Kさんとは、お互いに子育てをしながらも、それぞれの仕事にも頑張っていました。

Kさんは、小柄な体で、明るい性格でした。

その反面、恋に恋するタイプで、暗い恋ばかりしていました。

若い頃は、かなり情熱的な面があり、恋愛に対しては破滅型を自分で選ぶような所がありました。

要するに不倫を恋愛に望むというか、幸せを自ら捨てて、不幸せを好み、悲劇のヒロインになりたがるような人でした。

明るい性格の割には、涙も似合う人でした。

そういう女性が確かに世の中にはいるのです、特にあの頃は…

結婚する前、彼女は長い間妻子ある人と不倫をしていました。

確か私も相手の男性に一度会ったことあります。
かなり年の離れた、穏やかな紳士でした。

辛い苦しい恋をしていましたが、決して妻の座を望んだことはないようです。

そうなってしまったら恋愛は終わるのだそうです。
彼女の恋愛感でした。

分かるような気もしますが、私には無理です。

でも、追いかけるのは好きでも、追いかけられるのは嫌いだと言う女性はかなりいるみたいですね。

時代がそうだったのかもしれないですか、あの時代、私の回りにも不倫をしていた人が結構居ましたから。
Kさんは、跡取り娘でした。
田舎だから、跡取り娘はお婿さんを貰って名前を継がなくてはなりません。

Kさんは、いずれは別れなくちゃならない彼との恋に身も心もズタズタになりながらも、彼女いわく、それでも幸せ、と泣いていました。

そしてとうとう、彼女に縁談が持ち込まれ、好きとか嫌いとかいうことよりも、ただ、いい人だから、という理由でお見合い相手との結婚を決めたのです。

親が決めた相手は、好い人なのです。
好きじゃないけど、嫌いでもないから、結婚したらきっとうまくやっていける、そんな感じで結婚を決めたのです。

不倫相手とは、終わりを告げました。
結婚してからも付き合おう、などと考えるほどのバカではないから二度と会わないとけりをつけたのです。
潔く別れました。

長い年月が立ち、Kさんは40代半ばになりました。

家庭は円満で、子供も二人、立派に育ちました。

その時、彼女はある会社で働いていました。

長いこと忘れていた感情が沸きだしてきたのか、彼女はある男性と恋に落ちました。

それも彼女より10歳も下の人と…

もちろん、まだ癌になる前です。

彼女は久しぶりに夢中で彼を愛しました。
彼には、奥さんがいました。
子供が相手には居なかったからか、奥さんとは不仲だったらしく、相手の男性はKさんとの結婚を望みました。

追うのは好きでも追いかけられるのは嫌いな彼女でしたが、その時だけは違いました。

結婚をしたいと、私に打ち明けました。

常識的には、反対すべきでしょうが、私には彼女が哀れで、愛する気持ちを止められず、同情してしまったのです。

ご主人は本当にいい人でした。
優しくて、お婿さんとしては最高の人でした。

地域にも溶け込み、彼女の親とも仲良くて申し分のない人です。

子供二人が巣立ったら、夫婦仲良く年を取るはずでした。

魔がさしたのか、悪魔が囁いたのか、身も焦がれるほどの恋が彼女を待っていたのです。
続きます。
私は今年64歳になります。まだ若いと云えば若いですが、今、病気になり余命いくばくもないと宣告されたら、まだまだ死にたくはありません。

天寿を全うしたいと思います。
天寿とは、世間で言われている平均寿命のことです。
その時は、あきらめもつきます。

しかし、その天寿を全う出来ないで天国へ召されてしまった友人のことを書いてみようと思います。

私は20歳の時に就職しました。
会社名を書けば、誰でも知っている、誰でも一度は行ったことがある大手のスーパーマーケットです。

仕事は接客とレジ。

私は性格的には暗めでした。子供のころから人見知りが酷くて、人と話したりが一番の苦手でした。

だから接客の仕事は大の苦手、と思い、仕事として選ぶことはしないだろうと思っていました。

高校の時のアルバイトも、だから工場の流れ作業などをしていました。

でも、20歳の時に、何故か180度変えた仕事がしたくなったのです。

18歳まで、ザ・タイガースの沢田研二さんを追いかけていました。

タイガースが解散して、何も手につかずに仕事もしていませんでした。
違うGSを追いかけもしていましたが、
何か仕事をしなくちゃ、と思っていたところ、そのスーパーが地元に開店することを知ったのです。

