作家魂をみせた映像〜Image Forum Festival1995〜 (1995)

 

(本稿は「月刊イメージフォーラム」1995年7月号に"Image Forum Festival 1995"の日本作品評として掲載された。同フェスティバルは1995/4/28-5/7に東京・シブヤ西武シードホールと大阪・キリンプラザ大阪で開催された。)

 

 

 スクリーンの上をフィルムが走る。こちらに向かってすごいスピードでうなりをあげて走ってくる。よく見ればパーフォレーションの形状から8ミリフィルムなのだが、まるで70ミリのような迫力。奥山順市の『ストップ・モーション』だ。この走り来るフィルムを見ていて連想するのはまさに100年前スクリーンの上を同じ構図で走ってきたリュミエールの列車だ。かつて列車が走ったスクリーンを今はフィルムが走る。これぞ映画史100年の"実験映画的"要約といえる。1995年の日本作品の充実ぶりを象徴するにふさわしい初日の開幕だった。

 フィルムは車窓であり、列車と同じく速度を持った乗物だ。スピードが変わると少しずつコマが見え、それが流れたり1コマずつ止まって見えたり、人物が横長に続いて見えたり、イメージを思うまま変幻させる。「複数のコマを同時に見たい」という欲求から発想された『ストップ・モーション』はコマ撮り撮影した8ミリを映写機とスライド映写機に通しパフォーマンス的に映写、それをビデオ撮影しさらに16ミリにキネコ変換して上映された。作品の臨場感は何よりこのパフォーマンス的要素によっている。

 それにしても不思議な作品だ。カメラに交互に手を伸ばす作者と奥さんは何に触れようとしているのか。レンズかフィルムかスクリーンか観客か? それとも映画そのものか?フィルムは走り続けなければならない。後半でストップするとたちまち映写ランプの熱で溶けて焼けてしまう。だがそんなメタフィルム的認識を吹き飛ばすほど『ストップ・モーション』はすばらしい<視覚体験>の旅であった。言葉でなくフィルムで表現を行なう奥山順市という作者の<魂>を充全に激しく伝えた。こんな体験をフィルム以外のメディアでどうやって作り出せるだろう!

 

 伊藤高志『ZONE』も昨年の『THE MOON』に続き気迫あふれる作品だ。室内の幻想だが、その室内にあらゆる記憶やイメージが流れ込み、早送りの夢のように回転し始める。空間から写真へ、平面から立体へ、運動から静止へ、日常から非現実へ、あらゆる境界を踏み越えて首なしのミイラは夢を見続ける。怖ろしさと美しさ、洗練と荒々しさが速度のうちにないまぜとなって、作者はしたい放題を思うままやりとげている。これも単なる<効果>(visual effect) ではなく私的意味にみちた作家の<魂の状態>の造形である。

 ほかにもすばらしい新作が相次いだ。大木裕之の『HEAVEN-6-BOX』にも感銘を受けた。大木裕之の映像には初期から極度に研ぎ澄まされた視線があり、その視線の力によって作品は密度を獲得していた。しかし彼は何も説明せずただ<見る>だけなので、その作品の本質がつかみにくく言語化しがたかった(評判の割にまともな批評が少なかったのもそのせいか)。『HEAVEN-6-BOX』は作者が住む高知の風景や人々を94年9-11月に撮影、セント・ハミンゲンがライブで音楽をつけた(一部は同録音)。6章(6つの「箱」)に分かれたこの視覚の映画=視線の記録が、凡百の個人映画と峻別されるのは作者大木裕之が被写体なり映像なりに自分を投影したり自分探しなどをしない点だ。<見る>ことは同化・同一化とならない。距離は厳然とそこにあり、間には空間がある。そして「私」は視線なのだ。

