[序] 本稿は、京都造形芸術大学(現、京都芸術大学)が2000年に大幅改組し通信教育課程(1998年設置)を本格化するに当たって、情報デザイン学科の「情報デザイン演習Ⅱ•Ⅲ」の通信教育用テキストとして作られた『情報デザインシリーズ Vol.4  映像表現の創造特性と可能性』(2000年4月)の、私の執筆パート、第2章「映像体験、映像の魅力」第3章「切り取りと配列」第4章「イメージの世界」の再録である。

通信教育用にはソフトカバー(非売品)で出版され、書店販売用として角川書店が同一内容をハードカバーで出版した。教科書的とはいえ、私の映画論・映像論の当時の集成といえる内容であり、絶版になっているので再録することにした。

奥付には責任編集・田名網敬一+松本俊夫、アートディレクション・田名網敬一、とあるが、実質的な実務担当は当時同学科の助教授だった伊藤高志・稲垣貴士の両氏で、編集実務は専属の外部編集者が担当されていた。

 

 

映像体験、映像の魅力

 

1.作ることと見ること

 

作品との出会いが作家を生む

 

 印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの息子ジャン(1894-1979)が映画作家となるきっかけは、第一次大戦中に見たチャップリンの短編喜劇だったという。「熱狂的に感激したというだけでは、私の感情を表わすのに十分ではない。私はもうすっかり動顛していた」とジャン・ルノワールはその自伝に記している。

 「私はパリで上演されるチャップリンの映画を一つ残らず、それも同じ映画を二度も三度も観に出かけた。そして行くたびに、前回に劣らず感激して帰ってくるのだった。そればかりか、私は他の映画に対しても興味を抱くようになり始めた。つまり映画狂になったという次第で、チャーリー・チャップリンこそこの改宗を惹き起した張本人であったのだ。」(西本晃二訳『ジャン・ルノワール自伝』みすず書房,1977)

 チャップリンの短編はいまでもビデオで簡単に見られるが、1910年代半ば当時の観客と同じ感激や衝撃を味わうのはもはや困難だろう。まだ映画に音がなかったサイレント(無声映画)時代のドタバタ喜劇には、滑稽なおかしさだけしか感じられないかもしれない。しかし、そんな映画との同時代的な出会いが、フランス映画を代表する《ピクニック》(36年撮影,46年公開)や《ゲームの規則》(39年)や《大いなる幻影》(37年)の作家を生んだのである。

 しかもチャップリンの短編の荒唐無稽なギャグや痛烈な風刺精神のなかに、庶民の哀歓よりもっと前衛的でアナーキーなパワーを発見していたジャン・ルノワールは、自分の映画でも夢のシーンに工夫を凝らした《水の娘》(24年)や《マッチ売りの少女》(28年)、コミカルでアヴァンギャルドなSFダンス映画《チャールストン》(27年)などを自主製作するのである。

 どのようなアートの分野であれ、つねに作品との出会いは偶然であればあるほど大きな衝撃をあたえる。その「出会い」に敏感でなければならない。ときにはその衝撃の意味をすぐに言葉にできない場合もある。それでも、体験したことのない驚きや衝撃は深く心に働きかけ、やがて次の世代の作家や作品を生み出していく。そうした「見る」出会いの蓄積こそが、観客とそして作り手に「表現のアクチュアリティ」をくりかえし発見させてきたのである。

 1895年に最初の映画上映を見た観客にとっては、1分たらずの映像が「動く」こと自体が衝撃的な体験であった。その後、それぞれの時代の映画史的傑作が多くの衝撃と影響を次世代に残してきた。

 たとえば、眼を剃刀で切ったり手の平から蟻が湧き出るといったスキャンダラスなイメージで夢の映像化を試みた《アンダルシアの犬》(28年)、オデッサの階段の虐殺シーンなど映画編集(モンタージュ)の極致というべき《戦艦ポチョムキン》(25年)、物語の話法・撮影技法の両面で超絶した《市民ケーン》(41年)、等々だ。

