金魚の「雪ちゃん」から思う死を表す言葉
2024年5月6日(月)
金魚の「雪ちゃん」がいなくなってしまったことが、思いの外、ショックだったみたいで、昨日、今日とボーッと時間を過ごしている。そんな中で、ふと思った、「死」の言葉の使われ方。
動物に対して、「亡くなる」「永眠」っていつから使われ始めたのだろう。
小さい頃は、どちらも「人」に対して使う言葉だと学んでいたので、動物に対してはストレートに、「死ぬ」という言葉を使っていた。人間とペットに距離があった。
死が理解できない幼児に対しては、「お空に行った(体はないけど魂は生きている)」「星になった」と目に見えるものに置き換えて説明することもあったが、この辺もYoutube動画を見ると 「虹の橋を渡る」というメルヘンな表現の方が多く使われている。
人生を長く苦労して生きてきた祖父母が亡くなった時は「三途の川を渡った」と言うが「虹の橋を渡る」とは言わない。
変わってきたのは、犬の室内飼いが定着して、洋服を着せるようになった時代あたりからかな…。
昭和時代は、犬に洋服を着せる時代ではなかった。犬に洋服を着せることが珍しくてTV番組で放送されていたほど。
自分も野良猫を家猫として飼った。本当に頭の良い猫でペットというより「群れのリーダー」という感じ。
寿命を迎えた時に、下階に人から「最近見ないわね、死んだの?」と言われた時は、「死んだの?」という表現に引っ掛かるものがあった。
動物との信頼関係の深さで、死んだときに使いたい言葉が違ってくるんだよな。
金魚の「雪ちゃん」は、感情移入していたこともあり、自分の中では「死んだ」ではなく、「亡くなった」「寿命を全うした」という言葉が合うかな。
答えはない。見て何かを感じ取ってもらえたら…。