 そして人物以上に現実の「場」が重視される。高知という場、なかでも彼が「もっとも力を感じる、エネルギーの集約された場」というJR旭駅前広場。映画はたえずこの場に立ち返り、知事の橋本大二郎が、作者自身が、さまざまな人がそこに立つ。意味が説明されるのではない。「場」が映画と視線を構造的に、また精神的に支えているということなのだ。そうした「特権的空間」の映画を作ることに作者は成功した。その結果、私はここに視線の記録以上のきわめてスピリチュアルなものを感じた。より正確に言えば、祈り、あるいは鎮魂めいたものを。地方都市のフレスコ画が美しい寓話に見えてきた。作者の頭の中のイメージ=観念に自足する幻想映画とは対極に、大木裕之はつねに私的でありつつ<外>へ向う力を持続してきたのだ。

 前田真二郎の『L』もよかった。35分のほとんどが字幕である。作品自体とその生成に自己言及する字幕のドラマは「メタローグ」(グレゴリー・ベイトソン/議論の構造がその内容を映し出す形で展開する会話の意)にも似て、つい引き込まれる。まず「私」と出る。「私は光/私は言葉」この投影された文字自身のことだ(題名のL=Light/Language)。「あなたは見ている」これは観客の我々自身だ。この関係の中で「私」が計算された構成で思索されていく。映像ではカメラの視線や視点が「私」となりうるが、視点をもたない光や言葉は映像の主体に本来なりえない。しかしこの「私」は次第に作者とも作品とも重なって巧妙に時間と感情をコントロールしていき、この身体を欠いた観念が次第に実体化していく。つまり作品が感情を伴って実体として動き始めるのだ。最後に字幕は言う。「気持ち」が生まれると作品『L』と「私」は消えた。「気持ち」が「大きな世界という私」につながった、と。大きな世界。<外部>と言ってもいいだろう。

 かつて若き森下明彦はサイレント映像のみでコンセプチュアルな発見を体験させたが、いま前田真二郎は文字だけでそれをやる。いうまでもなくこれは逆説だ。昨今このフェスティバルでしばしば見かける「言葉(ナレーション)に依拠した私探し」映画の批判とも取れる。どんなリアルな「私」でも(『原色バイバイ』で自虐化する村上賢司も『ものごころ』で急性アル中で泣き叫ぶ安藤木聖も)スクリーンの上では映像(光)と言葉でしかない。『L』の観念的ゲームと本質は変わらない。とりわけ「私探し」は探す方も探される方も、撮るのも撮られるのも、つまり探偵も犯人も「私」であるというポール・オースター的状況がある。これは罠なのだ。

 

 審査員のディーター・ダニエルスが「きわめて私的な自己省察(very personal self reflection) の強い傾向」と呼んだ、若い作家たちの制作の動機、自分の閉ざされた殻から脱出したい、というほとんどセラピー的な動機が自己探究を押し進める限り、それは家庭内暴力にも似て自己演技が暴力的に、過激になるのは必然である。大賞を受賞した長屋美保の『海の花』は祖母や恋人を含めすべてを「私」を映し出す(確認する)鏡にしたような作品で、自分をさらけ出し見せつける切実さがある。同時に一種の強引さも感じるが、村上賢司や長屋美保のダイレクトなスタイルは芸術上の形式や様式である以前に、彼らが置かれた社会的・家庭的・環境的な条件へのエモーショナルなリアクションといえる。

 ダニエルスが「ダイレクトに政治的な作品は一本もなかった」と驚いてみせたように、今の日本では現実への反応力が衰弱する一方、過剰に私の探究に敏感である。しかもそうした若い作家たちは隠遁したいのではなく暴力的にでも殻を破って<外>に到達したいのだ(自分にとっての自然=解放としてのヌードへの欲望もその現われ)。彼らの切実なエモーションに打たれつつも息苦しいのは、「私」の特殊性を普遍化できず、世界(あるいは<外>の他者)とコミュニケートする私的な「メタファー」も発見しえないため、イメージをメタファーとして使う距離が持てないためと思われる。「自分に向けてカメラを回し、あるいは他人に撮らせ、その映像を自分で編集するということは、おのずと自分を虚構化する作業が含まれてくる。そのことにもう少し自覚的であれば」とカタログで大竹昭子が指摘する通りだ。