 1950年代生まれの筆者の年代なら、衝撃的映像体験といえばさしずめ、強烈な色彩で殴り書きのように物語を描いたゴダールの《気狂いピエロ》(65年)やSF映画の宇宙空間を一変させたスタンリー・キューブリックの《2001年宇宙の旅》(68年)、それに、プライベートな視線で捉えた現実がどんな劇映画よりも感動的でありうることを証明したジョナス・メカスの《リトアニアへの旅の追憶》(72年)などになるだろうか。

 それぞれの背後には、当時、どんな時代のどんな現実を、人々、とくに若者が生きていたのかという歴史的体験もあった。世紀の変り目を通過し、21世紀を生きるみなさんにとっては、どんな映像作品との「出会い」が待っているのだろうか?

 

見ることで感覚を研く

 

 テレビが一般家庭に普及する以前、映画は20世紀前半の大衆メディアの中心的存在だった。今日ではその影響力やパワーは低下してしまったが、その一方で、テレビ・ビデオ・コンピューター等を通じて「動く映像」(ムーヴィング・イメージ)が際限なく流通・交換されるマルチメディア時代の映像文化が、かつての映画映像を繰り返し再利用しながら形成されていることもまた事実である。しかもそれは、ヒトラーの演説や原爆投下の記録映像などように、繰り返しワンパターンに使われることによって20世紀の歴史を彩る「単純化された記号」と化す危険性をも孕んでいる。

 デジタル時代にイメージが情報化・記号化されていくのは必然的な流れであるが、だからこそそうした時代には、「単純化されたマスイメージ」とは異質な、アーティスト個人の内的世界や無意識とつながる深いイメージ、表現としてのイメージ、が求められてくるのである。同じように、人々が映像を私的に体験したり、個人的な感受性を研ぎ澄ましたりすることも求められてくるのである。

 映像を「作品」として体験するとは、そのように感覚を研ぎ澄まし、自分の「眼」と「耳」を敏感に反応させることなのだ。たとえば、アメリカの代表的ビデオ・アーティスト、ビル・ヴィオラのビデオ・インスタレーションである。彼のインスタレーションは一部屋の空間全体を暗闇にしたものが多いが、実際にその闇のひろがりのなかに身を置き、自分の感性で体験しなければ「見た」ことにならない。空間と水滴と光と音を使って描く卓抜なインスタレーション《彼はあなたのために涙を流す(He Weeps for You)》(76年)は、やはり真暗な部屋のなかで少しずつ膨らむ水滴に観客の顔がうつる様子を大きなスクリーンで見る体験なのだが、ぶるぶる震える水滴のなかに、極大と極小、大宇宙と小宇宙、全体と部分(細部)が互いに照らしあう対応関係を発見する面白さと驚きは、カタログの写真ではなかなか伝わりにくい。

"He weeps for you" Art & Electronic Media Online Companionより

 こうした「作品」の実体験が深くなればなるほど、わかりきった理屈や誰もが常識だと思うマスイメージは剥ぎ取られ、新たな未知の感覚・感受性が姿を現わしてくる。

 小説家・谷崎潤一郎は『文章読本』(34年)のなかで、「感覚を研く」には、第一に「出来るだけ多くのものを、繰り返して読むこと」、第二に「実際に自分で作ってみること」をあげ、「すべて感覚と云うものは、何度も繰り返して感じるうちに鋭敏になる」と述べている。

 そのようにして自分の力で研かれていく感覚こそ、作り手が技術や技法より前に身につけるべきものであろう。それがなければ、新鮮で記憶に残るような形で自分の世界を人に伝えることはできないだろう。自分だけの自己満足を越えて自己の「外部」の社会や他者に向けて表現をすることもできないだろう。

 映像の作り手が創造の不可欠の要素として、多くのすぐれた作品にたえず自発的に接して感覚を研かなければならないのはそのためでもある。

 

