苦しい、泣いてばかりの2週間だった。
行ったり来たりのグラグラの日々で。
相談しない考えすぎない私が相談しまくって調べまくって考えまくって、泣きすぎて何日も眠れず、泣きながら少し眠って、泣いて目覚めて
脱水になるんじゃないかくらい泣いて泣いて
なんで泣くのだろう、と思って、その原因を探ってそれが不安感からならそれを取り除くために
調べたり相談したり思いつく限りのできることは
全部してみて
それで、やっと? 「結論」が出て
もう迷わない と思っても一晩でまた揺らいで
それを何度も何日も繰り返して。
すごいな、と思ったのは この年になって
たった1日で 知識と発見と考え方が(悪く言えばコロコロ、良く言えば成長)変わるということ。
まあ、私は父が40過ぎてからの 末子(で唯一の娘)なので キャラクター的に本来なら元々の末子気質のまま最後までいく可能性もあったわけで
兄貴たちが頼りなくも優しいばかりだったこともあって 基本父のことについては「お前に任せるよ。どんな結果になっても誰もお前を責めることはないし、俺も全面的にカバーするし、無理するな。いつでも引き継ぐ。」と2人とも同じように言う。
そうはいっても途中で放り投げることはできない(ししたくない)ので
しっかり者じゃないけれど、しっかり者を演じて
このまま突っ走ることにしました。
全部 引き受けて全部、やってやるぞ!と決心を。


まだ入院中。「心臓ベースの延命は しない」
「栄養ベースの延命は する」
延命は、 する か しない(自然に任せる)の2択で 中間はない と私の質問にお医者は言ったけれど
私なりの「中間」を選択した。
ずっと苦しんで、途中 何度か面会で10分だけ話した父は
顔色も良く会話もできるし、意識もはっきりしていたのでその都度、迷いが生じて、でもお医者は
家に帰れば「1週間でお別れになる」と言う。
帰り道は嗚咽泣き、なんだってしてやる、私のいまの全部を父のために使う と強く思っていたのに
それも叶わない。
子供とは違う、病気とも違う、臓器に異常なし、
いちばん納得がいったのは
ケアワーカーさんに(たくさん丁寧に説明してくれて私が決心した頃に)言われた
「お父様は、栄養面では既に【老衰】なんですよね。昔なら、お家や病院で家族に看取られて亡くなられている状態ですよね。栄養面で点滴や経鼻、少しのゼリーなどで(悪くいえば無理やり、、)命を繋いでいる状態です。」
この説明(確認)。

父にはずっと穏やかな【老衰】を望んでいた。病気の末期症状など、痛い思い苦しい思いをできる限りせずに 苦しまずに逝く
選ぶ時間も迷う時間も与えられず、余命を宣告される人も 突然なにも準備もなく命を失う人もいるのに
いつまでも決められず、グズグズ泣いてばかりの
どうしようもない私に
どんな風に見送りたいのか、考える時間を
くれたのだ。父が。?

ベッドに括りつけて、自由を奪っ?て
誰のための延命だ と私を責める人もいるかもしれない。それでもいい。
誰も、私が父を家に連れ帰ること(=1週間で家で看取ること)を許さなかった。

とにかく ずっと決められなかったことが
決められた。
まだ揺らぐかもしれないし、揺らぐに違いない。
成長?はほんの少し、した、けれど 平気にはならない。
いつが最期になるかは わからない
ので、いつが最後になっても良いように
しなくては。
【平均入院期間  8か月】 この平均の意味。
栄養の延命  中心静脈カテーテル 療養型病院→介護医療院、、
父のように、余命のわかっている病気ではない人には 何年も生きる人もいるそうで。



父のことで 桜を見上げる(家の前の桜並木の桜は満開だったのに)こともできなかった私に
異動先の横浜MMからの桜の写真を送ってくれた人

特養で働いている先輩(父上の看取り と人生の)で
仕事明けで疲れているにも関わらず会って話そう と言ってくれて、帰宅前駅前のタリーズで 数時間お茶して 相談に乗ってくれた (有料老人施設を何ヶ所かピックアップしてくれ、電話問い合わせまで、してくれた)人

毎晩のように電話をかけてくれて、何時間でも話してくれた神親友。私のことをよくわかっているからこその傾聴とひらめきと、助言と激励。

泣き暮らして食事が喉を通らない妻を支え励まし
あまりに心の調子が良くない、いちばん苦しいときに「お父さんと一緒に暮らそうか」と言ってくれて、眠れないときに肩と背中をさすってくれた夫。

この状態になる前に沈みがちな妻を元気づけるために 妻が行きたいと言った舞台のチケット抽選に応募して見事 「公演2回分」のチケットを手に入れ
黙って両方分支払いをすませ、 だめになっても良いからと、東京−博多の新幹線(妻は飛行機苦手なので)と宿泊の予約をしてくれた夫
↑そしてその1方、に一緒に行ってくれた娘

全てに感謝  まじでありがとう

舞台キングダム 福岡博多座公演初日 
舞台挨拶で 高野洸くん(ほんとは 呼び捨て 笑)が話したこと (福岡弁?かわいかった! あれはもう、ファンサだね!)
王騎役の山口祐一郎さんが話したこと
心に響いて、 たぶんずっと心に残ることになると思う。いまにも亡くなりそうな父のいまの状況といまの私の心情と併せて強く思い出すことになると思う。
殺陣もアクションもさることながら セリフの言い回しから舞台そのものの演出 生オケ!がとくに素晴らしかった。
ありがとう。
福岡から、新幹線のデッキから 父の病院に電話したり、ホテルでも 娘に気づかれないように泣いたり、泣いたり。これは皆の言う 介護の息抜きであって、まったく別の意味で思い出深い旅 になりました。

2回目博多行きは今週末。兄貴と連携をとって
無事行けますように。今度はホテルオークラ宿泊、今度は夫と、それから座席が舞台から2列目の超良席。オペラグラス要らず。
父のことを忘れるためじゃない。
父のことを想いながら、行く。