少し日が経ってしまったが、フォーラムのライブ感想を残したいと思う。

今回は、かなり私個人の意見が入ります。

ジュリ友さん、ご了承ください。


ジュリ友さん達とランチをして、ジュリー話に花が咲き楽しい時間を過ごした。

ミルミルちゃん、モガちゃん、かずちゃん、

ありがとー

楽しかったね!


そして私は別なジュリ友に会うべく、有楽町駅に向かった。


10年振りくらいのジュリ友だ。

岡山在住で、知り合って15年以上になる。

会えなくてもお互いの近況はLINEでやり取りしているが、本当に久しぶりに会うことが出来てとても嬉しかった。

おもわす抱き合ってしまったね!

ある芸人のお母さんなんだけど、ここでは勝手に言えないし。

失礼に当たるからそれは内緒ね!

ゆっくりとお茶をして、4時過ぎに会場に入った。




聞いてはいたが、ユニークな衣装でお出ましのジュリー。

聞いていなかったら、イラストなどで見ていなかったらビックリ仰天の衣装だわー(笑)

ユニークだけど、私の固い頭のせいかスーツ姿が見たかったと無い物ねだりをしてしまう。


まずは、ストリッパーから。

メンバーとの横並びがカッコいい。


次々とヒット曲を歌うジュリー。

だが、かなり歌詞があやしい。


大好きな、あなたにワイン〜も、

歌詞が出て来ず、残念!


ジュリ友とランチをしているときに、

私はこんなことを話していた。


「席はね、どこでもいい。顔はもういいかな(笑)若い頃さんざん見たし、

今はジュリーの歌が聴きたい。(CDじゃなく今の生の、と言う意味)

だから、出来たら歌詞間違いはしてほしくない。

ジュリーより私達の方が歌詞を知っている、だからジュリーが間違うとすぐ分かる」


今までも歌詞を忘れてしまい、どうにかこうにか帳尻を合わせて、うまくごまかしてきたし、

そのたびに私も笑っていたと思うし、歳なんだし仕方ないか!てな感じでいた。


最近の新しくファンになった方達は、昔の歌なんて知らないだろうからこんなものかと思うだろうな。


でもこの日のジュリーは、ほとんどの曲があやしかった。


《もちろんそんなの想定内だよ〜

間違えても75歳だもね、仕方ないよ〜

歌詞間違いなんて、今始まった訳じゃないし〜

それも含めてのジュリーなんだから別に気にしないし〜

間違えてもジュリーはジュリーだから、可愛いし〜

歌ってくれるだけでいいし〜

元気な姿を見れるだけでいいよ〜》



いろんな意見があるだろうな。

確かに少し前までは私も同じように思っていたな。

元気に歌ってくれたらそれでいいよ〜ってね!



でもね!私が厳しいのか、完璧を求め過ぎるのか、


若い頃から私がジュリーに求めていたのは、いつも強気で努力家のジュリーだった。


そして、期待を裏切らない素晴らしいパフォーマンス、感動で泣きそうになるくらいの歌声だった。

必ず期待に応えてくれた。


(今は無理だって、言われなくても分かっています。

でも言っちゃう(笑)

ここは私のブログだし、反対意見は受け付けません(苦笑))


ステージ上のジュリーはいつも真面目で、時として冗談を言い笑わしてくれるが、カッコいい男前のジュリーだった。


そのために、影では人一倍の努力をして、完璧に仕上げてステージに立ってきた人だと思う。




さすがに最近は、特に70歳過ぎてのジュリーは老いが見え隠れしてはいるが。


それでも絶対に影で努力しているはず。

その影の努力がステージで生かされて、またすぐに観に行きたい!と私達に思わせてくれる。

ジュリ沼にはまったら抜け出せない、とは良く言ったものだよね?



だからこそ、この日のジュリーの、


《ボロボロだったね(歌詞が)

80までは歌うと言ったがムリムリムリ(哀しい)

難聴でね(悪口は聞こえるらしい)

メガネをかけると良く見える訳ではないが、楽にはなる。

あと、何年出来るか。》

などなどの弱気な発言は、歌詞を間違えたことよりも、ちと辛かったかな。


現実を見せないジュリーが魅力的だったけど、

でも、だんだんと老いを感じ始めたジュリーが、

それでも強気の発言で何年か前はこんなことを言っていたよね。


《88歳までは歌う、立って歌うのがムリになったらベッドで寝ながらでも歌う、バラードだけでもたくさんあるし、イヤモニはしない、歌詞カードもいらない》

老いに逆らうんではなくて、老いを認めての発言だったと思う。



現実は、

仕方ないよね〜

75歳だよ、75、世間ではおじいちゃんだものね。

記憶を司る海馬が誰でも老化するしね(笑)


あっ、そうは言っても前向きな発言もあったから心配はしてないよ。


《だらだらとやっていく、精進すればきっと大丈夫、

来年一月も決まっている、秋からは出し物変えて出来るところまでやっていく》


精進すれば、のところで私は泣けたよ。

やっぱりジュリーだ、少し安心だね!



ジュリーに言ってあげたいな。


ファンのためになんて、

考えなくていいからね(考えてないか?)


