和田淳子の映像と身体(1998)

 

(本稿は、1998年4月にかわなかのぶひろ責任編集で刊行された『映像』創刊準備号[イメージフォーラム発行]に掲載された。『映像』はこの号しか刊行されなかったと記憶するが、この25ページに及ぶ「女性映像作家「私の中の私」特集」*はこの時期におけるきわめて重要な特集であった。)

*取り上げられた作家は以下の11名(カッコ内は執筆者名)。竹藤佳世(インタビュー)、才木浩美(村山匡一郎)、河瀬(仙頭)直美(深田独)、上岡文枝・三浦淳子・歌川恵子(鈴木志郎康)、和田淳子(本稿)、長屋美保(金井勝)、寺嶋真里・大月奈都子・馬野訓子(松本俊夫)。

 

 

 和田淳子(1973年生まれ、獅子座)は90年代半ばの映像シーンに突然登場した。

 18歳まで青森で育ち、東京に出て文化服装学院ファッションビジネス科に学んでいた彼女は、1993年夏にイメージフォーラムのビデオ・ワークショップに参加(かわなかのぶひろ指導、グループ制作)。その後「自分自身の作品を作りたい」という思いからビデオと三脚を買い、独力で映像作品を作り始める。『閉所嗜好症』(93年,6分)はほとんど初作品だが、イメージフォーラム・フェスティバル1994に入選、作家としてデビューした。審査員のトニー・レインズはその「ニューロティックな狂気」には「測れないものを測ろうとし、割り切れないものを割り切ろうとする行ないの(極めてウィットに富んだ)狂おしさがある」と指摘した。[1]

 フェスティバル応募と同時にイメージフォーラム付属映像研究所に入った彼女は18・19期(94年4月〜96年3月)と2年間通い、主に8ミリ映画で課題や卒業制作として『アイスクリーム38℃』(94)『桃色ベビーオイル』(95)『アスレチックNo.3』(同)『パパイヤココナツ激情』(同)『愛の少年教室』(96)等を次々制作。つかみ所がなくのんびりした風貌ながら作品となると力強く、足早に新境地を切り拓く意気込みに満ちていた。

 なかでも95年の卒業制作『桃色ベビーオイル』(16分)はイメージフォーラム・フェスティバル1996で大賞を受賞、海外でもたびたび上映されることになった。本稿では『閉所嗜好症』と『桃色ベビーオイル』を和田淳子の代表作として取り上げ、そのスタイルや手法の特徴を分析したい。

 2作とも女性のヌードが重要な視覚的モチーフとして登場する。すでに80年代から女性映像作家は身体、とりわけセルフヌードを自己表現の表象として使い始め、90年代にその傾向は一層顕著になった。ヌードには、女性美の理想化やエロティシズムといった絵画・写真における古典的文脈、60年代の性の解放という文脈、ダンス・パフォーマンス・舞踏の身体表現の文脈、70年代以降アメリカでの女性性の賛美としての身体というフェミニズム的文脈などが錯綜するが、この日本の女性映像作家のヌード・身体の今日的意味や文脈(情報消費社会の欲望と身体、ナルシシズム等)は深く考察されてきたとは言えない。[2]

 『閉所嗜好症』の身体(セルフヌード)は、過剰で同語反復的な一人称ナレーションで増殖する欲望を語り続ける「私」を表わすものだが、それが裸であるのは、身体に閉じ込められた隠された欲望がテーマだからなのか、その欲望が未分化だからなのか。

 作品は空から始まる。空の雲。「切り抜きたい切り抜きたい、閉じ込めたい閉じ込めたい」という呪文のような声と共に、雲は写真になり、写真がハサミで切られガラス瓶の中に閉じ込められる。「閉所」と題名にあるが部屋らしき部屋(密室)は出てこない。出るのはまず空、そして透明な瓶とヌードの身体なのだ。『桃色ベビーオイル』冒頭にも「あの雲が落ちてきたらどうしよう」というナレーションがあるが、空や雲を開放・広がりではなく閉塞し落下する天蓋と感受するのは作者特有の感覚なのだろう。

 「私」の「閉じ込めたい」欲望は「測りたい、切り抜きたい、切り取りたい、閉じ込めたい、フタ閉じたい、フタしたい、フタしてみたい」と増殖を繰り返し、何度もドアが閉じチェーンがロックされ、瓶に入った私の顔写真が写った後「閉じ込められたい」と主客転倒する(画面は空のバスタブに入るヌード)。続いて自分の身体の部分をさまざまな定規や測定具で測り「もっと一杯測ってみたい、フタしてみたい、切り抜きたい、切り取りたい、閉じ込めたい」と繰り返すうち再び「閉じてほしい、何時間でも測ってほしい、もっともっと閉じ込められたい、切り抜いてほしい」と逆転する。と、不意に「フタしたり閉じ込めたり測ってみたいって思うでしょ?」と観客に呼びかけたりする。

