アラフィフ主婦りりぃです

2022年3月に

カニンヘンダックスのりんちゃんを

お迎えしました。

どんな状況下でも

その時々にできることを楽しむこと

日々あったことや嬉しかったことを

日記的に綴ったブログです。

どうぞよろしくお願いしますウインク




  7月1日 月曜日



朝、私も父も7時半頃起床。


明け方

ものすごい雨音で目が覚めるくらい

今日も雨が降ったりやんだり。



ごみ出しに行く途中

とうもろこしを見かけたおねがい

いつか実る日が来るんだろうな🌽




午前中
書類の整理や
7月から再開される父の
訪問看護やリハビリなどの
スケジュール整理など。


父と9時半頃から
朝ごはんを食べ始め
父が食べ終わったのは
11時頃。


それから
父、おトイレ行って
私とお喋りしていたら
あっという間に12時になり

お昼ご飯。


1時間かけて完食🙏✨



91歳の父は
よーーーーく噛んでいるので
居眠りせずに食べても
1時間はかかる。


13時頃からデイにいく支度を始め、
いつも13時半頃に
お迎えが来るのだが
今日は早く電話がかかってきて
慌てて用意を急ぎ、
そしたら
👴🏻「入れ歯がない」
と言うので
いつものところを探してみたら
3つ、入れ歯があり(笑)
👩🏻「どれ?これ?こっち?」
と3つとも全部入れてみて
👴🏻「これや」と。



合わない入れ歯は

父の許可を得て

ビニール袋に入れて置いておくことに。



父をデイに送り出したら
母の元に向かう🚕



今日の午前中
予定の2倍リハビリを頑張ったらしい母。
お疲れの様子。



あれこれ
家であったことなんかを話していたら
ひょいと婦人科の先生が
現れた。



👩‍⚕️『検査の結果が出たのですが、
お二人でお話を聞かれますか?』
急な展開に
👩🏻「今日はちょっと母は疲れているようだし
私もこの後用があって
明日以降の方が有り難いのですが…」


と伝えて
それでは明日の午後に、と
いう予定になった。


その後
帰り際に
婦人科の先生に会ったので
少し話した。



👩🏻「母は、
"もう末期がんなら
手術や治療や痛いことはしたくないから
なんもしない、と決めている"
と、この間言ってました。 
父も癌だし、自身も癌家系なので
いろいろ本も読んでいるみたいだし
私より知識があるかも知れません。
だから、母と私に説明をしてもらって
母が聞きたいことがあれば聞いて、
私はあくまでも脇役というか、
そんな風に考えています。」



👩‍⚕️「一緒にお話を聞かれるってことで
良かったです。
そしてお母さん、なんか
達観してますよね。」



そうなのだ。
母はなんか達観している。
そんな雰囲気がある。



おそらく
父や兄妹が癌になり
自分ももしかしたらいつか癌に、
と思っていたのかも知れないので
色んな情報を持っているのかも知れない。



その上で
先生からの説明を受けて、
母自身どうしていきたいと思うのか、
私もよくは分からないが
母の人生だ。
母が望む道を
私はできる限りサポートしたいと
思っている。



👩🏻「じゃー明日また来るね!」
👵🏻「ありがとう」



たった30分。



たった30分しか
話せない。



こんな時
いろいろ話を聞いてもらいたいだろうし
誰かと話をするだけで
気持ちも救われることだって
あるだろうに。。
 


明日は
主治医からの説明とのことだから
時間は無制限にいても
いいようだが
それにしても
面会時間の制限は
こんな状況にあっては
非常に酷な話だ。


...
 


病院から帰って
 買い物に行く🚴‍♀️




お腹もすいてたので

たこ焼きを買って帰って食べた。

2個は残して父の夕飯のおかず?に。



...



