理由を問わずに
目に見える結果だけで判断?
世の中、理由より外から見た結果だけで判断されて、問答無用的な扱いって多いですよね・・・。
確かに、場合によっては、理由があろうとなかろうと判断を変えては駄目な事もありますが、どんな重大な結果をもたらしたことでも、理由をおろそかにしていては、同じ間違いを防ぐことが出来ません。
それどころか、理由次第では、判断が分かれる結果になることさえ耳をかさないことも多いです。
それは、子供の教育やしつけの現場でもよくあることで、それでは信頼関係も築けませんし、人の一生を左右することにもつながることを、考えない人が教育者にさえ多く存在します。
ネットの炎上なども、一度悪い方向にながれた情報は、理由も正誤も関係なく決めつけられて、人間が同じあやまちを繰り返す歴史は、この先も繰り返すのかなと思ってしまいます。
どのような出来事でも、その理由を考えたり、異なった立場からの情報を多く調べる習慣が必要ですが、案外調べずに口コミだけでなにも考えてない場合が、常時スマホを持ち歩いている人工が多くなっても多い気がします・・・。
情報操作されている場合もありますが、明らかに簡単に調べられることでも興味ないことは、間違っているかどうかよりもコミュニケーションで盛り上がったり、不満のはけ口として乗っかっている感が強いですので、いかに普段の対人関係にストレスを抱えやすい現代社会なのかと感じます。
そんな自分をさらさずに、誰かをドサクサにまぎれて攻撃してストレスを発散しても、世の中なにも変わらないし自分の価値を下げることでしかないことに気付いて欲しいなと思っています。