8月31日 大宮 22時00分 残暑

 

今晩は。。。

 

毎年8月31日は達郎を『夕暮れメロウ』で紹介するのが慣例だったのですが、今年は違います。音楽談義です。そうです。あの発言を巡る音楽談義です。

 

音楽談義のタイトルだけ決め、二か月が経ちました。

達郎の炎上してしまった放送回の『サンデーソングブック』の前日、昨年から連絡を取り合い会おう会おうと言っていたかつてのギョーカイの同僚とようやく再会する事ができました。そこでは近況の話しも出ましたが、翌日の番組の達郎がどんな発言をするのかへの話題となり、その流れでギョーカイ時にもJニーズ絡みで大変な思いをした昔話しなども出たり、、、、と自分の中の過去の記憶もしっかり掘り起こされた状態で迎える事になったのがあの日の日曜日。。。

 

私の音楽は不要でしょう。。。

 

達郎が超えた一線は、多くの方も指摘しているように、ここにあると自分も思う。

コアなファンも勝手気ままに聴いていたリスナーにも突き付けたオレの音楽を聴く条件。

その条件とは番組内での達郎発言の信任か不信任か。。。一択です。

これでは社内のゴタゴタ、ジャニーズ氏とのズブズブの関係の正当性を言いたいがために、己の音楽を達郎本人の身代わりとして差し出した格好。オレを殺したいなら、オレの子供を殺してからだと籠城する『たてこもり犯』のような言い分の様にさえ聞こえた発言でした。

この意味で明らかに一線を越えています。親なら子供の命を人質にして良いワケではないのと同様にミュージシャンだからと言って己の楽曲に聴く条件を与える発言などすれば、総スカンを食らうのは火を見るよりも明らかです。

 

オイラ自身は生放送中はシゴト中でしたので、休憩時間に見たオリコンが掲載した全文記事を読んで、最後の一行を見た瞬間に感じたのは、到底容認できない『怒り』でした。その怒りは山下達郎の全てと対峙することになるかなと感じる程でした。籠城する犯人=達郎から如何に人質=楽曲を解放してくれるには、自ら投降=翌週の番組での全面謝罪でしかないと思っていましたが、当の本人は意にも介さず、シレっと坂本龍一の追悼を勝手にやるは、大阪公演で『只今お騒がせ中の山下達郎です』と自虐して笑いを取る始末であっけらかん。救出には困難を極める状況は今も続いています。

 

RCA時代の山下達郎とはブランドだった。

 

幼少期からゴム手袋でレコ屋のセール参戦、。。。BY達郎

 

70年代から達郎を聴き続けた者たちの達郎への絶大な信頼度=ブランドは、ここから来ます。自分の耳で音楽を聴き分ける原点がこのエピソードにはあるからです。ミュージシャンとしてだけでなくリスナーとしても一流との証とも言えます。その一流リスナーとして聴き込んだ膨大なレコードは己の音楽の骨や肉となっただけでなく、サウンド・ストリート木曜日にサンデーソングブックとFM番組にも還元されています。また、音楽専門誌『レコードコレクター』2月号では前年釣り上げた宝モノを掲載。達郎は今だ現役のレコードコレクターでもあるのです。その所蔵するレコードは莫大。達郎が所蔵する落語レコードさえも達郎自身のライヴでのMCやFMのしゃべり口に還元されています。そう、山下達郎の全てはレコードで出来ていると言っても過言ではない。。。。これが達郎と同世代の認識かなと思う。

 

『RIDE ON TIME』~ワーナー以降の山下達郎とは指南役だった。

 

自分の音楽は洋楽ファンの鑑賞に堪えうるモノが基準。。。BY達郎

 

マクセルCM『RIDE ON TIME』から『クリスマスイヴ』(1983年)を第2世代とするなら、彼らにとって山下達郎は先生か師匠か指南役な存在かなと思う。

ミュージシャンにとっても、リスナー、レコードコレクターにとっても指南役。達郎本人からすればこれが本意でなくても、教えを乞う、知識を授かるような存在だった。達郎の音楽を聴けば知ら知らずの内に音楽を聴くセンスは磨かれ、知識も増えて行く。達郎を聴いていれば、後追いでアイズレーブラザースでもカーティスでもビーチボーイズでも反応できる=聴ける『力』が自然と身についている事に気付くだろう。

