まずは私と夫との馴れ初めから(^○^)
私は20歳で地元に出来た大手のスーパーに就職しました。
そこで仲良くなった同僚がいました。
彼女とはウマがあうと云うのか、
仕事帰りにはお茶したり飲みにいったりしていました。
22歳の夏、その同僚が自分の恋人と待ち合わせをしていて、私にも一緒にと誘われました。
彼の友達が来るから紹介するね!と妙に明るく言われて、どんな人が来るのか興味があり行くことにしました。
純喫茶クラウン♪
当時、気軽に入れる喫茶店とは別に
敷居が高いお店も多かったように思います。
クラウンは、昼間は純喫茶で飲み物と軽食、夜はアルコールも出すお店となります。
店内は、ジャズがBGMで22歳の私達には少し背伸びをしたお店でした。
BGMがジャズにも関わらず店内にはなんとジュークボックスがあり、タイガースやジュリーをかけては喜んでいましたけど、マスターが良い人で何も言われませんでした。
あの日の事は今でも良く覚えています。
夫の第一印象があまりにも強烈で(。>д<)
友達と二人で、水割りを飲んでいるところに、普通のサラリーマン風の男性ともう一人、あとから入ってきた男性がいました。
髪の毛は伸び放題でボサボサ、髭はぼうぼう(;´_ゝ`)
Tシャツに短パン、サンダルばき(。>д<)
この、むさ苦しい男性が後に私の夫になる人でした(笑)
聞くところによると、彼は夏休みをとり別な友人と、新島に行っていてその帰りだったとの事でした。
4人で飲みながら、新島の話を聞いたりして、ふと彼の足元を見たら、なんと砂が落ちていました。
新島の砂が付いていたのですね。
話が盛り上がり、明日会おうか!
と、なりました。
私は公休でしたから、じゃ、海に行かない?となり次の日に会うことにしました。
初デートです(*^^*)
次の日、別な喫茶店で少し早めに待っていると、彼が私を見つけて席まで来てくれました。
私は極度の近眼で仕事中はメガネをかけていますが、メガネ嫌いなんです。
仕事中以外はかけていないため、ほとんど判別出来ないのです。
誰かと待ち合わせする場合は、だから必ず先に行っていて相手に見つけてもらうのです。
私が後から行くと相手がどこにいるのかさっぱり分からないのです。
当時、高かったコンタクトレンズにもしましたがソフトもハードも何故か合わなくてやめました。
彼は、昨日とは違い髪の毛も綺麗にセットして髭もなく、Tシャツにジーンズでさわやか青年に変わっていました。
海までのドライブ中、いろんな話をしました。
歳は私より三才上で、家も近いとのこと。
今は会社に勤めているが、家が自営業なので将来は親の跡を継ぐこと。
音楽が好きで、バンドを組んでギターも引いていた。
えっ、じゃジュリーは知ってるよね?
タイガースは知ってるでしょ?
矢継ぎ早の私の質問に、なんだ、ジュリーのファンなんだ?
俺は、ビートルズかなぁ〜
でも、タイガースの花の首飾りは好きだよ、
うっそ〜、トッポかよ〜
ジュリーは?ジュリーは?
