出てないときから、オギャーって言ったらしいです。
初対面

ケース越しでしたが、ピースしてました。
なんか、なんか、感動してしまった。
今まで味わったことのないこの感情。
凄く嬉しかった。
出産の日は、ずーとケースの中なのでだっこはできず、仕事もあるので3日後に再開。
やっと触れ合えた。

そして今日も

べー!って。舌だしてる。

目は、二重でしたね。オデコが僕に似てるようです。どこか似てたら嬉しい。
元気に大きくなってくれよー。
おやすみ。

最後に
こういった記事を書こうか書くまいか少し悩んでました。
お子さんが欲しくても恵まれない人がたくさんいること知ってますし、もし不妊治療されてる方いたらその苦労がどれ程のものかも分かります。
こうやって、子供できたー!嬉しい!
っていう記事が不満に思われる人も0じゃないと思います。
実際、僕が少しそんな時もありましたし。
もし、そういった方が 読まれてましたらご了承ください。
そして、不妊治療はほんと最後まで諦めずやりきってほしいなと思います。
保険が効かず高額であることにより断念もありえます。
(京都府では一度の治療に15万円の補助がでます。)
行政、医師会も今後、この治療に、関しても幅広い支援をしてもらいたいです。
長文を読んでくださり
ありがとうございました(((^^;)
念願の子供が生まれました。
色々あったし長かったなー。
僕たちが結婚式したのは
2007.11.24
夫婦生活初め2008には子供そろそろと相談してたのですが、一向に妊娠しない。
しばらくして、嫁、市立病院へ検査
結果は子宮筋腫が、邪魔してると。それも大きい。
手術でないと取れないとのことで、1週間程入院。
当然、すぐに妊娠できるはずもなくしばらく様子みることに。
2009、先生とも相談し大阪にある不妊治療専門の病院を紹介してもらった。
当時、僕36歳、嫁37歳。
初めて行ったその病院は、
IVF大阪。
凄く綺麗で、テレビでも放送されたことあるようです。患者さんも多い。
早速色々説明を聞き、一番可能性の高い顕微受精をすることに。
簡単に言うと、卵を採取し人工的に受精させタイミングを見計らって子宮に戻すというもの。
最初のころは年齢的にも卵は5~7個くらい取れてた。
ただ、この卵をとるには1ヶ月近く注射や、薬で卵を育てて取るタイミングを見計らう必要あり。
体調にも変化出てました。
取る時は全身麻酔。
手術ですね。
で、夫は卵が取れたら個室で精子を。
その日はそれでおしまい。
あとは病院で受精してもらって冷凍保存。
この時、受精して使える卵の数が減ることあり。
数個取れたら良い卵から戻していきます。
戻すのは採卵から1ヶ月~2ヶ月くらいで体調みてって感じです。
戻すのはあっという間に終わります。
夫同伴で暗い部屋で目には見えない卵を、スポイトみたいなのでシュと。
戻したら自宅に帰ってずーと安静ですね。
2009 初めて戻した卵は2週間後の妊娠判定でダメでした。全くかすりもせずでした。
2010 卵は冷凍保存もあるので先生から確率が高い2段階胚移植しましょうとのこと。
これは卵を2回戻すってこと。双子の可能性あり。
ただ、1個目を戻すことにより嫁の体は何か入ってきた!となるようで、2個目を戻すことにより妊娠する可能性がグンと上がる治療です。
2回目の移植はこの方法で、妊娠判定でました。
けど、流産。
このあとの処置も全身麻酔で可哀想になりました。
検査してもらうと染色体異常。
ほぼ、成長しないとのこと。
2011
保存してある卵は無くなりまた最初から治療開始。
年末に2段階胚移植でまたまた妊娠判定。
正月みんなで喜んでいたのを思い出しますが、何が悪かったのかこの正月のある日、突然出血。
近くの産婦人科に急遽向かいました。
とりあえず安静にとのこと。