2.アクチュアリティの発見

 

時代を生々しく捉える力

 

 粘土でリアルに作られた男と女の上半身像。二人が近づきキスをし情熱的に愛しはじめると、二人の粘土は一体化し、その粘土の山から恍惚にうちふるえる顔の表情が現れては消える。愛の行為が終わり、ふたたび元の二人に戻ると余分な粘土が残される。それを押しつけあい投げつけ、しまいに互いの顔をぐしゃぐしゃにえぐりあう。

 チェコのアニメーション作家ヤン・シュヴァンクマイエルの傑作《対話の可能性》(82年)の1パートである。一見すると男女の愛情関係の単純なカリカチュアのようにもみえるが、何かそれを越えた切迫感、魂を込めたメッセージが、観客に恋愛劇以上の意味を読みこませずにおかない。その衝撃力はどこから生まれるのか?

 旧ソ連の圧政下でしばしば芸術にも検閲や弾圧が加えられた社会主義時代のチェコでは、社会批判や政治的意見は表向きの意味やストーリーに隠して「象徴的」に表現されることが多かった。この作品のなかにも、東西冷戦や社会主義官僚制を皮肉った「チェコ人なら誰でもわかる政治的寓意」(作者)が込められていた。別の社会に暮らす私たちにわかりにくいが、その「象徴性」という隠された意味が、逆に、もっと普遍的な人間のエゴやセクシュアリティまで複雑に重層化して感じさせるようである。

 ソ連軍がチェコに侵攻した1968年にシュヴァンクマイエルが作った《部屋》は、牢屋のような部屋に放り込まれた男が、椅子・電球・スプーン・ベッドなどあらゆる事物の悪意によって理不尽に痛めつけられるという設定だった。実写のモノクロ作品だが、随所でアニメーションの手法が使われ、カフカの小説の主人公のような男は不自由と格闘しつづける。その悪夢的で不条理な「部屋」そのものが、この時代のチェコの不安や恐怖を象徴しているのだが、同時に人間に押しつけられる「あらゆる不自由」をも象徴している。

 このように時代のアクチュアリティを生々しく捉え、表現しようとして、アーティストはつねに新しい表現を求め、それを生み出してきたのだ。

 アクチュアリティ(actuality:現在性、今日性)とは、「いま・ここ」の時間と空間、私たちが生きている「この」世界が、ここに表現されているという「現在感覚」であり、その真実味である(フランス語の「アクチュアリテ」には、ニュースや時事問題という意味もある)。

 

「いま」のテーマを発見する

 

 いまの時代にはいまの感覚や表現があり、それを100年、200年前の様式で表わすことなどできない。時代の本質を鋭く捉える力、同時代の観客に「現実」を鮮やかに発見させる力がアクチュアリティなのである。現代という複雑化した時代に、表現者は「この時代」とは何かという視点をつねに忘れてはならない。

 第二次大戦直後のイタリアでは、敗戦により瓦礫と化した都市の風景から、ロッセリーニ、デ・シーカ、アントニオーニ、フェリーニらの「ネオレアリズモ」(イタリア語で新しいリアリズムの意)が生まれた。廃墟や貧困など、いま目の前にひろがる物質的現実のなかで、実際に起こった出来事を再現するようなドラマが作られ、そこではモノ自体が雄弁に時代を語ったのだった。

 カウンター・カルチャーが吹き荒れた1960年代アメリカでは、ポップアートの美術家アンディ・ウォーホルが、社会からドロップアウトしドラッグや女装にふける者たちを2面スクリーンで延々と映しだす《チェルシー・ガールズ》(66年, 約204分)を作る。即興的事件はあってもドラマらしいドラマのない、退屈なはずのこの映画が異例の大ヒットをつづけた。当時のアメリカのアクチュアリティがそこにあふれ、従来の古典的な約束事(劇映画であれドキュメンタリーであれ)では捉えられぬ生々しさがあったからである。