 「私」は閉じ込めたいのか、閉じ込められたいのか? その増殖し反転する欲望を実に巧みに迷路的に描き出していく。論理でなく欲望(妄想)の速度とリズム。私と世界の関係は「他者」を(家族も)欠いたまま堂々巡りを繰り返し、ただただ欲望を自己創出し増殖しては消費している。そんな「閉所」の妄想について作者自身は「青森県では<時間を潰す>ことができたが、東京では<時間に潰され>ている自分と対面したときの<東京的マゾヒズムに溶けてゆく快感>を再現するため、この作品を制作した」と書いている。[3] これは彼女なりの都市論であり、そこにポツンと置かれた裸の身体が「私」なのだ。

 一方、『桃色ベビーオイル』はその題名にセクシュアリティと幼児性のアンバランスがより明確に暗示される。「あの雲が落ちてきたらどうしよう、あのビルが倒れてきたらどうしよう、歩道橋が崩れ落ちたらどうしよう」という不安神経症的ナレーションから始まり、赤いコートの女性が幼児のように指をしゃぶる。今回は部屋(女性限定のオートロック1DKマンション)の育む妄想がテーマだ。もう少しで20歳の主人公は「まだまだ子供でベビーオイルの肌触り」等と妙に子供っぽくしゃべり続け、ワンルームの部屋は「広くて広くて広すぎて、もっともっと狭くなったら私が大きく見えるはず、大きな私になれるはず」と言いながら、ふと「大きくなったらどうしよう」と不安になり「この間あの人に好きって言われたの、明後日あの人に抱きつかれたらどうしよう」と突然「他者」(への幻想)に言及する。そして主人公がヌードになり「閉じ込められた私の体は大きく大きくなりすぎました」と『閉所嗜好症』の連想から、出窓に近づいて「もうすぐ男の人の匂いがする」とセクシャルな妄想へと進んでいく。

 と、話題は急に「2年前爬虫類を飼うのがブームになったらしいのです」と転換する。「爬虫類の鰐です。今になって大きくなりすぎて手に負えないらしいのです。大きくなりすぎて凶暴らしいのです。大きくなりすぎて、大きく大きく大きくなりすぎました。大きくなったらどうしよう」。[4]  この間カメラは室外から、ヌードの主人公を出窓ごしに捉え、彼女は足や顔を少しづつ「外」に出す。このシーンの言葉と映像の関係もペットの鰐と主人公の欲望の関係もきわめて比喩的で、和田作品の特徴をよく示している。

 狭い室内でヌードがさまざまなアングルからスケッチされる。と同時に、部屋が身体化する。「私の家の壁紙は滑らかで、もっと肌理が荒かったらあなたの肌と同じはず」。その一方で「大きくなったらどうしよう」という妄想の反復はヌードを2人(分身)に増殖し、2つのヌードが胸を突き合わす。そして唐突な観客への問いかけ。「あなた、妊娠したことありますか?」水の中の唇、おへそに溜った水がこぼれる。文字通り水際立った演出ぶりだ。

 このあとヌードの妄想は「頭の中がピンク色、頭の中がピンク色」と繰り返す。最後にシャッターが開き、2人の女性は手をつなぎ街へ出ていく。「大きくなったらどうしよう」という不安を残したまま。

 この「私」は作者の自己告白や日記ではなく、フィクション化された「私」だ。肥大化したペットの鰐というアイデアを核に、部屋と身体を通して都会で一人暮しする若い娘の「無意識」をドラマ化しているのだ。「男性中心的視点に対して罠を仕掛けて逆転させるような語り口」(鈴木志郎康)[5] は『閉所嗜好症』と通じるが、身体の使われ方は対極的に見える。ここでは性的妄想が身体(と室内)から溢れ出すが、『閉所嗜好症』ではセクシュアリティを欠いたモノ的な身体だった。それだけに両作品は互いを映し合い説明し合うような相補的関係で社会や秩序に収まりきらない無意識や自我を描いているとも見える。

 この後、和田淳子は物語や寓話を導入したり別の方向を探ろうとするが、この2作品こそ彼女の原点であり独自な方法である。そこをさらに深め追求しながら90年代ならではの表現を磨きあげていってほしいと思う。

 

©西嶋憲生

 

(補記)和田淳子の『閉所嗜好症』と『桃色ベビーオイル』(ともにオリジナルは8ミリフィルム)は国立映画アーカイブにデジタル保存されたと聞く。


[1] 『IFF1994カタログ』選評

[2] 小口詩子「女性映像作家の描く裸」(「月刊イメージフォーラム」1992年11月号)が多摩美上野毛校の作家たちを取り上げて分析したのが、新しい文脈の提示として印象的だった。また同じ作家たちをさらに詳細に論じた論文に林智明「身体から映画へ」(『多摩美術大学研究紀要』第11号、1996年)がある。

[3] 『IFF1994カタログ』自作解説

[4] イメージフォーラムでの個展(1996年11月)の作者解説チラシによれば、このワイドショーの話題から作品が着想されたという。

[5] 「月刊イメージフォーラム」1995年7月号、 pp.78-83、鈴木志郎康「イメージフォーラム付属映像研究所第18期卒業制作展 自分を語るところに強さが出た」