ローマを去る  ー7ー


あんた、封も切っていなかったよと前の日付の手紙を抜いて渡してくれた。


同時にポンと煙草の箱を私に投げて、私は震える手で一本抜いて火を付けて貰っても味もわからない程口の中は渇いていた。


私は今度は数枚にぎっしりと詰まったフランス語の手紙をむさぶる様に読んだ。


その後暫く二人とも何も言わずに煙の行方を追って、時々扇風機で搔き消える煙を見ていた。


彼は電話を何処かにかけて、暫くすると、若い、如何にも警察の雰囲気にはそぐわない、柳腰のイケメン刑事が、私の所有物、リュックサックから全てをカートに載せて入って来た。

喋り方で彼の性傾向がもろ分かる。


私が座ってる机の上にポイとリストが付いている確認書を置いて全部チェックして、体を寄せて来て、ねえ、ここ、ここにサインねと私に言う。

尻は机に乗せて。


その若い刑事の顔を見て言い方を耳にし横に迫る尻をみた途端に怒りが突然私を襲って来た。


しかし何も言わずに全部をチェック。

若い頃の私は瞬間湯沸かし器が尻尾を巻くぐらい短気で手が早かった。

私は震えながら自分を必死で抑えた。


本来なら最初に渡す時に作られて当然のリストは無く私は署名していない。


つまり後はこいつに因縁をつけて金を取った方が勝ちと私は瞬時に判断した。


つまり意図しないただ飯 のついでにパリまでの汽車賃をこの野郎かイタリア政府から踏んだくろうと決心。


こっちは恋人に別れを告げられたばかり、これは3週間前に分かってなければいけなかったが、でどうにでもなれとの恐いものなし。


しかも誤認で拘留されていてその間に恋人にも捨てられたと、その部分は自分をマインドコントロールにかけて、それが事実と信じ込んだ訳だからここでひと暴れをしても良いところ。


幸いにして二、三点有った物が実際に無かった。その中には登山ナイフ。これは私の護身用でもあり外で料理をする為の必需品。


私は怒りを押さえて、大事な登山ナイフ、その他二、三点を挙げながら、もともと空の財布を広げて、中身は何処に有るか、と静かに質問をした。


若いのはナイフの指摘で当惑顔を表していたのでもう勝負はこっちのもの。

中身は何処?と畳み掛ける。

財布の中身は知らないと平然と答える若造。

私は、これは、財布って言わないの、財布っていうのは中に金が入っているのを財布って呼ぶの、これは元財布であったものとごねた。


大体、イタリアの警察署での押収物の「紛失」がよく有る事は分かっていたので若いのが困った顔で、上司の刑事に何かぶつぶつ言い始めた時にはもうパリに無事に戻れるとの確信は得た。


その馬鹿が私に空港の入管検査所に訊きなさいと言った途端にその上司刑事の怒りが爆発。

いきなりテーブルをドスンと叩いて若いのをこの糞ったれがと罵り出した。



上司刑事はこれはイタリアが負うべき恥と愛国心を傷つけられたところにこの馬鹿な発言で蒸気釜が破裂したのであろう。

私のどうしようもない抑えてる怒りを感じたのだろう。


然も、前に座ってる日本人は入管検査の阿保どもが送って来た被害者。


職務柄、束になったリスボンからの手紙は一晩かけて全部読んだがもうとんでもないラブロマンス小説。

最後の落ちで彼は可哀想に捨てられた。

そんな気持ちも有っての怒りだったんだろう。


私も多少イタリア語は理解出来たし学校でイタリア人同士が冗談で言い合っていた口には出来ないのを憶えていたので若造に強烈なものを一発かましてあげた。


フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語などのラテン語はこの様な罵り語は数多くあり、ちょっと語尾を変えるだけで通用するから便利。

私もレパートリーは広かった。


上司刑事はああ言ってくれたと言う顔、若いのは顔が紅く引き攣ったので効果は充分有った様だ。


若いのは調べて来ますと直ぐに駆け足で部屋を出て行ってしまった。


取調の刑事は、私に向かって幾ら入っていたのかと尋ねたのでパリに戻る汽車賃とホテルに一泊し食事が出来る程度の少額だが使わずに財布の奥にこうして押し込んでいたと答えた。


