前の大学・大学院の恩師が、先月本を出版されました。

 

先生は2010年3月に大学を退官され、現在は高速道路の保守点検等の業務を行う会社のテクニカルアドバイザーをされています。

 

昨年先生から、「これまでやってきた研究の実験データを纏め直して本にして残しておきたいので、修士論文のコピーを送って欲しい。」と言われ、青焼きの修士論文をコピーして送りました。

そして先月、先生がやられてきた研究の初期段階から最終段階迄に至る研究成果とその裏付けとなるデータを整理された本を出版されました。

先生は、2015年にも本を出版されています。

 

先生は、「橋のお医者さんになる」と言われていて、橋の損傷がおこるメカミズムの究明と実際の橋の診断方法、対処方法を研究され、予防となる設計指針への落とし込みをされてきました。

実際に県の道路防災ドクターもされていました。

道路防災ドクターとは、道路橋の損傷の補修や防災的な修繕などの実施により道路橋の長寿命化を図るため、道路橋の損傷補修などについての専門知識を有する学識経験者より損傷把握に必要な点検、損傷の程度の診断、補修方法等について技術的な指導を受け、道路橋の適切な維持管理に資することを目的として学識経験者より構成される人たちです。

また、損傷部の補修・補強する処理方法を考案し、特許化して、処理を適切に行うための講習会(座学と実技)を現在所属されている会社で行っています。

 

私は修士で、先生の研究の初期の段階での損傷のメカミズムを究明する研究の一部を実験を行って、修士論文を纏めました。

それから既に43年が経過しており、本を読みながら初めの章の辺りは、古いアルバムを見るように当時の事を懐かしく思い出しながら読んでいました。

章が進みにつれて、こうした関係の事柄からずっと離れていたことと理解力が落ちてきたことなどから、理解が難しくなり、読むのが大変になり、100%理解することは出来ませんでした。

しかし、先生がやられてきた研究のテーマが一貫して展開されており、改めて、先生の長年の研究のたゆまぬ努力と成果に尊敬の念を覚えました。

 

工学またはエンジニアリングとは、日本の国立8大学の工学部を中心とした文書「工学における教育プログラムに関する検討委員」では、『工学とは数学と自然科学を基礎とし、ときには人文社会科学の知見を用いて、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問である。」と定義されています。

橋の損傷がおこるメカミズムの究明と実際の橋の診断方法、対処方法を研究され、予防となる設計指針への落とし込みは、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や快適な環境を構築することであり、工学の本質を追及されてきたものと思います。

 

本を読み始めて驚いたのは、なんと私の名前が本文の中に出ていました。

私が修士の実験で細い0.03mmφの被覆銅線を1mm間隔に貼って損傷を計測していたことが紹介されていました。

当時はこうした計測のための既製品のゲージはなく全て手作りでやっており、海外で紹介したら日本人の手先の器用さに驚いていたという後日談も紹介されていました。

 

43年前のことが改めて評価されたことに感動を覚える共に、感謝の気持ちで一杯になりました。

当時は、実験でいいデータをとるにはどうしたらいいかということしか考えていなくて、大変だったとかやらされていたというような気持ちは全くありませんでした。

自分で色々考えて何かをするという楽しみがありました。

純粋だったんですね。

 

人に評価されるというのはモチベーションがあがります。

やっている時に評価されるということも大切なことだと思いますが、時間が経って改めて評価されるというのは、美辞麗句ではなく本当に評価されているという重みを感じます。

 

来月、退職した会社の後輩たちと飲み会をします。

現役時代には頑張っていた彼らを評価していたのですが、やっている本人たちは自分ではたいしたことをやっていないという思いでいたかと思います。

そのため、今度会った時には改めて、彼らの努力を讃えてあげたいと思います。