 ポップアートが登場した戦後アメリカは大量消費社会として物質が豊かにみちあふれていたが、アンディ・ウォーホルらはそういう物質文明の「商品」や「スター」を直接的に引用することで、「ネオレアリズモ」の貧しさとは正反対な意味でモノや物質に雄弁に語らせた。時代を象徴する力をそれらの対象に見出したのである。

 1980~90年代には、香港・台湾・韓国などの新しいアジア映画に独特な都市空間のアクチュアリティが現われた。香港のウォン・カーウァイ(王家衛)が《恋する惑星》(94年)や《ブエノスアイレス》(97年)で体現した感覚は、画面がブレたり速度や奥行きが変わったりする視覚効果だけでなく、自閉的なモノローグ(独白)やモノと数字への執着が、現代世界の孤独感をきわめてユニークに感情的に表現するものであった。同じように、台湾のエドワード・ヤン(楊徳昌)は《恐怖分子》(86年)で現代都市の言葉にならない不穏さを、意図的に断片化されたドラマや無関係な人物たちをモザイクのように並置する無機的な構成で鋭く浮き上がらせた。

 

アクチュアルな問題提起としての「身体」

 

 さらに現実がヴァーチュアル化する情報化時代の今日では、身体観も大きく変わりつつある。芸術表現のなかでも、かつての理想化された女性ヌード像などとは本質的にちがった「データとしての身体」が強調されたりしている。たとえば、鈴木淳子の《MRIによるセルフポートレイト》(95年)では、病院で検査に使う医用電子機器MRI(磁気共鳴イメージング)を今日的な自画像のメディアに転化した。

 コンピューター・グラフィックスで理想化して作った顔にあわせて自分の顔を整形していくという、ヴァーチュアルなものと現実との関係が逆転しつつある現代、そしてクローン技術が人間にも理論的には応用可能とされる時代に、身体がもつ意味も大きく変わらざるをえない。

 古典的な完成された美といったものの追求ではなく、むしろそうした伝統的身体観への批判的な視線から、もっと生々しく作者が自分や他者に言及する手段として身体が使われはじめている。ある者にとっては人間的な手ざわりや自己確認の手段として、別の者にとっては政治的主張(フェミニズム、ゲイ・セクシュアリティなど)や社会・文化的に作り出される「性差」(ジェンダー)への問題提起(例えば「見る主体」としての男性(の視線)と「見られる対象」としての女性(の身体)と言う支配的な組合せを批判し、逆転する発想など)として、写真・美術・映像などの分野で身体がアクチュアルな表現テーマとなっているのである。

 このように、動きつつある現実はそれを捉えるのに従来の殻を破る発想や表現をつねに必要としている。それを敏感に感じとり、現実のなかに「いま」のテーマや方法を発見すること、それがアクチュアリティである。

 

3. 現実と映像

 

メディアの洞窟のなかで

 

 ベルナルド・ベルトルッチ監督の《暗殺の森》(70年)は現代イタリア映画を代表する一本である。名撮影監督ヴィットリオ・ストラーロ(『地獄の黙示録』以降のコッポラ作品の撮影でも知られる)のカラー撮影の美しさでも映画撮影史に残る作品だが、そのなかで主人公がプラトンの「洞窟の比喩」(『国家』第7巻514~)について語る場面というのがある。洞窟のなかで外界と隔てられ壁の影だけを見せられて育った囚人たちが、影を生む炎の光(真理)や影の操り手を知らぬまま、幻影を現実と思いこんでいるという喩え話である。

 《暗殺の森》ではファシズム(全体主義)による大衆操作の暗示として持ち出されるこの古代ギリシア時代の逸話は、映像を通して遠隔地の現実に(すぐ近くの出来事にも)接する、現代社会の私たちの姿を二千数百年前に予言したものともいえる。私たちが知っている「現実」の多くはメディアを通したもので、出来事が起こった現場に自分自身が居合わせ自分の目で見たものではない。そこに生中継など「リアルタイム」の臨場感はあっても、命の危険も体の痛みもなくニュース映像で見るのは、戦争や大災害を実際に自分が経験するのとまるで違う体験であることはあらためて強調するまでもない。

