おはようございます(・∀・)
のりおマンです( *・ω・)ノ
今回は石岡のお祭りは最後まで熱覚めぬ編をお送りします!
石岡のお祭り最終日、街中での巡行を終え会所に戻ってきた國分町の山車・・・
山車の提灯に年番提灯が付けてありました!
しかし、会所に戻ってきても獅子も山車もお囃子を止めません!
時間の許される限り、お囃子は続きました。
そして会所到着から30分後お囃子が止まり、國分町祭典委員長さんから締めのご挨拶を受けて2018年のお祭りは終了しました・・・
祭典委員長さんの手に持っているのは、常陸國總社宮から渡された「年番引継書」です。
昨日の記事にて説明していませんでしたので、改めて年番について説明させて頂きます!
石岡のおまつりは、毎年交代で務める「年番町」を中心に行われます。
年番は15年に一度の輪番制で、年番町に当たる町は、おまつり最終日に前年番町から引継ぎを行い、翌年のお祭り最終日に次の年番町に引き継ぐまで1年間、町ぐるみで神社への奉仕活動を務めます。
明治20年(1887年)に4組の年番制が導入され、明治35年(1902年)には現在まで続く年番制度が確立しました。
現在の中心市街地にあたり、当時の石岡町を構成した森木町、大小路町、土橋町、金丸町、守横町、冨田町、仲之内町、宮下町、青木町、幸町、國分町、中町、若松町、泉町、香丸町、木之地町の16町が各年交代で。その年のおまつりをつかさどる当番となります。
なお木之地は1952年(昭和27年)に年番を辞退し、現在は15町内になりました。
「おまつり」期間中は、年番の町内に「仮殿」(地元では「おかりや」と呼ばれる仮設のおやしろです)を設けて、初日の「神幸祭」で総社宮から大神輿が渡御。
最終日の「還幸祭」で大神輿が還御するまで、御分霊(常陸國總社宮の祭神の分身)の2泊3日の市中滞在拠点となり、その年のおまつりの中心的な役割を果たします。
また神輿をかつぐのも年番町の若者の役割です。
と、言うことです。
正に15年に1度の大役を任されたのであります!
お祭りが終わった瞬間、年番は始まりました・・・
年番を経験するのは今回が3回めですが、過去2回は子供でしたので大人になり尚且つ世帯主になってからは初めての年番となります。
果たして来年のお祭りが終わるまでどんな事をやり、そして起こすのか楽しみですねp(^^)q
来年のお祭り・・・楽しみに待ちたいと思います!!(o⌒∇⌒o)
あっ!後お知らせが2つありまして・・・
1つは、石岡のお祭り還幸祭その①昼の部編にて、文章に誤りがありました。
木ノ地町と書きましたが、正しくは木之地町となります。
既に訂正してありますが、町内名を間違えてしまいすみませんでしたm(_ _)m
2つめは、お祭りではなく草野球秋季大会の話しでして、16日に試合が行われる予定だったんですが、相手チームが棄権してしまいまして不戦勝で準決勝進出が決まりました!
2季連続のベスト4入りです!!
準決勝は23日に行われまして、勝てばその日の内に決勝戦も行われます。
夏は準優勝でしたので、秋は優勝したいですね!p(^^)q
以上で2018年度石岡のお祭りのレポートを終了します!
しかし、今年のお祭りを振り替えると波乱に満ちたお祭りだったなと思いました。
初日巡行中にヤ◯ザやさんに声をかけられたり・・・
町内で言い争いがあったり・・・
2日めには、獅子小屋の足回りが破損して、夜巡行出来なくなったり・・・
極めつけは、天気予報が外れた事!
雨が降り雲って晴れないでしょうとの予報でしたが、見事に晴れやがった(笑)
まぁ~なんだかんだ今までのお祭りの中で、一番印象に残ったお祭りになった事は間違いないでしょう(;^_^A
さて次回は、草野球秋季大会の結果報告になるかと思いますので、次回もよろしくお願いしますm(_ _)m
なお、茨城県のら~めんを食べ歩きまっしょい!は、なんとか9月中に再開出来るよう食べ歩きしますので、読者様の皆様もうしばらくお待ち下さいm(_ _)m
どうせつまらん記事だろうと思っていても楽しみにお待ち下さい(笑)
では今日はここまで!!
次回もお楽しみ下さいm(_ _)m