実際に財布に入っていたのはチュニジア通貨の海外では使えそうもない

5円相当か、ボロボロの汚れた紙幣が二枚。これは無事に残っていた。


私はこれが奇跡で増えていないか旅行中、何度も財布から出しては広げては溜息をつき畳んではいれなおしていたので番号も覚えたぐらい馴染んだ友になっていた。でもつかえても10円程度で隣国リビアでも使えなかった紙幣。

しかしこの土壇場でどうやら奇跡が起こることを強く感じた。


刑事は電話を何処かにまた掛けて色々と喋っていたが、今度は別の刑事が段ボール箱を抱えて入って来た。


刑事2人は何事か喋りながら、段ボールから白い粉が入った袋を2、3個取り出して横に置き、ピストルだ弾薬だのが入った透明の袋も取り出して、奥からずた袋を取り出すと中から色々な種類の札を引っ張り出した。


私も彼らが何をしようとしているかが直ぐに分かった。

要はその段ボールの中身は麻薬密売捜査で押収したての証拠品に違いない。

しかも未だ未整理の物。

この中から私に旅費をひねり出してあげようという事のようだ。

もう少し吹っかけて置けば良かったと後悔をした程の国際色豊かなお札が大量に並べられた。


彼はリラとフラン紙幣を数えもせずにポケットに突っ込むと、私の荷物を全部リュックサックに入れさせて私と2人で警察署を出て近くのレストランに入った。


レストランは警察の常連さんの溜まり場のようであちこちから彼には声がかかっていた。


彼はこれが良い、あれが良いと食事を勧めてくれて、ワインも一本開けさせた。


そして、私に此れから何処に行くんだ、パリかリスボンかと、訊いた。


私は、パリ以外にないでしょうと。


昨夜、夕食の後で、あんたの彼女、そうルイザからの手紙を読み始めたんですよ。

役目柄、トリポリ滞在のあんたに何処からか何かの指示が有ったんでは無いかを調べさせて貰ったんですがね。

いやあ、途中で仕事を忘れて没頭しましたよ。

まだ18歳になったばかりでしょう、凄い迫力だね。彼女は命を賭けてるよ、あんたに。


しかも美人だね、写真も入ってるけど。


私は「写真?」


あんたがイギリスからの船上で撮った写真を送ったでしょう、去年彼女に。

彼女は自分を忘れないようにとあんたにそれを送り返してるんだよ。封筒に入ってるよ。あんたはそれも開けてなかったよ。


私はそれを知って涙が浮かんだ。なんて可哀想な事をしてしまったのか。


うちの女房もデカでね。私と違ってインテリ部門。それがとんでもない嫉妬深くて、あんたの彼女、いや元彼女ルイザの写真を私の新しい彼女とでも思ったのか大変だったんですよ。


留置中の被疑者の持ち物と言っても全然信用しなくて手紙を奪われて読み始めてね。

ベットに束ごと持って行ってね、仕事にもならなかったですよ。


ところが女房は途中から泣き始めたよ。可哀想だって。


最後まで読んでもう言葉も出なかったですよ。


それで、ちょっと思ったんですがね、未だ彼女はあんたに惚れてる事は女房も言ってるんでね、

女は分かるんですよ、それで良かったら、どうだろうか、私がローマ警察署の刑事として電話を掛けてあげるから、そうね、例えばあんたを4週間程預かっていたとか。ポルトガル語は喋れないがフランス語ならこの通り。


未だアメリカには出てないかも知れないんで逢いに行ったら如何ですか?