 映画やビデオもふくむ「写真的映像」(フォトグラフィック・イメージ)は本来、現実を機械的に忠実に再現するメディアとして発明され、現実をありのままに写し取るといわれてきたが、映像は現実「そのもの」ではなく「再構成された現実」、人工的に作られ操作された「新たな現実」である。だからこそ、アートとしての創造や表現が入る余地があるともいえる。私たちが生きている現実は、時空間連続体、つまり、この場所と今の時間が一体で、同時に別の場所に存在したり、移動の時間なしに別の空間に移ることはできない。時間を逆行して生きることもできない。この時空間一体の現実は切り刻んだり加工したりできないわけだが、いったん映像としてメディア化されてしまえば自由に操作・処理が可能となるのである。

 

映像メディアの「二重の現実」

 

 しかも「写真的映像」には、映像メディア特有の「二重の現実」がある。写真を例にとれば「写真に写された現実」(三次元空間にひろがる現実世界の断片)と「写真という現実」(二次元の感光紙に焼きつけられたイリュージョン像)とが、つねに、二重写しとなっているという事実である。

 写真にくらべ、テレビや映画の映像では音が付き、時間的長さが伴う分、より現実感(リアリティ)も増すが、「二重の現実」という事情は同じと言っていい。映像は活字よりはるかにリアルに現場の状況を伝えるが、フレームで構図を切り取り、ショットと編集で時間を切り刻み、出来事の現場から遠く離れた場所に伝えていることに変わりはない。

 映像メディアの「二重の現実」を自覚的に作品に取り入れた古い例では、革命直後のロシアの前衛的ドキュメンタリスト、ジガ・ヴェルトフのサイレント映画《カメラを持った男》(29年)がある。映画カメラという「機械の眼」を主人公に、当時のロシアの現実と「映画という現実」(カメラ、撮影、フィルム、編集、映画館など映画を生みだし成り立たせるすべてのもの)とを二重の主題として鋭いメディア意識で描きだしている。

 《カメラを持った男》のように、メディアに対する自己認識をもとにして、映画自体を主題としていった映画では、撮影行為やフィルムそのものが作品内に登場し、映画のなかで映画について語られ言及されることになる。こうした自己言及的なメディア意識は、劇映画でもゴダールなど1960年代以降の現代映画にみかけるようになるが、アニメーションやビデオの作品でも撮影・制作プロセス自体を作品に取りこんだものが多くある。これらは、「映画についての映画」という意味で「メタフィルム」と呼ばれている。

 

 

新たに見る手段としての映像メディア

 

 一方、私たちは日常生活のなかで現実世界の事物すべてを克明に見ているわけではない。あまりに日常的なものはかえって正確に思い出すのがむずかしい。たとえば、毎日手にしている千円札の図柄や細部をあらためて思い出そうとしてもなかなか出てこないはずだ。ためしに白紙に描いてみれば、本物にくらべて大きささえかなりずれているのがわかるだろう。

 私たちは日常生活のなかでいつのまにか世界を「自明視」し、すべてを当たり前だと受けとってしまうことで、逆に「ものを見ない」ことに慣れているのである。ある種の芸術家が逆説をこめて、日常的なものの細部を正確に描こうとするのはそのためだ。お札の例でいえば、1960年代の日本で赤瀬川原平が千円札を拡大して描いたりさまざまな作品のモチーフにし(ニセ札か芸術作品かで最高裁まで争われた)、1980年代のアメリカでJ・M・G・ボッグスが百ドル紙幣を克明に模造しそれを実際に使用するといった作品行為(ここでもしばしば裁判ざたとなった)の根拠には、そうした日常性をあばき貨幣の意味を再発見させる意図があった(ボッグスの作品についてはフィリップ・ハースによるドキュメンタリー《マネー・マン》[92年]に詳しい)。