ジュリーはあまり好きじゃなかったみたいです(;´_ゝ`)
楽しく会話は続き、海に着きましたが
波が高くて入れず、
まあ、お盆過ぎの海は波が高くなるのが普通でしたからね。
私達はお付き合いを始めました。
ほとんど毎日、先程の彼女とその彼と私達の4人で遊ぶようになりました。
いわゆるグループ交際というやつですな。
そうそう、男二人は中学の同級生でした。
そして一年がたった頃、私達は結婚しました。
私達を会わせてくれた二人は、破局しました。
なんということでしょう。
人生、いろいろです(;´_ゝ`)
両親の項で書きましたが、父親には反対されたため籍だけ入れて私達は式は挙げませんでした。
まぁ、私達は結婚式とかは初めから挙げる予定はなかったので、別にいいんですけどね。
形式的なことは苦手な二人でしたから、それでも父親の反対は結構ショックで、一緒に住み始めれば反対も何も無い、と言う意地みたいなものがありました。
最初に借りた部屋は、一軒家の借家でした。
アパートは二人とも嫌いで、庭がある一軒家を探しました。
そこには4年ほど暮らし、子供が出来たのでもっと広い家に引っ越しました。
こちらも、一軒家で部屋も多くて庭には家庭菜園も出来るほどの広さがあり気に入っていました。
夫は、この家を大家さんに言って買ってしまおうか、などと話していたのですが、小学校までは歩いてかなりの距離があり、実家は目の前が小学校で便利だし、なにより私は跡取り娘という責任がありました。
実家は部屋数は多いのですが、古くて寒い昔ながらの家でした。
プライバシーも何もなく、夏は玄関開けたら奥の部屋まで丸見え、という家です。
私達夫婦と子供だけなら良いですが、両親にとっては夫は他人なので住みづらいと思ったのか、庭の片隅に家を建てて私達がいつ帰ってきてもいいようにしてありました。
10年振りに私は家族で両親の元に戻りました。
私達はこの家で子供を育て、父親を見送り母親を介護し、見送りました。
父親が亡くなった年でした。
平成17年の夏………。
夫はいつものように、仕事を終えて10時頃に帰ってきました。
帰るとすぐにお風呂に入りますが、その日は少し疲れたから、一杯呑んで寝る、と言いました。
父親と同じにお酒が好きで、夜は必ず晩酌をしました。
でも昔から綺麗な飲み方で、父親のように騒いだり、ねちっこくなったりはまったくなかったです。
私も今でこそ、飲まなくなりましたが、お酒は好きでデートはもっぱら飲み屋でした。
父親のお酒の飲み方を見ているから、飲まない男の人が良かったのですが、夫の飲み方を見て、こんな人もいるんだな、と私も安心しました。
お風呂に入らないで、お酒を口にして私が作ったおつまみを食べていたときです。
なんか顔が曲がって見えたのです。
そして、よだれなど見たこと無いのに夫はよだれが口元に出ていたのです。
私は夫がすでに病気の兆候が出ていたのに、この時は気づかなかったのです。
なんかおかしいな、といいながらも普通に寝ました。
翌朝、ゆうべはお風呂に入らなかったので
今から入りたい、と言うのでお風呂にお湯を入れました。
しかし、夫はバスルームからすぐに引き替えしてきて、私にこう言いました。
足が上がらない、なんかおかしい!
救急車を呼ぼうか、と言ったら自分で運転して行く。
夫は自分で運転して車で数分の病院に行きました。
もちろん私も一緒です。
すぐに容体をみた看護士さんが救急でなら一般外来より早いのでどうしますか?
もちろん、救急で見てもらいました。
この病院は、母がくも膜下出血で倒れたときに入院していた総合病院ですが、専門は脳外科です。
ラッキーでした。
夫は、脳梗塞と診断されました。
軽度ですが、2週間の点滴治療での入院とのことでした。
結婚してから病気になったことはなく、すこぶる元気な人でした。
まさか脳梗塞とは思いもしませんでした。
この時夫は56歳です。
あとで本人から聞いた話ですが、ベッドでただ点滴治療をされているときは、もう人生が終わったな。と考えていたそうです。
点滴の針は付けたまま、トイレに行ったりは出来ましたが、お風呂には入れず、毎日のように私が身体をふいてあげました。
二週間が経ち、やっと点滴治療が終わり、マヒが残ったかどうかの検査がありました。
左手に少しだけですが、握力が入らない程度でほぼ普通に戻りました。
無事に退院して仕事にも復帰しました。
そして、7年の月日が経ちました。
平成24年、今から7年前です。
脳梗塞になってからは、月に一度は病院で様子を見てもらい血圧を下げる薬と血栓が出来にくくする薬を処方してもらっていました。
この日は、ここのところ頻繁に熱が出ていて、心配なので行ってみました。
私も付き添いました。
へんな胸騒ぎがありました。
脳外科の先生は、脳梗塞になると誤嚥性肺炎になりやすく熱が出やすいから注意するように、とのことでしたが心配は要りません、解熱剤で様子を見ましょう、と言ったのです。
