はじめtギターを弾いたのは10歳。
3歳上の姉由美子がお年玉で買った白いガットギター
それまで家では8歳上の兄が弾いてるギターはあったけどもちろん、兄の物はさわれない。
私の家では父次に兄・・・次女そして長女・・・私・・・母。この順番は全てだった。
父、兄はわかる・・・でもなぜ次女が次?
次女由美子は家の食事を小学生の頃から買い物、調理を任されていた。後片付けは長女。
そして私は補助・・・どちらにも使えていた?
由美子は、性格もはっきりしていて体も2つ離れてる長女より大きかった。
ほぼ毎日の家の買い物のとき上手にやりくりしてしっかりとお釣りを貯めていたこともあってギターを買った。
姉には絶対服従・・・に近かった。
権力者由美子であった。チャンネル権もおやつも全部取り仕切ったのは由美子。
だからっていやなやつ~ってわけでもなくいつも一緒に遊んでた。
親友に近い?かな。服従だったけど・・・。
TVジョッキーで白いギターを~
同じ年代の方なら知ってるだろう。
あの感じの「白いガットギター」
当時6000円だった。時計屋さんに置いていた。
楽器屋さんは街に一軒。YAMAHAの系列の店だけだった。
そこのギターはもう少し高いものだったので時計屋さんに並んでたそれを選んだのだ。
当時『平凡』『明星』という月刊誌があった。
それの付録に歌本。
これを使って練習。
由美子・・・程なく飽きて弾かなくなる・・・。
しかし、権力者由美子は簡単に私にさわらせてはくれない・・・。
当時中学生の由美子・・・3歳違いの小学生の私。
学校の終業時刻が大きく違っていた。
由美子が帰ってくる少しの時間でギターを練習して(やり方は由美子が始めてするときにいつも一緒に「ああさ・・・こうだ・・・」と二人で考えてしてた)こっそり元に戻しておく・・・。
こうやって私のギター人生が始まった。
由美子はギターをあっという間に・・・ホント短い時間だけで終わった。
Fの壁である。
手も大きく指も長い由美子【男子並み】。
大概のことは何でもする~っと出来てしまう兄姉よりも器用な由美子。
なのに飽きた・・・。
そのおかげで時々(いつもじゃない)はさわること許された。
次のお正月、お年玉1000円で払い下げられたギターは私のものとなった。
お手本は歌本。
初めて覚えた曲は「四季の歌」
♪春を愛する人は 心清き人~
Am Dm E7の3コード。
追加でC D7 G そしてF・・・この辺から歌える曲が多くなった。
ゆっくりとすこしづつ・・・
私のギター人生は始まったのだ。
8歳上の兄はその頃すでに友人とギターデュオしてたけど・・・
すぐに東京に仕事に出て行ってしまったので教わることは無かった。
それにね、我が家の不文律・・・人に物事教えてもらわない・・・見て覚えるか・・・自分で工夫してやる・・・だったし。
出来の良い・・・兄と二人の姉が居る環境は何か出来ても褒めてもらえなかった。
「これは由美子にはかなわない」ほとんどの日常のことは由美子が一番だった。
「賢いのは喜美枝(長女)」頭良かったのよ・・・この方。いつも学年トップ。家で勉強してるの見たこと無かったのにね。妹や近所の子の面倒よく見てる人でね・・・。手芸も由美子よりかなり上手だった。
「お前の良いところは優しいところだけ」両親が認めてくれたことはそこだけ。
他の3人より体も弱買ったのもあったし・・・。
兄が東京に行ってた2年の間に少しだけ兄の持ってたギターの本をこっそりいただいた。
兄は通信のギター講座もしていたようで・・・。ソノシート付き・・・懐かしいね・・・の教本やらももらった。でも・・・使わなかった。なぜ?・・・おもしろくなかったのね・・・内容が・・・。
兄はかなり上手い・・・後になって知った。
中2で吹奏楽部に入るまで、ギターを時々弾いて歌った。もちろんひとりでね。
負けず嫌いの由美子は自分が出来ないことを目の前でするとかなり不機嫌になった。
由美子と仲良しだったからもちろん、そんなことはしない。相変わらず・・・こっそりと。
何年も同じ弦で弾いてた。
お小遣いなんてすっごく少なかったし・・・。
いつか交換?なんて覚えてない・・・。
親に弦買ってもらったのかな・・・。
そのまま私は、高校生に・・・。
その頃東京で働いていた由美子の彼氏がギター弾く人で彼のためにYAMAHAのFG250を買ったことを聞いた。遊びに行ったときに弾かせてもらった。
とても良い音がした。高音の響くギター。シャリン~と鳴った。
半年後彼と別れた由美子はこのギターを「お前に貸してあげる」と言い出した。
もちろん、返事はひとつ「わ~ありがとう」
このギターで本格的に弾き語りへの路がスタート。
FGは弾きやすいギターではない。
それでも、ガットより良い音の鳴るギターはうれしかった。
放課後が帰宅部の私は毎日クラスメートと弾き、歌った。
みんなのために伴奏して・・・楽しかったよ~毎日ほとんどね。
このFGは数年後今度は2000円で買取。
いつでも由美子が言う「自分でお金出さないと自分の物にならないでしょ!」
その通り。姉妹間ではあげたものは気が変わって『返して~』は普通のことだから。
気が変わるより・・・喧嘩・・・そう、ケンカすると必ず「あれ、返して」的なことになった。
お金払ったものは簡単に取り返されない。
YAMAHA FG 250
このギターでたくさんの歌を弾き語った。
たくさんの音楽仲間とも出会った。
ギターの技量だって上がった・・・はず。
オリジナルも一緒に作った。
何よりもこのギターの音が好きだった。
1本のテープ『20歳の思い出』が残ってる。
当時自分のオーディオに2本マイクつなげられるMIX着けていた。
それを使って「カセットレター」遠く離れた友人に送っていた。
そのころ記念の1本。
LIVEなどのステージ音源とは違った少しよそ行きな感じの音源。
当時「Wish」という名前で高校時代の友人女子4人でも活動してた。
私の曲をアレンジして他の3人に歌、コーラスしてもらって私はギターだけ。
そこのMitsukoちゃんとふたりで作ったカバー曲音源。
あの頃の悩みも苦悩も・・・よみがえる。
歌いたかったけど・・・歌しかしない子が2人。ギターは2本。
必然私はギター伴奏。
自分のオリジナルをアレンジしてコーラスつけたり・・・合宿練習と言う名のお泊まり会。
一年に2回のコンサート(そう呼んだ)青春の思い出かな。
3年ぐらいしてたかな。
その後弾き語りを細々とやってた数年。
メインギターはずっとYAMAHA FG250
他のギターも数台めぐってきたけれど・・・
このギターが一番好きだった。
とうちゃんと出逢い、子育てだけしてるときにFGとお別れした。もう弾き語りはしない・・・と決めて。静岡のママ友が引っ越すときに処分するかな・・・ってなった時に「息子の啓介にもらっとく。返してほしくなったらいつでも言ってよ。」と申し出てくれた。
そのまま・・・今どうなってるかも確認してない。
きっとそこに居ると信じてるほうがいい。
音源・・・PCに保存した。
デジタル化したからまた聴ける。
いつか・・・思い出の歌、UPしようかな。
FGの音も聴けるね。
まだ若いときの自分にも出会える。
思い出に浸って・・・
また、ギターが弾きたくなった。
今日はYAMAHAを弾こう。
AC3-R(http://ameblo.jp/noripee312/entry-11572576773.html)だけどね。