大相撲春巡業の木更津場所に行って来ました。

 

相撲は父が好きだったこともあって、子どもの頃からテレビでよく見ていました。

子どもの頃好きだった力士は北の富士関だったそうです。

一度生で見てみたいと思いながら、なかなかその機会がありませんでした。

 

今回、春巡業があるというので、早速チケットを購入しました。

席は正面のタマリ席で、前から10列目の土俵のほぼ中央でした。

 

朝9時開場で、会場では木更津場所ということもあってか、千葉県出身の琴勝峰関や隆の勝関の握手会があり、しっかり握手して来ました。

土俵では、幕下以下の力士の申し合いがあり、続いて十両以上の力士による申し合いと大関・横綱の三番稽古と最後にぶつかり稽古がありました。

先場所休場した横綱照ノ富士関も登場し、まだ万全ではないのかも知れませんが、土俵にあがって大関霧島関と三番稽古をしていました。

私は、大関から怪我や病気で序二段まで陥落し、そこから大関に復帰し、横綱に昇進した照ノ富士関を応援しています。

大関から序二段にまで落ちて、怪我や病気と闘いながら挫けなかったその精神力に感伏します。

しかも、相撲も大関に上がった時のような強引な相撲から、慎重さが加わりどっしりとした相撲に変わって来ています。

ちなみに、宇良関も膝の怪我で幕内から序二段まで落ちて、怪我と闘いながら細かった体に筋肉の鎧を付けて小結まで復活しています。

 

 

稽古で印象的だったのは、高安関と大の里関とのぶつかり稽古で、大の里関の息が上がっても高安関は辞めさせようとしないで、何回も続けさせていました。

後のインタビューで今後期待する若手として高安関は大の里関の名前をあげており、二所ノ関部屋(元横綱稀勢の里の部屋)であることや最近問題行動があったこともあり、厳しく稽古をつけたのでしょう。

また、土俵上では2人の力士しか動いておらず、その他の力士は土俵の周りで待ちの状態ですが、その中で、翔猿関は花道で柔軟体操をしたり、四股を踏んだり、摺り足をしたり、腕立て伏せをしたり、時間を有効に使っていたのが印象的でした。

翔猿関は江戸時代の相撲絵のようなきれいな顔立ちで、体もぱんぱんに張っており、肌はつやつやしていました。

 

 

そうした中、元大関朝乃山関は稽古中に右膝を痛めたということで、取り組みはなくなりました。

5月12日から始まる5月場所で2年半振りに三役(小結)に復帰するのですが、全治3週間ということで間に合うのかどうか。

謹慎から復帰後、右足の親指や左ふくらはぎを痛め、そして今回と怪我が続いています。

朝乃山関はコロナ禍で外出が禁止されている中キャバクラに複数回通ったうえ、日本相撲協会の聞き取りに対しうその報告をしたということで6場所の出場停止処分を受け、大関から三段目まで番付を落としました。

その間、体は元気ですのでどんな稽古をしていたのか、どんな精神修行をしてきたのか、照ノ富士関や宇良関と比べると残念でなりません。

大関になった時には次は横綱になると思っていましたが、今のままでは残念です。

立会に当たって右四つになるという正攻法の型を持っていますが、逆の言い方をするとそれしかありません。

そのため、まわしが取れなければそのまま強引に出て行って土俵際で逆転されたり、まわしが取れない押し相撲にはまるっきり歯が立ちません。

是非とも、立会からの突っ張りを覚えて、その動きの中から右四つになるという相撲も取れるようになって欲しいと期待しています。

 

 

稽古の後は、取り組みが始まり、序二段、三段目、幕下と続き、その後、相撲甚句、初切があり、中入り後、土俵入り、横綱土俵入り、取り組みと続きました。

取り組みでは、おもしろいしぐさなどもあり、千葉県出身の高安関、琴勝峰関、隆の勝関が勝ったりで、周りの人は喜んでいましたが、本場所とは真剣みが違うなと個人的には残念でした。

 

会場では、市内の小中学生760名を招待したということで2階から黄色い声援を送って華やかでした。

日々の鍛練を重ねた力士たちの取り組みを観戦することで子どもたちに夢を与え青少年の健全育成に役立てればという趣旨はとても良かったと思いましたが、途中で来て途中で帰ったり、終り頃に来たりで滞在時間が短かく、学校の都合もあるかと思いますが、趣旨を理解して子どもたちに存分に見させてあげれば良かったのにと思いました。

 

 

取り組みが終わってから気が付いたのですが、土俵は全て土で出来ているのではなく、周りは成形品で形ができており、その中に土を入れた土俵でした。

1日しか使わない土俵を短時間に仕上げ、短時間に撤去する巡業ならではの工夫なのでしょう。

 

 

次は、チケットがなかなか取れないのですが、本場所を見に行きたいと思っています。