 こうした日常の自明性に対して、写真や映画は「新たに見る」手段を提供する。映像メディアを使って事物や世界をクロースアップしたり時間を圧縮する作業を通して、ふだん見落している「現実」そのものを発見したり分析することが可能となる。

 ドキュメンタリー映画《1000年刻みの日時計──牧野村物語》(86年)で小川紳介は山形の農村でスタッフと稲を栽培しながら13年かけて村の生活を記録し、日常生活とそれを支える考古学的な歴史や文化・風土を見事に重ね合わせることに成功した。その好奇心と熱意でぐいぐいと観客を映画の世界に引き込みながら、「いま生活している地面の60cm下には縄文時代の土器や文化が眠っている」という「現実」をスリリングな形で発見させてくれたのである。

 

 

4. 映像、その不思議な魅惑

 

鏡のなかの世界

 

 私たちは「映像(イメージ)」という言葉をふだん深く考えることなく使っているが、そもそも映像とは何か、人間にとってイメージとは何か、と考えてみると、これは答えのない謎にも似て、考えれば考えるほど不思議なものに思えてくる。

 たとえば、みなさんが毎日何気なく使っている鏡。左右を逆転し現実世界をそっくりに映しだすこの鏡をじっくり見つめながらいったん考えはじめると、二次元の像として存在するこのあべこべの世界(ときに物理学の法則にも反する世界)は何とも不思議に見えてこないだろうか。

 おそらくその魅惑にひかれて、数学者チャールズ・ドジソン(ルイス・キャロル)は『鏡の国のアリス』(1872年)を書き、詩人ジャン・コクトーは鏡を抜けて冥界へ旅する《オルフェ》(50年)をつくったのだろう。そして、イタリアの現代美術家ミケランジェロ・ピストレットはタブローを捨てて「鏡のアーティスト」として鏡に等身大の自画像を描き(ミラー・ペインティング)、生きた空間としての鏡(彼にとっての新たなタブロー)の中に入っていったのである。

 誰もが子供時代に出会う映像的魅惑のひとつとして、合わせ鏡も忘れられない。鏡にもう一枚の鏡を向きあわせると無限に反射しあう鏡の回廊が出現する。これこそ正真正銘の摩訶不思議な世界だ。現実には存在せず鏡のなかにしか存在しない、映像だけの世界。ビデオカメラをテレビに向けたとき現われるフィードバック映像もこれと同じ原理といえる。まるで万華鏡のように、いつまで見ていても飽きないこうした映像は、生き物のような感じさえしてくるが、それはイメージの世界にしか存在しない事象なのである。

 そういうところに、現実とは別の世界への入口があるのだ。つまり、非現実の世界としての「映像」である。映像はただ現実を記録し再現するだけではなく、それ独自の不思議な世界を持っていることはつねに忘れてはならない。あらゆる映像トリックはそこにつながるからである。

 

不思議なイメージを求めて

 

 CGアーティストの岩井俊雄は《デジタル・ポートレイト》(86年)で観客の顔をビデオカメラに捉え、それをパソコンでデジタル化して少しずつ変形し複数のテレビに映し出していく作品をつくった。自分の顔の奇怪な変化をみつめていく楽しさには、凹面鏡や凸面鏡で歪められた自分の姿を遊園地で見るような面白さがあるが、同時にそれは、デジタルな世界での現実の不確かさ、壊れやすさを視覚的に体験させる試みでもあった。

 同様に、映画やビデオの作品でも撮影技術の工夫から、いろいろ不思議なこと、現実にありえないことを起こすことができる。

 黒塚直子のビデオアート作品《箱庭》(83年)では、反射したり素通しになったりするハーフミラーを巧みに回転させて使い、風景を見るという体験がこの小道具の介在でじつに不思議な出来事に変わっていった。

