コレクティフ・ジュヌ・シネマの思い出

 

「コレクティフ・ジュヌ・シネマ」(Collectif Jeune Cinéma、略称CJC、"若い(新しい)映画の集団"といった意)は、パリの実験映画上映団体(作家集団)で、1975年初めに何度かレアな作品を見に行ったのだが、驚くことに今でも存在しているようで、ネット上でホームページやfacebookのアカウントなどを見つけることができた。

 

 

 

 

 

 

 

1971年創設で50周年を超え、シネマ・ディフェラン映画祭FCDEP(Festival des Cinémas Différents et Expérimentaux de Paris)を主催している。シネマ・ディフェランとは、実験映画とほぼ同義だが「別の映画」「異種の映画」などと訳され、マルグリット・デュラスの映画などにも使われる言葉。

2022年4月にはニューヨークのアンソロジー・フィルム・アーカイヴスで"50 Years of Collectif Jeune Cinéma - Where is your Body ?"という記念プログラムが上映されたようです。

 

私は1974-75年にかけてパリに滞在し、午前中は語学学校アリアンス・フランセーズに通い、午後は(時には料金割引の午前も)サンミシェル界隈の映画館へ。6区のシェルシュミディ(71, rue du Cherche Midi)に住んでいたので、よく行ったのは主に5区6区、徒歩で行ける名画座・アートシネマ(アール・エ・エッセイ)で、サンタンドレ・デザール、アクション・クリスティーヌ、パンテオン、サンジェルマン(ヴィラージュ)、ステュディオ・アルファ、キュジャ、メディシス、ル・セーヌ、リュクサンブール、ジ・ル・クール、ラシーヌ、ラ・クレ、アクチュア=シャンポ、シャンポラン、等々へ連日見に行っていた(帰国時に半券を全て捨てたのが惜しまれる)。

 

あるいは、15時18時半20時半22時半ときに24時半に上映のあったトロカデロのシャイヨー宮のシネマテーク(フランセーズ)へ。まだアンリ・ラングロワ(1914-77)が存命中で、大きなコートに身を包み時々上映前に現れては"Mes enfants,…"と話し始めたり、来場した監督を紹介していた。ここで村山匡一郎氏と出会ったのは75年2月、スーザン・ソンタグの「ブラザー・カール」の上映回だった。上の階(プティットサル)でやっていたジガ・ヴェルトフ関係の集中上映でも会っていたはずだが、その辺の記憶は曖昧だ。その上映は床に座って見たような気がする。

 

シネマテークの深夜上映で巨大なスクリーンでケネス・アンガーを見たのは特別な体験だった。当時のシネマテークはスクリーンに暗幕がなく、壁にフレームをトリミングなしで映していた(ラングロワの考えだったと思う)。アンガーは1950-62年のパリ滞在期(一種の亡命時代)にコクトーやラングロワの世話になったのでシネマテークに彼のフィルムがあったのだろう。メトロが終電を過ぎていたので知らない人のバイクに乗せてもらって帰ったことも忘れがたい。

 

私のパリ滞在の後半で、コレクティフ・ジュヌ・シネマの実験映画上映会を見つけ、ときどき通うことになった。当時は11区の6, passage Charles Dalleryで、映画館ではなく普通の建物の広めの部屋かホールだった(のちに長期滞在したrue Pasteurからわりと近かったようだ)。メトロはルドリュ・ロランで降りた記憶がある。あるとき来週はタカイムラをやりますという告知で言っていたので何のことかと思うと、当時ご夫婦でパリに滞在していたタカ・イイムラ(飯村隆彦の海外呼称)のことだった。飯村昭子さんはアリアンス・フランセーズで私の友人と同クラスだった。

 

ここでマヤ・デレンの「午後の網目」やジャン・ジュネ、ブラッケージの「幼年期の情景」を初めて見たのを覚えている。私がここで帰国前の最後に見たのがジャン=ポール・デュピュイの「街々のアルルカン(道化)」L'Arlequin des Ruesだったと思う(デュピュイは70年代後半にクロード・ブリュネルと共にコレクティフの中心メンバーだったようだ)。その時のチラシが残っていたので、その週の上映リストを記録として下記に訳しておきます(普通は週1,2回だったはずなので映画祭的な特別上映だったのか?)。このうちいくつかは後に「フランス実験映画の30年」(1983年11月スタジオ200、東京日仏学院)でも上映された。

 

現在はパリ北部の郊外サン・トゥーアン・シュル・セーヌを拠点にしているようで、いまシネマテークとして使っている"Mains d'Oeuvres"は1, rue Charles Garnierとある。

 

(当時のパリには、他に実験映画関係で"Paris Films Coop"[マルテディとボナミが設立]や"Coopérative du cinéma marginal"といった作家集団があったようだが、どういう活動をしていたのか触れる機会はなかった。現在よく知られる"Light Cone"は81-82年にヤン・ボーヴェらが設立。ボーヴェはParis Films Coopに所属していた。)

 

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(以下、タイプ打ちの当時のチラシの翻訳)

コレクティフ・ジュヌ・シネマ

「スペシャル・ヌーヴォーシネマ・フランセ・アンデパンダン」(フランスのインディペンデントな新しい映画特集)

1975年3月10日-16日、毎回20時30分から(土曜のみ17時から)

 

3/10(月)「街々のアルルカン(道化)」ジャン=ポール・デュピュイ

     ツーロン映画祭1974審査員特別賞

3/11(火)「ヤブエ」ドミニク・アヴロン

    「M.M.」クローディヌ・エジクマン&ギィ・フィマン

    「フランス・ソワール」ギィ・フィマン

    「ウルトラルージュ、アンフラヴィオレ」ギィ・フィマン

     (赤外線infra-rouge紫外線ultra-violetをもじったタイトル)

    「V.W.ヴィテス・ウーマン」クローディヌ・エジクマン

     クノッケ実験映画祭1974審査員特別賞

    「連続した線」ペーター・スタンペリ

3/12(水)  セレクション・スーパー8

    「Intervu Examiné」ロドルフ・ブクレル

    「メインライン」「アスナヴィラム」「難船が現れた」ミシェル・ビュルトー

3/13(木)「Ex(エクス)」ジャック・モノリ(カメラを使わない映画)

    「1,2,ST,LTR,TWC」ジョヴァンニ・マルテディ

    「アルジェリア、カラー」ジュフラ(ヂュウーラ)・アブーダ&A.ボナミ

    「シネ・シテ」D.アブーダ&A.ボナミ

3/14(金)「窓からのまなざし」アハメット・クット

    「プレゼンス」アントニエッタ・ピッツォルノ&ピエール・ロヴェール

    「空間」「ブランク&ライト」「レッドライト」「R.J.B」ピエール・ロヴェール

    「運動リュミエール 持続リュミエール」「断片映画」パトリック・ダラブル

    「空間的物体」ペドロ・デ・アンドラード

3/15(土)「ママの目は星」ジャック・ロビオル

3/16(日)「公園」

    「裸の男」「栄光の源泉」「反芻する牝牛」ジョルジュ・レイ

    「差異と反復」パトリス・エナール

    「プロフィール」ミシェル・フェスレル

    「ペイザーム」ステファヌ・ドス

    「検閲済 No.X」ピエール・クレマンティ