ふっと頭をよぎるイメージ  かわなかのぶひろの映像世界

(本稿は、イメージフォラムフェスティバル2021における「フィルムメーカーズ・イン・フォーカス かわなかのぶひろ特集」のために同フェスティバル・カタログに書かれたもので、その後、2022年5-9月に前橋文学館で開催された「かわなかのぶひろ展 日常の実験・実験の映像」に合わせて出版された「日常の実験・実験の映像」<イメージフォーラム、2022>にも再録された)

 

 

「映画っていうメディアは、ふっと個人の頭の中によぎるイメージみたいなもの、そういうものを無造作に羅列するだけでも、大きな意味があるのではないか。(…)たえずふっと過去の断片が脳裏を横切る、子どもの頃から何かそういう風なイメージに惹かれてきたんで、そういう面からの映画っていうものも重要なんじゃないかと思ったわけね。」(「月刊イメージフォーラム」1993年7月号)

 

 かわなかのぶひろは日本の実験映画史、とくに1970-90年代の最も重要な作家の一人で、その作品も活動も多岐にわたる。

 フィルムと並行してビデオアートを手がけた先駆者、実験映画のオーガナイザー・啓蒙家、重要な書き手・編集者・出版者、そして教育者であり、個人的作品の上映の意義を説き続けた上映者である。その人物を知るには、独学者で愛書家、なかでも冒険小説の愛読者、幼少期からの映画マニアで石原裕次郎の大ファンといったことは外せない。つねに8ミリやビデオの小型カメラを持ち歩き日記を撮り続けるダイアリスト。2017年には初めて「実験映画」分野で文化庁映画賞映画功労部門を受賞した。

 こうしたかわなかのぶひろの業績や作風を短くまとめるのはたやすくないが、最近刊行された『日本映画作品大事典』(山根貞男編、三省堂)でそれを試みたので引用したい。

 

「1960年代半ばにアメリカのアンダーグラウンド映画の影響を受け、日本の実験映画運動の中心人物となる。70年代前半は16ミリで『PLAYBACK』(73)『FEEDBACK』(73)など映画のメカニズムや構造に目を向ける作風だったが、フィルムと記憶を結びつけた『スイッチバック』(76)の後、萩原朔美との共作による『映像書簡』1-11(79-2010)などでは記憶と感情を豊かに表現する。その後も8ミリの日記を素材とした大作『私小説』(96)のように日々撮影した映像日記を基にした作品が多く、詩的映像による感情表現を追求し続けている。これまで100作以上の作品を手がけるが、近年は自伝的な『いつか来る道』(01)や『この1年part1,2』(06-07)などパーソナルドキュメンタリーに接近している。(…)」

 

 作品が物語性や言語から離れ視覚性が重視された70-80年代に「自分らしい表現」を求めてコンセプチュアルで構造的な作風と日記的でエッセイ的な作風を統合し、無意識や記憶に深入りすることであてどない未踏の領域に踏み入った。『映像書簡』から『Bふたたび』『私小説』へ、あるいは10数台の映写機を使うライブ上映パフォーマンス『つくられつつある映画』へ。そこに現れるのは、混沌としたイメージをさまよう「記憶の人」の姿そのものである。

 いみじくもプルーストは長大な『失われた時を求めて』の終結部で、記憶は自分の脳内に広がる豊かな鉱地だが、自分がいなくなれば「この鉱石を採掘できるただひとりの鉱夫が消えてしまうばかりか、鉱脈そのものまでが消えてしまう」と書いた。この孤独な鉱夫の仕事こそがかわなかのぶひろの全作品に他ならない。

 

©西嶋憲生