彼女のご機嫌が直ったら正直な話をすれば良いんだし、死ぬまで秘密にしていても良いんだから。


私はこの提案を受けて涙が出る程嬉しくこの刑事の気持ち、そして失ったものの価値を改めて認識せざるを得なかった。


随分、迷った末に私は彼の提案をお断りした。


あんなに純粋に愛に生きる娘さんを幸せに出来る自信は全くなかったという事と、余りにも私の能力、知力との差があり過ぎと正直に認めたから。

15歳で哲学書、詩と文学を読み漁り16歳で人生の不条理を嘆き、真剣に自殺を考え未遂事件を起こしたと言う私には荷が重過ぎるという事が前々からの不安として有った。

遊びの相手とかちょっと付き合うという相手にはにはなり得ない事も恐ろしかった。


刑事にそんな話をしたら、彼は大笑いをして。


女房が、こう言うんですよ。

彼女はその日本人には無理だわね、私より強烈そうだから、彼は虜になって可哀想よ、と。


確かに彼女の手紙には、私が嫉妬して怒ったら、真冬のポルトガルの嵐の海より荒れると書いて有った。

2人はそれを読んでその率直さと表現の豊かさに舌を巻いたとか。


途中から若造刑事が登山ナイフは持って来た。後は見つからなかったと。

ナイフは鑑識が持っていたと恐々説明。

私は大分人の血が付いていたって言われたでしょうと皮肉を言って

若造刑事をギクリとさせた。

上司からとっとと仕事に戻れと言われた彼は慌ててレストランを後にした。


私は夕方まで刑事と一緒にいて彼の見送りで

ローマ発パリ行きの夜行列車にのせて貰った。

刑事は私を抱いてくれてまたローマに来ることが有ったら会いに来なさいと名前と電話番号を書いた紙をくれた。


別れ際に貰ったフレンチ フランを車内で数えたらパリに戻って、直ぐに一等車でパリ リスボン往復が出来そうな金額だった。

そして私はほぼ4ヶ月振りに秋たけなわのパリに戻って行った。



ー最後にー



リビアは2011年の連合国の爆撃と市民反乱からの内戦の結果 カダフィ大佐は濡れ鼠の様な姿で逃げ廻りマンホールから引き出されて怒れる反体制派の私刑を受けた後に射殺されてその遺体は凌辱を受けた。


私の知人で後にパリでも再会し、奥さん、小さかった娘さんも大きく成長していたハリハの消息は不明。

アイルランド人の優しかった奥さんはどうしているだろうか。

後で分かったが、リビアはアイルランド独立運動の武闘組織IRAへに資金と武器弾薬提供を行っていたが、ひょっとするとあの奥さんも関与していたのではないかと思う事がある。

彼は殺害された可能性は高い。


当時会った、国立銀行総裁、結納金を嬉々として持って行ったカダフィ大佐の親衛隊将校も殺害されたことであろう。

ハリハの叔父は情報相をやっていた好々爺だった。彼は歳から言って

政権崩壊を見ずにして亡くなっていたと思う。もしそうなら幸せだったろう。


彼れらはひょっとすると、カダフィ大佐の娘と息子の1人(他の息子は全て殺害された)の様に夜中に四輪駆動車を連ねて砂漠を突っ切って逃げる事ができたかも知れない。


私は月の砂漠の歌を聴くとついカダフィ大佐の娘と息子の事を想ってしまう。月の砂漠をはるばると、、、。


ローマ中央駅警察署のあの渋い刑事はとうの昔に引退し生きていることやら。もう一度会って私のその後の話をしたかった。


ローマの国際空港では、その後私はもう一度だけ

夜を明かす経験をしている。

2010年のアイスランド火山噴火で欧州便が麻痺した時のJAL第一便に乗って欧州に入りローマ空港でJALから貰ったブランケットと枕で床の上で

夜を過ごした。この空港はどうやら私には試練を与える場所のようだ。



最後に彼女、ルイザ。


私をRide with the Sunと呼んでいた。

船上に輝く太陽のもとで一緒に過ごした数時間。

たった一度だけしか会ったことの無い私を何故あれ程愛してくれたのか。


その後一度も連絡もなく私も連絡ははばかり、別の人生を歩んでしまった。


あれだけの情熱と文才、緻密な頭脳からもし元気なら何処かの分野で実績をあげた事だろう。文学か?


私は今まで長い人生経験を積んで来たと思っているがあの様な強烈なプラトニック愛とも言えるものの対象になった事はない。

それも私が何処かで恐さを覚えた理由の一つだった事は間違いない。


16歳の時に2度自殺未遂をしたと書いていたのが私は今でも気にかかっている。

17歳の船上のあの笑顔は私は死ぬ迄忘れないであろう。


終わり、、、、、。