 ハイビジョンの魔術師と呼ばれるズビッグ(ズビグニエフ)・リプチンスキーが《階段》(87年)で、映画史の古典《戦艦ポチョムキン》(セルゲイ・エイゼンシュテイン)のクライマックス「オデッサ階段」の場面にアルティマットによる合成で現代のツアー客(カラー)をまぎれこませたり、《オーケストラ》(90年)でアベマリアの曲にのせて新婚カップルをヌードで優雅に空中遊泳させたりするのも、現実には起こりえない事柄である。

ズビッグ・リプチンスキー《階段》

 伊藤高志の《SPACY》(81年)は、カメラが画面のなかの画面にどんどん入りこんでいくという現実にはありえない運動を生みだした。大学の体育館という現実空間のなかでカメラをさまざまな方向に移動させながら、いったんたくさんの写真に撮影し、それをアニメーションのように連続的に再撮影したのだが、それはまるで鏡のなかの鏡の世界に入りこむような不可思議な感覚であった。

 ドイツの実験映画作家ヴェルナー・ネケスの《フィルム・ビフォー・フィルム》(86年)は、幻燈や視覚玩具から映画誕生にいたるまでの、いわゆる「映画前史」の映像史のプロセスを、作者自身が収集したコレクションを使って丁寧にたどった映画である。私たちはそこで昔の人たちが楽しんだ実ににさまざまな不思議な映像と再会することができる。ジャワやトルコの古い影絵劇から「ラテルナ・マギカ」(魔法幻燈)へ、そして部屋の壁に外の風景を写しだし、観客がそれを眺めて楽しんだ「カメラ・オブスクラ」の見世物、そして19世紀の諸発明をへて世紀末のシネマトグラフまで。今からみれば何ということもない視覚玩具までが、当時はひとびとの大きな興奮を引き起こしたのだ。

 コンピュータ時代の現代にかぎらず、人間はむかしから不思議な映像に魅せられてきた。それは1990年代初めにひとびとがCGステレオグラムに熱中したり、ヴァーチュアル・リアリティに好奇心を動かされたのと同じ本能だったといえる。

 

 

5. アート表現としての映像

 

どこから映像はアートになるのか?

 

 フィルムやビデオは、20世紀のヴィジュアル・アーティストにとってひとつの表現手段、ひとつのメディアとなってきた。たとえば、イギリスに生まれカナダの国立映画庁(NFB/National Film Board)で活躍した天才的アニメーション作家ノーマン・マクラレン (1914-87)は、透明フィルムに直接絵を描くこまかい作業の蓄積から驚くべき抽象映画の傑作《色彩幻想》(49年)を生み出した。「アニメーションとは動く絵ではなく、動きを描き出す行為なのだ」と主張した彼は、職能的なアニメーターではなく革新的なヴィジュアル・アーティストだったのである。

 マクラレンは《ドット(点)》(40年)などで光学(オプチカル)サウンドトラックまで手でアニメーションとして描いたことがある(「アニメーテッド・サウンド」とよばれる)。つまり、ノーマン・マクラレンというアーティストにとって、フレームのなかだけでなくフィルムの端から端まで、メディアのあらゆる領域が表現要素だったということを表わしているエピソードであろう。

 しかし一方で、ふつうのテレビやコマーシャルや劇映画でも同じように「映像」が使われているようにみえる。いったいどこから映像はアートになるのだろうか?