でも私はその答えでは納得いかず、夫は最近、便秘気味でお腹の調子も良くないようなので
内臓関係を調べてほしい。
または、紹介状を書いてほしい、べつな病院に行ってみたいので、とお願いしました。
国立の大きな病院にその日のうちに行き、紹介状があったのですぐに消化器内科で診察してもらいました。
検査の結果、なんと大腸がんでした。
それこそ、が〜〜〜〜ん!!!!です。
まさか、信じられませんでした。
もちろん、夫が一番ショックだったでしょう。
即、入院となり、仕事は辞めることにしました。
63歳でしたが、60歳で定年退職して再雇用でそのまま同じ会社に勤めていました。
そうそう、夫は結局実家の自営業は継ぎませんでした。
安定した収入を選んだのと、夫の兄達との仕事は嫌だと言っていましたから。
義兄が一人で、義父親の仕事を継ぎました。
入院して、手術日が決まり私と夫で詳しく先生からの説明がありましたが、なんと大腸がんは8センチもの大きさで、内視鏡では無理で
開腹手術となりました。
ステージ4でした。
夫は、切腹かぁー!と、嘆きましたが、助かるなら切ってもらいましょう、と励ましました。
5時間かかりました。
夫には話しませんでしたが、主治医の先生から開腹してみて、もしかしたら膀胱にも癌が転移していたら膀胱の一部を、切除します。
と聞かされていました。
結果、膀胱の3分の1の切除でしたが、今でも夫は知りません。
結構、気が小さいんです。
大腸だけではなく、膀胱にも癌があった、と知ったらきっと誰でもそうでしょうが生きる力が失くなりそうで言えませんでした。
二週間の入院で、かなり痩せてしまい、退院してからは食事療法が始まりました。
仕事は辞めたとはいえ、体力が戻らないと
免疫力も下がってしまいます。
食べること、これが以外と難しいのですね〜。
脳梗塞から復帰してからは、さすがにアルコールはやめましたが、ご飯はやはりあまり食べないで、副菜で済ますほどの少食でした。
なるべく食べてもらいたいから、白米を玄米に変えたり、炊き込みごはんにしたり工夫してご飯が好きになるように。
副菜は、高タンパク、低カロリーを基本に作り、結婚して初めて料理本など買ったりしました。
ただ、主治医いわく、大腸がんは食事でなったのではないから、食生活を賄っていたあなたの責任ではないですよ、
一番大きい原因はストレスですよ。
だから、ストレスをかけさせないように、いつもゆっくり穏やかに暮らしてください。と言われました。
夫は、その頃確かにストレスを抱えていたのだと思います。
再雇用されたとはいえ、営業職から事務職に変わっていました。
慣れない事務職に毎日ストレスを感じていたのでしょう。
身体は正直ですね〜
退院して7年が経ち、再発の危機である5年を過ぎて
夫は今は、毎日家でテレビ三昧の日々を送っています(*^^*)
私と同じに冬が嫌いで、冬眠していたかのように家に閉じ籠っていましたが、大好きな初夏になりいよいよ活動するときがやってきました。
家庭菜園です。
毎年の楽しみになっています。
先日、庭の片隅の土を耕し、ホームセンターで野菜の苗を買ってきました。
キュウリ、なす、ししとう、青唐辛子、今年は万願寺唐辛子も植えました。
毎日、朝起きてもテレビから始まる生活が、夏が終わる頃までは、庭に出て野菜が大きくなるのを楽しみに出来るようになりました。
私はまだ外に仕事に行っているので、なんとなく役割分担が出来て、私は仕事と食事。
夫は家の外、草取りや野菜作り、家の修理などです。
夫には大病をしたのだから、これからの70代はのんびりと、ストレスをためないで生きてほしいですね。
夫いわく、私の口やかましいところもストレスだぁ〜とか言ってますけどね〜<(`^´)>
膀胱が小さくなったためかトイレが近くて、ドライブなどは出来なくなりました。
なんで、こんなにトイレが近いのか、不振がっていましたが、そろそろ本当の事を話そうと思います。
結婚して、44年目にもなりました。
私の両親じゃないけど、喧嘩したり口を利かなかったり、ばか!、間抜け!と言ったり言われたり(^o^)v
いろいろありました。
お互いに離婚届けにサインして持っていたり(笑)
本当です(。>д<)
タイミングが合わず出しませんでしたけど…。
最近は何処かの誰かと同じで、少し偏屈になり、頑固じじいで困っていますが、ここまで来たら、あとはお互いにいたわりながら行くしかない、と…………。
介護はまかせてください、母親で慣れていますから。
それからおとうさん、
私がジュリーのコンサートに行くときは、もう少し気持ち良く送り出してくださいね(笑)
勝手にしろ!とか、いい歳して何がジュリーだ!
なんて、言わないでくださいね。
ジュリーが好きじゃないのは、付き合っているときから知ってますけどね〜
もう、諦めてください、あなたと知り合う前からのファンなんですから〜(^o^)v