接客かぁーと悩みましたが、東京までジュリーを観に行っていた間に、かなり性格が明るくなりました。

出来るかも、と思い応募したところ運良く採用されました。

今思えば、本来は好きなんですね~
ただ、苦手と思い込んでいたんでしょうね~

その職場で彼女と出会いました。

彼女、Kさんとしましょうか、
Kさんとは最初から仲良くなったわけではありません。
何人かの仲の良い仲間の一人に過ぎなかったと思います。
みんな同世代の女性でしたから、仕事帰りに飲みに行ったり買い物したり…

三年位、仲間として付き合ってきました。

私は縁があって23歳の時に今の夫と結婚し27歳で一人息子を出産しました。

仕事は続けていましたが、30歳の時に限界を感じて退職しました。
家庭と仕事の両立は、当時はかなり無理がありました。
子供が出来てからは特に大変でした。
親に子供を預けて、帰りは閉店が8時の時は9時すぎになり、私もそうでしたが親も限界でした。

Kさんは私より、3歳年上でしたが、同じ頃にやはり結婚し退職しました。

お互いに子育て期間は、会わずにいましたが、当時の仲間とは交流を続けていたので、年に数回は会ったりしていました。

子育ても、一段落をしたころ、年に数回が半年に一回、そして月に一回と、会う回数が多くなり、お互いの家族や、子育ての悩み、その時の仕事の悩みなどを聞いてもらったり、相談されたりと、だんだんと会う回数が増えてきました。

仲の良い仲間は4人いました。
Kさんとは、うまがあったのでしょうね。
4人の中で一番心を許せる友人となりました。

30代、40代、そして50代といつも、どんなときも大切な友として、大切な大切な友人となっていきました。
そんなある日、Kさんは初めて病気になりました。

検査の結果は、癌でした。内臓の一部に癌が出来ていて手術をして切除し、その時は大事に至らずに復帰しました。
しかし、一度癌になると、食事や飲み物には気を付けるようになるのでしょうね。
再発、転移を恐れて、気を使うようになりました。
油物はやめ、大好きなコーヒーもやめました。
それはそれは気を付けていましたね。
私と待ち合わせして、飲み物を頼むときは必ず、紅茶でした。
私には、コーヒーを飲んでいいよ、いつも優しかったKさんでした。
いい香り、と言うので、ちょっと飲んで見たら?と進めても、絶対にコーヒーは口にしませんでした。
こんなに早く亡くなるのなら、飲ませてあげれば良かったです。
最近の発表ではコーヒーをたくさん飲んでいる人は、癌になりにくい、と言われています。


長くなりましたので、次に続きます。
ちょっと前ですけど、5月9日に行ってきました~朝吉さんドキドキ
その前に、日本橋三越での昭和のスターとアイドル展を観に行きました。
ところどころにジュリーがたくさんニコニコ
お目当てはジュリーだけなので、さら~と観て新宿へ。

そうそう、神田で美味しいお蕎麦を食べたんだガーン


サザンシアターは何年ぶりかな~
ここのところ、音楽劇は行ってなかったしガーン

代々木で降りて歩いていたら、なんと新宿駅近くにいたという、超方向音痴の私は、またやってしまった…(;_;)

なんとか着いて、いざ中へ。

売っていました、海老茶色のTシャツワンピース

Sサイズが良かったのに、すでに売り切れ、Mサイズじゃ大きいよね~と思いながら澤田商店の売り上げに貢献してきました。


音楽劇は、とっても良かったです。
関東人の私には関西弁が今一つ分からない言葉もあって、ジュリーがドスの利いた早口でしゃべるから、聞き取れないところもありました。

ジュリーはじめ、皆さんが歌と踊りがピタッと決まっていて、観ていてへんな言葉ですが、少し恥ずかしかった、こちらがねガーン

お絹さんは、歌をうたうと真子ちゃんでした、
さすが姉妹ニコニコ

河内音頭、初めて聴きましたよニコニコ
素敵でした、みなさんがお薦めどおりのいい声で歌ってくれました。

最後、一度幕が降りてアンコールみたいに拍手が続いたらまた幕が上がってガーン

そしたらなんと、ライブのときみたいに客席オールスタンディング音符

「外は雨模様のようでっせ、お気を付けてお帰りやす」と朝吉さんから言われて、思わずキャー!!

ジュリーと叫びたかったけど我慢した。

朝吉さんはじめ、みーんな良かった。
清次役の野田さんは、最高にいいですガーン

シルクハットの親分も、お絹さんや、おてるさんも…
でも、やっぱり朝吉さんだよね~

あの白い腕、指先、おみ足にひひ

髭のないジュリーが観れて、嬉しいかも~チョキ

次はライブだね~
私の初日は京都に行きます音符