 実際には、現代詩人とコピーライターが同じ「言葉」を用いながらアートとビジネス、無償の個の表現行為とマス社会での利潤追求の経済活動という正反対な方向へすすむように、映像においてもビジネスや産業のためのエンターテインメント商品(マスマーケットと大量消費の優位)とアートとしての映像(脱マーケットの個的な表現行為)とでは、その向かう方向も意味もまるで異なってくる。たとえば、8ミリ・フィルムやホームビデオといった小さなメディアを使うことは、芸術表現としては、単に経済性や簡便さの問題ではなく、マスメディアの画一性に対する「批判」や「抵抗」といった意味を持ってくるのである。

 

アート表現が目指すもの

 

 現代の大量消費社会での物や情報の量の豊かさに対して、アートの表現で目指されるのは別の豊かさである。感性的・美的・創造的などとよばれる、質的な豊かさである。そうした芸術的な体験や出会いはかけがえのないものである。

 詩がくりかえし読まれ、音楽がくりかえし聞かれ演奏されるのはそのためである。アートとしての映像も同様で、マスメディアに乗る映像のような単一の効用的・手段的な意味(たとえばコマーシャルの宣伝効果)には行き着かない。すぐに意味が理解され、ただちにマス(大衆)に受け入れられる単純さとは別のものがそこにはある。詩や音楽と同じように、多様な意味を生みだす答えのない謎のようなもの、一種の「深さ」をもっている。その深さは作者が自身の内的イメージから探しだし紡ぎだすものである。

 コマーシャルやミュージックビデオの映像が何度か見るうち飽きてしまうのに対し、たとえばビル・ヴィオラのビデオアート作品が何度見ても新鮮でありうるのは、こうした理由によるものと考えることができる。

 コンピューター・グラフィクスの場合にも、既存のソフトで可能な図柄をただ作り出すだけならアートとしての創造性など生まれようもない。CGアートのパイオニアとして著名なジョン・ホイットニーは《アラベスク》(74年)で、誰でも簡単につくれる円の形(360の点による)をさまざまに変形したり移動したりすることから流動的・音楽的な運動感を作りだしたが、彼にとってはその思いつきを形にするプログラムを作ること自体が創造であった(Pascalを使ったパソコン用プログラムを彼は自著『デジタル・ハーモニー』で公開している)。

 しかもそうした創造性を支える思想として「ヴィジュアル・ミュージック」という考え方を打ち立て、「映像作品は視覚的な音楽体験を作り出すべきである」として、抽象映像(現実を再現しない抽象的図柄の二次元的イメージ)と音楽の構成原理(ハーモニーや対位法など)の関係を50年以上にもわたって研究しつづけたのである。

 

映像的な思考とは?

 

 ビジネスやエンターテインメントの映像とはちがった、アートの領域での映像表現を理解するには、たとえばこのジョン・ホイットニーが、20世紀の芸術家のひとりとしてコンピューター映像を表現メディアに選んだ理由を、その作品のなかに各自が探ってみなければならない。同じような意味で、数多くの映像作品に接し「映像的な思考」とは何かとつねに考えることである。

 奥山順市は《LE CINÉMA》(75年)で「映画は1秒間に24コマの静止画像でできている」という事実をヴィジュアルに表現しようとした。女性が髪にさわる一瞬の動作を描く24のコマ(1秒分)だけを使い、それをさまざまな配列で見せながら映画の映像が動くメカニズムを実感させ、認識させていくのである。

 《LE CINÉMA》はきわめて理知的に計算されたコンセプチュアル(概念的)な作品でありながら、見る者に知的な発見と興奮を感じさせる傑作であった。同時にそれは、1つのコマ(写真と同じ静止画像)だけでは映画ではないこと、1つのコマから別のコマへと変化・移行・展開することが映画であり、動きはコマとコマの間から発生するものだという事実を、言葉で説明するよりも雄弁に映像で語っているのだ。

 実際、言葉でうまく伝えにくいものほど「映像的」なテーマである可能性が高い。地図や図鑑は言葉よりヴィジュアルに見せるほうがよくわかる。それはなぜだろうか? たとえば、視線というものを文章はどう描写できるだろうか? 映像と現実は違うということをどう映像的に示せるだろうか? イメージと深く関わる記憶や感情はどうだろうか? そして、映像に「できない」こととは何なのだろうか?

 そうした疑問をつねに考える習慣をもつことが作り手にとっては大切である。

 

ⓒ西嶋憲生 2024