 

が、今回の『私の音楽は必要ない』発言は、まずは私の考えに賛同して下さい。それからお聞きくださいと注文を付けた事になる。

 

門前払い

 

私の音楽は不要でしょう。。。。BY達郎

 

この発言後も達郎を聴ける世代は新興=信仰世代と呼べるかなと思う。

豊富な音楽知識が導入された音楽でありながら、敷居は低く、誰でもポップに聴けてしまう一方で、その奥行きは深く、それこそ60年以上も達郎ファンのヒトが探求できる深淵さも同居していた達郎の音楽。が、この敷居をくぐる前に先の達郎発言へ賛同するか否かをまず決めろって言い寄ってしまった、。これによって、すでに敷居をくぐっていて、それなりの奥まで来ていたヒトたちにも、後追いで信任を突き付けた格好となり混乱に拍車。達郎は好きだがジャニーズの性被害を重く受け止めている自分のような者は、今更引き返せないし、進めもしない立往生。多くの遭難者を生み出してしまった。が、そうした避難者の存在を知ってか知らぬか、番組内で東北の災害(雨と河川氾濫)被災者には触れたりする。その中には達郎ファンでありながらも、今回のジャニーズ発言には同意できないファンも居るとの想像力の欠片もない。上から目線でお悔やみを言い出す始末なのだ。まさか番組の最後で今更、良い人ぶりたいと思ったのか、あるいはそこまでの思いもないお悔やみ発言だったのかもしれないが、冒頭の方で触れた大阪公演のMCでの『お騒がせしている山下達郎です』とその場凌ぎの無遠慮さを振りまく程なので、番組の半ばで発言してもはや最後まで来ているのは自分の意見に同意した者だけとの確信を得てのお悔やみだったのだと思う。

 

山下達郎の発言を認めて許されて聴く音楽は、ポップミュージックではなく信仰音楽。

 

山下達郎はあの日曜日を境にカリスマになった。

ココから先は信者向けの音楽。

敷居は高く、聴く前に、信任が必要。それはまさに入会の意思確認。

 

アナタは入会しますか?

 

さて、オイラ。

『GO AHEAD』辺りからのファンです。同世代とは言えず、どちらかと言えば指南役世代の最初の世代になるやと思います。

今回のジャニ氏の件で言えば、BBCのドキュメンタリーも拝見しました。そのドキュメンタリーが作品としても優れていた事も付け加えておきます。その意味では、この作品を今だ無視しいている日本の映像関係団体に個人も、作品の論評の前に忖度と達郎系義理が先にあっての作品評価をするモノたちと烙印が押されます。このドキュメンタリーを作品として見殺しにしていますから。。。

ディスクユニオンへ行く。アナログ再発に伴ってレコ屋で流れる達郎も、レコ屋の壁に並ぶ達郎も、誰のモノ?と問い掛けているかのように哀しい空間に様変わりして見えた。

オイラはRCA時代なら企画もの以外、全てオリジナルで所有。ワーナー期は歯抜けで数枚ありますが、この発言以降、達郎作品がターンテーブルにのる事はなくなりました。

 

救出には時間が掛かります。

だからって焦って強行突破で突入=もう聴かない、レコード売るなんて『やけっぱち』などはしません。達郎ファンで発言で傷ついた方。つらければ暫く聴かない事をお勧めします。その暫くは、ヒトによっては5年、10年と掛かるやもしれません。それでも、時間の経過に任せて放っておけば良いと考えます。

 

オイラのスタンスは、暫くはコンサートには行かない。今は聴く気にならない。これからも忖度しないで論評。このスタンスです。それで言えば、この発言の前となりますが、RCA時代の作品と比べ、新作だった『SOFTLY』は発売から1年が経ち、聴かない作品の類になりました。駄作とまでは言いませんが、早々に聴く事がなくなってしまいました。リリース時は悪くないと思っていたのですが聴くことがないのです。

皆さんは『SOFTLY』、聴いてますか?

時間の経緯に耐えて来た過去作品との違いが確かにある。その違いは又、聴けるようになった時の別の機会に。。。

 

それでは。。。。