 若い作家の自己探究・自己確認(そして自己肯定)と老練な鈴木志郎康の『角の辺り』の違いはそこにある。家から一歩も外へ出ないこの作品で「たえず自分を確かめないではいられない」と作者は自分を撮影するが、写せば存在証明になる訳でもなく日常の肯定でもない。そこにはつねに自分を奇異なものと見る視線(距離)がある。映画・撮影とは「対象を探し関係を作ること」「時間を関係に置き換えていくこと」と作者に認識される(前作『時には目を止めて』)。映像は現実を記録するというよりメタファーとして慎重に選ばれ、近年は「花」シリーズといえるほど自宅の花々が作者の日々の意識の重要なメタファーとなっている。

 メタファーによる表現としては、女性作家たちの魅力的な諸作、上岡文枝『谺(こだま)−海月の塔にて』(クラゲと死のモチーフの結合は成功していないが充分な密度がある)、岩田知子『シェヘラザード』(死の幻想と老女の生々しさ)、羽田明子『The Leap(No Leap) 』(波・緊縛・月などすべて女性的身体性のメタファー)、乙部聖子『星を呑み込んだ話』(自分の妊娠や胎児を生死のメタファーとして思索)が好例といえる。

 昨年12年ぶりに復活した『映像書簡』(萩原朔美+かわなかのぶひろ)の六作目は萩原朔美の父の死をめぐり二人の間で映像と音が交わされた。ともに父親と縁の薄かった二人が、私探しならぬ父探しどころか、この年齢でなお父親殺しをしている印象を受けた。前作で寺山修司の死を親密に回想した二人だが、実の父となると峻烈である。家族とは奇怪な物だ。今回は旧作(『映像書簡2』『4』)や古い8ミリ(父の遺品フィルム、友人の撮ったショット)が多く引用され、これを見るうち、このシリーズの重点が書簡(イメージの交換)以上に映像に「文脈を与える」試みではなかったかと気づいた。映像は文脈によって異なる意味や感情を生む。20年前の川口の風景は『2』では私が通った映画館の町だったが、『六』では「父の死んだ町」である。同じ風景でも文脈が変わる。『六』ではすべての映像が(見知らぬ人々までが)「父の死」という文脈を与えられ読み直されつつ展開する。あるとき無意識に撮ってしまった映像がそうして再解釈される。そんな映像の働きをこのシリーズは強調してきたように思う。ただ1-4と再開後の5・6では明らかに異質なので結着編として7も見たい。

 

 ほかにも、その不可解さに唖然とさせられた手塚眞の『NUMANITE』(35ミリ・ビスタの濃密な映像といかにも絵空事の物語のアンバランス・乖離は一体なんだろうか?)など書きたい作品はまだまだあるが紙数が尽きた。最後に黒川芳信の復活を祝したい。『野蛮の書』は『日刻』(89年)以来の力作だ。これまで自分が撮った様々なフィルムやスライドにまさに新たな「文脈」を与えた試み。過去のフィルム(屍体?)を自由に再生し、自らを鞭打つように作者をも再構築する。人体・皮膚と大地・地表といった対比的モチーフを<見る>ことの始原に遡って「世界のメタファー」にまとめ上げようとした。サイレントだが、ライブで音をつけたりさらに解体したりというプロジェクトの展開もあるそうだ。

 思えば15年前、創刊直後の本誌[月刊イメージフォーラム]に「第5回アンダーグラウンド・シネマ新作展」の作品評を書いた頃に比べ、映像表現はあきらかに別の表情を持つに至った。禁欲と洗練と形式の世界から荒々しいまでのエモーションの表出、言葉・ドキュメント・諸メディアの混在へ。はるかに自由で多弁で多様になった。「私」の探究がかくも主題化されるとも思わなかった。一くくりにはできないが確実に90年代半ばの表現がここにある。作家の数も観客数も年々増えている。この15年間、いや20年、25年の道のりを手探りで歩んできた作家たちすべての努力に敬意を表したい。

 

©西嶋憲生