自分の人生、

自分が決めた歌い手人生

全うしてね

舞台で死ねたら本望とも言っていたよね、若い頃

ま、実際は困るけど(泣




悔しい思いをしたであろう、この日のジュリー


完璧主義者のあなたが、完璧に出来なくなってきた最近のステージ


弱音を吐きたくなったほどショックだったんだね。


辛かったね

一番辛いのはジュリーだよね。



この日の歌詞が出てこなかったり、忘れたり間違えたりの

恒例のお正月ライブの千秋楽



私は、アンコールを求める拍手はしなかった、出来なかったよ。

おもんぱかる、と言う言葉があるけど

まさにジュリーの気持ちをおもんぱかる、


気持ちを察するという意味だよね。


ファンも良く分かってる、恒例のアンコールを求める拍手はやっぱり途中で止めたもの。


みんなが、ジュリーをおもんぱかった…




フォーラムから帰った夜

あんまり眠れなくてね、ジュリーの年齢のことや、これからのこと。

あまり先がないこと。

いろいろ考えてしまったよ。



そのせいか次の日

激しい右脇腹痛で人生二度目の救急車に乗ったの私(苦笑)

一度目は、10年前位に過呼吸だった。


今回は、

胆嚢炎。

胆嚢に石があるのは分かっていたんだけど、その石が動いたための激痛!

痛み止めの点滴で良くはなったけど、

原因は、ストレスだって(苦笑)


癒しを求めて大好きなジュリーの

コンサートに行ったのに逆にストレスに感じてしまった今回のライブ、

笑っちゃうよねー

でも頭が固いこの性格

治んないしね〜















夜が明けてしまった。

昨日は、

1月24日

絶対に忘れた事はない、忘れられない日…


いまから54年も前に

私の、私達のザ・タイガースが武道館で4年の活動を終え解散した日



前年から解散の噂が出始め、信じたくはなかったけれどもう本当に無理なのか。

前年、あの伝説の田園コロシアムでのタイガースのライブ…

あれで私の中では確信となった解散…


そして翌年

私は、高3だった

毎日バイトに明け暮れていた。

卒業を控えていたが、バイトでも仕事というものが面白くて働いて収入を得る…

生きがいを感じるほどの毎日だった。

もちろん得たお金で、タイガースを観に行くのが目的だったが。

バイト先の本社の上司が、武道館行くならチケット取ってやろうか?と言ってくれた。


私は、

行きたい反面、何かに腹を立てていて、行くものか!との思いもあった。

今おもえば何に腹を立てていたのだろう。


解散してしまうタイガースのメンバーにか。

解散を決めた渡〇プロにか。

解散に至るまでの裏事情など、知る由もなく

ただただタイガースに会えなくなる悲しさで目に見えない何かに怒っていたように思う。


当日、私はバイトは休みの日だったが、無理やり入れてもらい仕事に夢中になり今日一日をやり過ごそうと考えた。

あの時の心境は今思い出しても涙が出る。


中学から高校にかけての一番の青春時代。

友達は彼氏を作って遊んでいるのを横目に見て、そんなものは要らん!と、

ただひたすらタイガースを追いかけた日々。


不良だと言われ、学校に知れたら停学だよと言われ、

それでもタイガースを追いかけたあの日々。


もちろんジュリーのファンだったが、あのバンドが好きだった。

あの5人のメンバーが大好きだった。


新宿ACBから始まり、新宿ニューACB、ヤングメイツ、日劇ウエスタンカーニバル、

チケットが買えず日劇は徹夜したこともある。


チケット代金と電車賃を握りしめ

豪華なランチタイムをしているファンを横目に、うどんをすすりお腹を満たした。


自分で決めたこと、そして母親と約束したこと。

母親は、タイガースを観に行くことは構わない。

好きな芸能人を見に行きたいと思う気持ちは分かる。

でも、すべて自分で費用は作ること。

おこづかいはやらない、

それと、学校にはきちんと行くこと。

停学ギリギリはいいけど(笑)停学にはならないこと。


おこづかいはね、そうは言っても母親は父親に隠れてくれたっけ(苦笑)

父親は頑固一徹、知れたら大変だった。

母親はその点、自分も役者のひとりが好きだったらしく、

後で聞いたら大〇橋蔵だった。

テレビで見てファンになり一度は会いに行きたいと思ったこともあったらしい。

まあ、現実には出来なかったけど。

だからか、割りと寛容で私の気持ちを理解してくれた唯一の味方だった。


そんな4年間だった。

タイガースが解散して、私はジュリーを卒業した。

だからPYGは一度も行っていない。


高校を卒業してからの二年間は、バイトをそのまま続け、

私は別なバンドを追いかけるようになる。


20歳で会社に就職し、またジュリーに戻った。

そして結婚出産と続き、またジュリーから一時離れることになるが、

今こうして、またジュリーが75歳になっても歌を歌ってくれるから会いに行くことが出来る。

本当に幸せだ。


あのタイガースの解散は、当時の私達には辛くて悲しい出来事だったけど、いつまでも続くわけはないともちろん思っていたし、あの解散を経てのジュリーの快進撃は知っての通りだよね。


1月24日、これからも私が生きている限り毎年想いを馳せるだろう。