ローマ中央警察署での留置
機関銃を構えた警官が厳重に警戒する中での身柄の引き渡しなので私が相当重要被疑者になってしまった事は間違いない。
ローマ中央警察署では、私服の刑事が3名程が居る取調室に入れられ最初から全部説明のし直しであったが、ここでは私は最初から容疑内容を聞かないと取調には応じられないと
宣言し、日本大使館員を呼ぶ様に伝えた。
1番歳上に見えた取調刑事はちょっとリノ ヴァンツラ 似の渋い男でフランス語も流暢。
そこで初めて私が国際手配中の連合赤軍派のメンバーの1人で偽のパスポートでリビアを出て来たのではないかと疑われていた事が分かった。
私もそれは最初から想像は出来ていたが私の方からは一切触れなかった。
もう私のパスポートは既にイタリア外務省が日本大使館に依頼して検査中との事。
私は写真を撮られたり、指紋を取られたりしたが右手の件は既に引き継ぎが有った様でスムーズな指紋撮影があった。
流石にマフィア相手の商売柄、立派な設備と技術を持っていて、出来上がりを見せてくれたが完璧に私の指紋は浮かんでいた。
結局ここでは容疑が晴れるまで二泊させられたが、宿泊は取調室の横の簡易ベットで清潔かつ快適なもので、一般被疑者の留置所と言うイメージからはかけ離れていた。
食事も美味しくワインも出してくれた。
今考えたら安物ワインだったと思うが、酒が禁制のリビア滞在中はコカコーラかジンジャーエールだけしか飲めなかったので贅沢は言えずに出されたワインを美味しく味わった。
安全上の理由で瓶が入れられないので私は1瓶が全部入る様にプラスチックのコップ数個に分けて貰ってワインを楽しんだ。
朝から晩までの取調さえ無ければ良い生活だとは思ったが、窓がなく、日中の気温が高い中、扇風機しかなかったのには参ってしまった。
然も寝る時には扇風機はなく照明灯は点いたまま。コードで首でも吊られたらと言う事からズボンのベルトもとられてしまい不便この上もない。
私は、その時に天井を見ながら急にリスボンの彼女の顔が浮かんで来てもうパリに戻らず一直線に逢いに行きたいと初めての強い恋心を感じ涙の溢れ出てくるのを止めることは出来なかった。
何れにせよ、誤認で逮捕までには至っていない状況であり留置期間はどの国でも大体24時間又は72時間で釈放されると思っていたので
それから先はどうやってリスボンに行くかと言う事しか頭には浮かばなかった。
先ず警察を出たら金が一銭もない。
兎も角ローマ中央駅ぐらいまでは送ってくれるだろう。問題はその後と思っていたら、何だ、パトリシアの家がローマ郊外だった筈と想い出した。
パトリシアはフランス語教室の同級生のチャキャキャのイタリア人。
私が友達のフランス人学生を紹介して二人はもう熱々の仲。
まさかキューピッド役の私が困っているのを放ってしまう訳はあり得ない。
彼女の母親がパリに来た時には皆んなで高級レストランに招待された事から娘がいなくても母親が何とかするだろう。彼女はファッションブチックを数箇所持っている金持ち。
住所は押収されている手帳に書いてある。
よし、これでローマ駅前で得意の折り紙を折って金稼ぎをしなくて済むとこの解決策に大満足をして眠りに就いた。
3日後の昼前に容疑が晴れたとの通告を受けて漸く釈放と成ったがその前に取調の刑事にはパリに戻らず、兎も角リスボンに行きたいのでどう行くのが一番安いかを訊いてみた。
ちょっと困った顔で理由をきくので、恋人に会いに行って、パリに連れてこようと思うと、
お惚気話を始めたら、その刑事は、
私の顔を真面目に見つめて、読んでなかったのかね、と手紙の束に一番上に載せられていた手紙を私に渡してくれた。
何が起きたかと慌てて読んだら 、いつもの楽しい書き出しの裏表数枚のものではなく、半ページにも足りないもの。
その中には、色々と苦しんで考えたが、家族の勧めもあり、アメリカの大学に留学する決心をした。何度言っても、一万回頼んでも、私を攫いに来てくれなかった、そして最後のお願いにも貴方は冷たく返事をくれなかった、貴方の事はもう忘れますので、返事も要りません。
ではお元気で
この一言のみが書かれていた。
私は何度も読み直したが同じ事。
取調の刑事もばつが悪そうに横を向いて黙って煙草を吸って居るだけ。
私は刑事にその前の日付の手紙は、と唾を呑み込みながら尋ねた。
ー続くー