中学時代について振り返ろうと思う。
唯一、僕の学生時代を振り返って自慢できるエピソードは部活動だ。
卓球部に所属しチームのエースとしてメンバーを牽引し、県大会の団体3位の成績を残すことが出来た。
そんな話をすると小学校の頃から卓球をやっていたと思われるのだが僕が本格的に卓球をはじめたのは中学からだ。
小学校の頃は集団行動が死ぬほど苦手だったくせにスポーツ少年団の野球部に所属していた。
父親やおじいちゃんがTVでプロ野球を観ていた影響で野球に興味を持つようになったのだ。
ちなみに父親は長嶋監督率いる巨人が大好きだった。
過去にスポーツをやっていた人なら誰もが経験があるだろうが、レギュラーじゃないと試合はまったく楽しくない。
3年間ほど頑張ったが、レギュラーになることが出来ずベンチをずっと温めていた。
小学校最後の公式戦。
レギュラーは試合に負けて泣いていたがベンチメンバーは僕を含め誰一人泣いていなかったのが今でも記憶として残っている。
集団競技は向いていなかった事を悟った僕は中学で卓球部に入った。
野球とは違い卓球が出来る場所が地元になかったので、仲間のレベルは横一線だった。
野球での悔しさもあったので周りの友達には絶対に負けたくなかった。
週3で夜部活に通い土日は朝から夕方まで練習した。
僕はメキメキと実力をつけ、中学の3年間で個人戦では地区大会2位、団体戦では県3位になった。
そして甲子園の常連校である県立岐阜商業に推薦を貰うまでとなった。
県立岐阜商業の推薦をもらった時はコーチはすごく喜んでくれたが、僕は卓球を続けていくことに人生なんの価値があるのか見出せず、推薦の話は断ることにした。
コーチはひどくショックを受けたらしい。
僕は今でもそうなのだが、何をするにも、
『これは人生にとって何の意味があるのか?』
と冷めた状態で物事をみてしまうきらいがある。
文化祭、体育祭、遠足。
どんな行事に参加しても、帰宅して親に話すひとこと目は、
『つまらなかった』だった。
親としてはこれがけっこう辛かったらしい。
高校に通っても、その虚無感はずっと僕の頭の中にあり無気力な学校生活をおくった。
その虚無感に振り回されなくなったのは【整体師】という職業に出会ってからである。
身体がボロボロで悩んでいる人が、楽になったと言ってくれてニコニコして帰っていく姿をみているその瞬間だけはこの虚無感が消えるのだ。
すごく文章で表現しにくいんだけど、、、
その人(お客様)にとってその時間が意味があったのなら、僕にとっても意味があったと言えるから。
僕にとって整体という仕事はお金を稼ぐ手段でもあり、僕が生きている事を実感する為に大切な時間だったりする。
10年間飽きることなく整体を続けられているのはそういった理由なのだ。
>>続く