IVF大阪の卒業はだいたい9週間が目安。
8週目まで、いきましたがまた流産という結果。
この時は、前回よりもショックが大きかったです。
もうダメだった検査もしなかったな。
2012.05
僕のおやじが他界。
実は病気でしてそんなに長くないなと分かっていた時の出来事だったのもあります。
もしこの妊娠でうまくいかなければ、おやじに孫の顔を見せてやれないかもとも。
嫁とおやじが二人で、会話してる内容
「お互いがんばりましょうね。」
今でも忘れられません。
おやじが、他界してから1年間程は不妊治療はやってなかったです。
2013から再開。
また、卵をとるところから。
僕40歳。嫁41歳。の年。
治療初めたころからしたら、圧倒的に卵の数が少ない。
その少ない卵から受精させて保存できるのも0か1という世界。
なんとか取れた卵を戻すことに。
この時は、1個を戻しました。
さらに、リンパもやって。
これは、僕の血をとってリンパだけを嫁に注射するというもの。
ようは、嫁の体に入ってきた異物を異物と思わせないようにする治療(少々意味合い違ってるかもですが、ご了承ください。)
この時は、かすりもしなかったです。すぐダメでした。
2014
嫁42歳の年。
本人も、諦めかけてたようです。
けど、子供が欲しいとずーと言うてたので、これが最後かもとの気持ちで、治療開始。
リンパ、2段階胚移植。
ちなみに、この時戻した2個目の卵は今までで一番グレードの高い綺麗なものでした。
もしかしたらと期待してたら
妊娠判定でました。
安静に安静に生活し日々が過ぎていきます。
少々の出血ありましたが、もう本人は慣れます。
これくらいなら大丈夫。
その後、多量出血はありません。
1週間2週間と日が過ぎていきなんと、9週目に!
IVF大阪卒業です。
最後の、病院行ったときはお世話になった先生や看護師さんに頑張って可愛い赤ちゃん生んでくださいとお別れの挨拶
帰りの車の中は、今までにないくらい二人で喜んでいたのを覚えてます。
産婦人科は、紹介で京大病院。
リスク妊婦のためです。
7ヶ月程、通いましたが行く度に順調です順調です。
なんかあっさりと出産予定日も決まってしまいました。
帝王切開ですので。
実際、帝王切開のときの先生はお腹あけた時、ビックリされてたようです。
よく、ここまで順調に育ちましたねーと。
子宮が普通より厚かったようで早産か育たないかとも言われました。
けど、赤ちゃんはめちゃくちゃ元気で、お腹から出てないときから、オギャーって言ったらしいです。
初対面

ケース越しでしたが、ピースしてました。
なんか、なんか、感動してしまった。
今まで味わったことのないこの感情。
凄く嬉しかった。
出産の日は、ずーとケースの中なのでだっこはできず、仕事もあるので3日後に再開。
やっと触れ合えた。

そして今日も

べー!って。舌だしてる。

目は、二重でしたね。オデコが僕に似てるようです。どこか似てたら嬉しい。
元気に大きくなってくれよー。
おやすみ。

最後に
こういった記事を書こうか書くまいか少し悩んでました。
お子さんが欲しくても恵まれない人がたくさんいること知ってますし、もし不妊治療されてる方いたらその苦労がどれ程のものかも分かります。
こうやって、子供できたー!嬉しい!
っていう記事が不満に思われる人も0じゃないと思います。
実際、僕が少しそんな時もありましたし。
もし、そういった方が 読まれてましたらご了承ください。
そして、不妊治療はほんと最後まで諦めずやりきってほしいなと思います。
保険が効かず高額であることにより断念もありえます。
(京都府では一度の治療に15万円の補助がでます。)
行政、医師会も今後、この治療に、関しても幅広い支援をしてもらいたいです。
長文を読んでくださり
ありがとうございました(((^^;)