そして16時

介護用ベッドの引き取りに🙇‍♀️



スッキリしたわね。


でも最近
暑くなってきたこともあって…

👴🏻「2階で寝ようかと思って」
という父。
👩🏻「階段の登り降りで転んだら
危ないから
2階はやめといた方がいいと思うし
お母さんもそう言ってたよ!」
と伝えるも、
👴🏻「いや、2階だと
布団の上げ下ろしがないから
上あがったらすぐに横になれるし
それに、今寝ているところは
建て増しの部屋だから夏暑いんや。
2階なら東の部屋だし
朝は気持ち良く目が覚めるし、
夜中のトイレも
尿瓶、持って行っとこうか。」
などなど。

※以前
尿瓶持参で2階で寝ていたことあるらしい。


👩🏻「わたしは転んだら危ないと思うから
2階で寝るのは反対や。
お母さんも同じ。」


👴🏻「そんなこと言っとったら
なんもできん」


ほんとに
その気概は頼もしいと認めるけれど
でも一緒に住んでいた母が
もう2階はやめといた方がいい、
って言ってるんだから
やめといた方がいいんだろうけど、
全くどうなることやら。。。


👴🏻「2階を片付けて綺麗にして
布団持っていって」と言っていたが
私は反対しているのだから
それに手を貸すことはしない、と
思っているが…
👩🏻「どうしても2階でというなら
自己責任でどーぞ。
私は反対だから手伝いません。」
というスタンスになるのかなぁ🤔


...



昼間
父の話を聞いていて
父は父なりに
"年老いていく"ということを考えるようで
「シモの世話になるようになるなら
早く死んだ方がええんか」とか、
「100歳までって思っとるけど
95くらいまででええんか」とか、
100までって考えてるけど
自分のことを全部自分でできるなら
100まででも生きてなんも問題ないのだろうけど
"皆んな、年老いていくと
最後はオムツとかになって
誰かのお世話になることになる"
みたいな話をしていたからか、
父なりに何か考えたりもするのだろう。
母が入院したことで
「これまで自分が元気で来られたのは
お母さんが居てくれたからだ」
ということに改めて気付いたようだし
何故か
おシモのことをすごく考えていたようで
「垂れ流しになったらもう終いや」
と言ってた。


あと住環境のことも話していた。
👴🏻『○○さんの家はまわりに畑や田んぼがあって
あんなところだと空気が綺麗で
長生きできるんかと思ったり」とか。
👩🏻「でも○○さんところは
二人とももう亡くなったよ。
環境だけじゃなくて、その人が持っている
寿命だったり、
それまでどんな風に生活してきたか、
お父さんは
お酒もタバコもしないし
食事だってずっと薄味だし、
よく動いてるし、
長生きできるんじゃない?」


👩🏻「あまり先のこと考えても
どうなるかなんて分からんことやし、
今はご飯も自分で食べられるし
おトイレも自分で行けるし
毎日デイに行って、
ただそれだけで充分なんじゃ?」


それと
👴🏻「ワシの兄さん夫婦はな、
最後、おんなじ病院に入って
二人ともそこで一緒に亡くなったんや。
そんなんもええんかな、と思ったり。」
みたいなことも言っていて、
父は父なりに
自分の最期について
考えているんだろうなぁ。



父は
母の病気のことは
まだ知らない。



母が早く帰ってきてくれて
前の生活に戻れることを
心待ちにしているはず。



ふたりの気持ちを考えると
胸が苦しくなる。



...




夕飯、

私がお昼に食べた冷やし中華のお味見分は

残したけれど、他は完食。

銀だこ、美味しかったらしい🐙



...




母屋の座敷に布団を敷いていた父



👴🏻『明日は2階に行って寝るから
今夜は許してくれ。』



👩🏻『いや、お父さんの家なんだから
お父さんが好きなところで寝たらいいし
私に遠慮せんでいいんよ。
でも、2階は階段が危ないと思うから
私は反対』



一体
父は何を思っているんだろう???
そして
何故伝わらないんだろう。



言い方なんだろうか…


...




夜、友人Aと電話で1時間くらい話す。

彼女の方も今

叔父叔母のことで悩んでいて

その境遇が私とものすごく似ていて

話をしていて二人とも鳥肌がたった。

彼女の方は叔父さんが癌宣告を

叔母さんが90で認知酷しで頑固もの。

お子さんがいないためAが面倒を見ている





あと

家族LINEでじーちゃんの2階で寝る問題を

話していたら

冷静な息子の言葉によって

いろんなことに気付く。




途中、夫や娘も加わり
あれこれ意見を。



ありがたや。




※父の目やには
良くなってきている。
念の為今日も朝晩2回目薬をさす。




最後までご覧いただき有難うございました

照れ


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